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■37.終わりゆく非日常。(中)

 暗闇がわだかまる天幕の中、寝袋にくるまった宋主煥ソンジュファンは、ただただ虫と蛙と何かの鳴き声を聞いていた。眠れない。東京都内の自宅と、この山中の武装革命キャンプとでは、文字通り世界が違う。


(どうしてこんなことになっちゃったんだろう)


 小さい頃から母には「勉強を頑張りなさい」、父には「この日本における核心成分となるように頑張りなさい」と言われ、宋はその通りにしてきた。

 初級部・中級部では常にトップクラスの成績だった。東京にある高級部に通い始めると、さすがに成績優秀なライバル達が増えたが、それでも宋は努力した。祖国訪問しゅうがくりょこうでは班長として、祖国の歴史への理解と偉大なる領袖■■■同志に対する忠誠を深めた。

 もちろん進学先は■■大学校を選んだ。宋は■■語、現代外国語にほんご、■■史といった文系科目は得意だったが、受験に必要となる数学は苦手だったため、入学試験は不安であった。他にも入学試験には面接があったから、宋は将来の夢――■■学校で幼い同胞、未来の同志に民族の誇りを持たせられる教師として活躍したいという夢――を軸に熱意をぶつけた。

 結果、最高人民会議の議員が学長を勤める■■大学校に入学出来たとき、父は「お前は一族の誇りだ」と激賞してくれた。宋は母の遺影が飾られた仏壇にも手を合わせて報告をした。「お母さまのお陰で同胞の貢献できる人間になれそうです」、と。


 それが、どうしたことだろう。

 宋はいま、武装革命キャンプにいる。


 おそらく宋は努力をし過ぎたのであろう。

 朝鮮■■上層部からの彼に対する評価は高すぎた。思い違いも甚だしい。宋には祖国に対する忠誠はさしてなかった。どちらかというと父・母の影響が大きく、熱心に学んだに過ぎない。しかし、上層部は彼を“日本国における革命意欲に溢れた分子である”と誤解した。

 故に彼は日本国内での工作活動に加担する■■組に選出されてしまったのである。


 宋は特別、日本国に対して害意を抱いてはいない。祖国や同胞に対する面白くないエピソードを見聞きすることは頻繁にあるが、自分自身が何か嫌な出来事に直面したり、差別をされたりしたことはない。どちらかというと彼は日本国内・南朝鮮に常駐するアメリカ帝国主義と、一部財閥が政治経済を牛耳る南傀儡政権に反発を抱いていた。

 であるから、この武装革命キャンプに連れてこられたとき、大変なことになったと思った。

 武装革命キャンプでは初日から火焔瓶や即席爆弾の作り方、使い方を教わり、銃器を使用した訓練が行われた。宋は銃器の名前をほとんど知らないが、使われた銃は映画に出てくるAKのようなライフル銃であった。教官役の男いわく、過去に日本国内の宗教団体が製造したものであり、“ナーディー”と言うらしい。銃弾の形や重さ、威力からしてエアガンでないことは明白であった。

 宋には軍事訓練の目的も、このキャンプの正確な位置も教えられることはなかったが、だいたいの想像はつく。いま南傀儡政権と日本政府は戦争中であるから、同じ民族のよしみで破壊工作に従事させるつもりなのではないか。


(こんなの銃刀法違反だし、やらされるとしたら非合法活動じゃないか。東京に帰りたい……)


 宋は溜息をつきそうになって、慌てて息を押し殺した。

 溜息は敗北主義的な感情を反映させた行動であるし、反革命である。

 この武装革命キャンプで、反革命的な素振りを見せればどうなるかなど、言わずもがなだ。同じ天幕で眠る仲間(名前は知らないし、教えられていない)は、静かな寝息を立てているが、天幕の外には監視の同務がいるかもしれない。

 当然ながら宋は、逃走も考えた。

 だが物理的に、そして朝鮮■■関連団体で働く父の身を思えば、それは出来なかった。


(ここがどこか分かればすぐに市街地へ下りて警察に通報して、父を保護してもらえば……)


