■38.終わりゆく非日常。(後)――我ら、“JTF-防人”。
竹島・対馬交換論を主軸とした交渉が挫折した旨を関係省庁の担当者が報告する以前から、小谷防衛相は対馬諸島を武力行使により奪還することを目的とした統合任務部隊(JTF)の組織を、防衛省統合幕僚監部に命令していた。
統合任務部隊とは文字通り、陸海空自衛隊の諸部隊から成る部隊である。日韓開戦以来、陸海空自衛隊は統合幕僚監部の下で協力しながら作戦を実施し、勝利を重ねてきたが、対馬諸島の奪還にはより緊密な三隊の連携が要求される。そこで防衛省は、単一の司令部の指揮下に作戦に参加する実戦部隊を組み入れ、統合任務部隊を組織することに決めたのであった。
勿論、この統合任務部隊の編成には前例がある。
過去には航空自衛隊航空総隊司令官の下に、海上自衛隊の護衛艦を組み入れた弾道ミサイル防衛統合任務部隊が編成されたことがあるし、また東日本大震災や熊本地震の際にはそれぞれ統合任務部隊(JTF-東北・JTF-鎮西)が派遣されている。
ちなみにこれに関して、防衛省内では多少の議論があった。
議題は主に統合幕僚監部の下に編成する統合任務部隊の指揮官を誰とするか、であった。
対馬諸島奪還戦は最終的には地上戦になるわけだから、当初は陸上自衛隊北部・東北・東部・中部・西部方面隊を統括する陸上総隊司令官を指揮官として、その下に対馬諸島奪還作戦に参加する陸海空自衛隊の実戦部隊を組み込むのが自然、という意見が支配的だった。
だがしかし、一部の背広組が渋った。
「陸上総隊司令官を長とするJTFの組織には、前例がない」
(何を言っているんだ……)と思った者は省内にも少なくなかっただろう。
確かに前例はない。先に紹介したJTF-東北は東北方面総監が、JTF-鎮西は西部方面総監が指揮を執っている。しかし、陸上総隊が創設されたのは2018年(平成30年)であるから、陸上総隊司令官が統合任務部隊の指揮官となったことはないに決まっているではないか。
だが軍事音痴に思えるこの意見に、制服組のトップにあたる火野統合幕僚長は賛同した。
「朝霞にある陸上総隊司令部ではなく、日韓戦争開戦以来、現場の指揮と情報収集にあたってきた西部方面総監部にJTFを任せた方がよい」
鶴の一声ではないが、これには一理あると海上自衛隊・航空自衛隊の将官や高級幕僚らは頷いた。
海将である火野統合幕僚長の口出しに、当事者となる陸上自衛隊側では賛否が分かれたが、新設された陸上総隊を毛嫌いしている者もおり(将来、陸上総隊の存在により五つの方面隊が廃止されて、多くのポストが失われるのではないかと考えているためである)、そうした彼らはこの“陸上総隊外し”に加担した。
勿論、こうした政治的な視点だけではなく、陸上自衛隊の関係者の間でも、戦略面・戦術面から言って従来通り方面隊が主体となって、統合任務部隊を設けた方がよい、という意見も少なくはなかった。
また火野統合幕僚長は古川首相からの信任が厚いことは周知の事実であるため、すぐさま背広組の有力者達もこれになびいた。
結果、陸上自衛隊西部方面総監の湯河原一翔陸将を指揮官とする、統合任務部隊が組織される運びとなった。
通称は、“JTF-防人”。
このJTF-防人には、陸上自衛隊西部方面隊に所属する部隊は勿論のこと、陸上自衛隊陸上総隊の水陸機動団や第一空挺団、航空自衛隊航空総隊諸部隊・海上自衛隊護衛艦隊らがこれに参加する。
続いて対馬諸島奪還作戦の計画が練られた。
攻撃の目標は第一に対馬諸島の敵対空陣地と、釜山沖に遊弋する『世宗大王』である。航空優勢を確固たるものにして、有利に戦況を進めるには敵の防空網が邪魔だ。
次に空中・洋上からの火力投射を以て、島内の陸上交通を遮断。駐留する敵海兵師団の機動防御・相互の連絡を困難なものとして、島内の敵守備隊をそれぞれの持ち場で孤立させる。
そして海上自衛隊・航空自衛隊の援護の下、陸上自衛隊水陸機動団・第一空挺団が対馬やまねこ空港をはじめとする重要拠点を攻撃、奪回する。
おそらく敵は空港と主要港を失った時点で降伏を選択するであろう。あるいは徹底抗戦を貫くかもしれないが、その場合には島内に孤立した敵部隊をひとつひとつ、丁寧に叩き潰していくだけである。
この対馬諸島奪還作戦は、防衛省内において『白龍』と名づけられた。白龍とは伝説上の神獣であり、有名な白虎同様に西方を鎮護するとされている。また神性である龍の中でも、最も飛翔速度が優速ということで、速度が重視される現代戦においては、まさに信奉されるべき存在だと言えた。古代以来、西方に対する玄関口として機能してきた対馬諸島を奪還する作戦名としては、うってつけであろう。
「JTF-防人による作戦『白龍』は、韓国海軍の有力なる水上艦隊を釜山沖、あるいはその周辺海域にて捕捉した時点で、時刻・天候等を見定めて発動いたします」
統合幕僚長の火野は背広組の人間とともに、そう小谷防衛相に報告した。
◇◆◇
JTF-防人による作戦実行は、最終的には最高指揮者の古川首相の裁可が必要になる。
が、古川首相は躊躇わず「責任は取るから、やってくれ」と即決した。
即決しなければ、延々と揺らぎ、惑うことになると自分でも分かっていた。
正直に言えば、どうせ韓国軍によるミサイル攻撃で死傷者が出た時点で、終戦後に責任をとって辞職することは決まっている。だったら、いまさら攻撃の許可のひとつやふたつ……という捨て鉢な感情がないわけではなかった。
だがしかし心中における多数は、
(許可した自衛隊の作戦行動で、対馬市民に死傷者が出るかもしれない)
という恐怖心が占めていた。対馬市民に危険を及ぼすこと自体もそうだが、自衛隊という組織と自衛隊員の顔に泥を塗るようなことになりかねない。自分自身の名誉も守りたいという自尊心も、まったくないわけではなかった。
だからそれを振り切る意味での、即決だった。
これでJTF-防人による対馬諸島奪還作戦への途は拓かれた。
前述の通り、第一撃の目標は対馬諸島内の敵対空陣地と、韓国海軍の水上艦艇だ。
機が来れば、航空自衛隊第3飛行隊から増強を得た第6・8飛行隊のF-2A/B戦闘機が攻撃を開始する。