 逃走の算段はいつもそこで終わる。逃走のための具体的な手段は浮かばず、日本の警察が父を迅速に保護してくれるかは分からない以上、現実的ではなかった。


 考えても仕方がないから寝ようと瞳を閉じると、今度は腹が鳴った。

 宋からすればこの武装革命キャンプの食事は、あまりにも貧弱であった。

 軍事訓練なのだから仕方がないのかもしれないが、一食が汁物と缶詰2、3個では元気は出ない。彼の脳裏にはペプシコーラ(コカコーラは反革命である)と、モスバーガー(マクドナルドは反革命である)が浮かんだ。


 いや、ペプシもモスも贅沢か。


(温かい白いご飯と卵、しょうゆ、キムチが欲しい……)


 ここ武装革命キャンプに来て、良いことなどひとつもなかった。

 宋にとって面白かったのは実銃を撃てたことくらいだが、やはりそれも犯罪だから後ろめたかった。おそらく同じように不満を抱いている者はいるだろうが、反革命分子の烙印を押されるリスクを冒さずに、周囲の感情を確かめる術はなかった。

 結局、明日、明後日もこの武装革命キャンプでの日常が続きそうで、宋はまた溜息を噛み殺した。




◇◆◇




(あんまりうまくいかないなあ)


 太陽も下降を始めている午後2時。74歳、朝比奈倫太郎あさひなりんたろうは道端の腰かけに座って、ただ茫然と駅口から流れ出る人々を眺めていた。

 肩からはシールがたくさん張られたボードがかかっている。

【緊急世論調査!】と大書されたボードは、左側には“古川政権の日韓戦争に反対”、右側には“古川政権の日韓戦争に賛成”と書かれていて、路上の人々に自分の考える側へシールを張ってもらう仕組みになっている。

 共産党の事務所でお茶をもらって出発する前に、事務所の人にシールを張ってもらっているから、シールの数は反対側の方が多い。

 だがしかし、そこからシールの数は伸びなかった。


「いまこの瞬間にも、古川政権の判断のもとで、自衛隊の方々が戦艦やオスプレイに乗って対馬で戦おうとしています!」


 頑張って声を張り上げても、駅ビルの壁に設置されたスクリーンとスピーカーががなり立てる音楽や、音声に掻き消されてしまう。

 逸る気持ちとは裏腹に、立ちんぼでは足腰の方はもたない。

 2、3時間で彼は限界を感じて、ベンチに座りこんでしまった。


“最新の世論調査によると、【自衛隊の武力行使による対馬奪還に対して賛成する】は66%、【反対する】は20%、【わからない】が……”


 ふと見上げれば、駅ビルのスクリーンの下部では字幕でニュースが流れている。


(世論調査なんか、操作し放題だからアテにならんじゃないか)


 朝比奈はそう思うが、ここで叫んでもしょうがない。

 最近はテクノロジーの時代だ。地道にシールで意見を集めれば、それをスマホで撮って世界中に発信できる。

 テレビやラジオが宣伝する上で強い力を持つのは昔も今も変わらないが、市民側の新たな武器としてインターネットが出てきた。

 ただ言論を弾圧する古川政権は人を雇って、インターネット上に自分を礼賛する意見を投稿させている(と朝比奈たちは信じている)ので、なかなかインターネットでの活動も難しいらしいが、朝比奈にはよくわからなかった。


「おっ、朝比奈さん、どうですか」


 休んでいると、知り合いが話しかけてきた。

 同じ共産党の事務所に出入りしている仲で、近所の将棋クラブでも一緒の友人である。

 禿げあがった頭と黒ぶちの眼鏡がトレードマークである……自分も同じようなものだが。


「いやあ、うまくいかないね」


「まあそうだろうねえ……この前なんか右翼かな、変な奴に怒鳴られたよ」


「あーそりゃ災難だ」


 ははは、と笑い合う。

 そこから活動は小休止、彼らはお喋りを始めた。

 実のところ、ふたりに真剣味しんけんみはない。ただ自宅にいると妻に疎まれるから、外に出る口実として事務所に出入りして活動しているに過ぎなかった。


 駅ビルのスクリーンの画面は切り替わり、神野官房長官の記者会見にて、米国政府を介した停戦・講和に向けた交渉が決裂した旨が発表された旨のニュースが流れ始めた。


次が日本政府側最後の作戦フェイズとなり、次々話から戦闘が始まります。

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