■36.終わりゆく非日常。(前)
6月13日。石川県立小松南高等学校2年生、校條彩香はベッドに身を預けたまま、自室の白い天井を見上げていた。
右手からこぼれたスマホは、SNSアプリのLINEを開いたままである。
【きょうの世界史B、安藤めっちゃ進めたわ】
【でもがんばって起きてノートとっといたから、来たら見せたげるよ~】
昨日、クラスメイトのタマへ送ったメッセージに、既読はまだついていなかった。
心配だ。たしかタマは1年生のとき、皆勤賞をとっていた。
インフルエンザがめちゃくちゃ流行って、自分が休んだ時でも平気で高校に行ってたくらいだ。
担任の岡部に「タマはなんで休みなんですか」と聞いたら、「真津内さんは、まあ、いろいろあるんだろう」と言われた。
たぶん岡部は、なんか誤魔化してる。
というか、誤魔化しかたがヘタすぎる。
(タマが休むとか、やっぱないわ)
皆勤賞もそうだし、水泳部だから体力もヤバい。
少し茶色がかかってみえるショートカットの髪は、エースの証だ。プールの塩素で髪の色が抜けるらしい。松南は校則で染めるのを禁止してるから、少しうらやましかった。
いや、それは関係ない。とにかく。冬ならともかくこの夏前に連続して休むか、という話だ。
(イジメ?)
クラスではあり得ないけど、水泳部ならあるかも。
同じ部員がシットしてる可能性は大アリだった。
しかし彼女風に言えば、それは“大ハズレ”であった。
彩香は帰宅部なので放課後は割と自由に捜査をすることが出来るが、イジメや部活動でのトラブルの尻尾を掴んだり、そういう類いの噂を聞いたりすることはなかった。時間は無為に過ぎていき、そうこうしている間に17時。バイトの時間になってしまった。
(でもヒマなんだよね)
彩香は小松駅前の飲食店で接客のアルバイトをしているが、戦争が始まる前よりも明らかに客足は減っている。していることと言えばオーダーに呼ばれることもないのでただレジの前に立ち、一定の時間をおいて店内を漫然と歩き回っているだけだ。店長は頭を抱えているが、彩香にはあまり関係がなかった。多忙の自給850円と、暇を持て余しての自給850円だったら、後者の方がいいに決まっている。
(てか戦争してんだから、休校にならないかなあ~)
暇になると、彩香の思考は高校のことへ向く。
実は日韓戦争開戦時、ここ石川県小松市でも公立学校は一斉に休校・自宅待機となった。市内に航空自衛隊小松基地が存在している以上、韓国軍の攻撃目標となる可能性は他の市町村よりも高い。生徒の安全を第一に考えて(実際には学校側が生徒の身の安全に責任を持てないがため)の措置である。
そんなわけで6月の第1週は、思いがけない臨時の休日を彩香は享受した。
しかしながら、1週間も経つと今度は教職員やPTAの間でも「戦争が続いている間、ずっと休校にするのか。カリキュラムの遅れはどう取り戻すのか」という意見が出始める。特に偏差値70に近い進学校、県立小松中央高校の教職員は不満たらたらであった。結局、公立学校の授業は再開した。
クラスメイトの中には家庭の判断で小松市内から引っ越す者も現れたが、彩香の父親は「小松基地に近すぎず、遠すぎずのこの家の方が他の場所よりも安全安全。ミサイルが落ちてきてもイージス艦とかジェット機が撃ち落としてくれるだろうし、駄目でも小松基地に当たるだけだ。小松基地のおかげで警察とか、自衛隊の人も多いし、そこは安心出来る」と、自衛隊を信頼しているのかしていないのか、よくわからない意見を言って、校條家は動かなかった。
タマ――真津内球子の家も同様の判断をしたらしく、休校明けには登校していた。
(なんでタマ、休んでんのかなあ~)
スマホで連絡がとれないならタマの家に直接行こうかと彩香は思ったが、残念ながら彩香はタマの住所を知らなった。タマと彩香の交友は高校1年生から続いているが、連絡はLINEですればいいし、会って遊ぶとすれば駅前のカラオケやラウワン、ショッピングモールである。高校生にもなって友達の自宅で遊んだりはしない。
(でも住所くらい聞いとけばよかったなあ)
そんなことを考えていると、料理のオーダー希望を報せるベルが鳴った。
……。
22時過ぎ、帰宅した彩香は母とリビングで食事を摂っていた。そこに父の姿はない。普段は一緒に食事を摂る彩香の父だが、最近の彼は仕事が忙しく、残業の日が続いていた。
「いま自衛隊の武器を運んでんの。だからすげーいそがしいんだわ」
数日前に彩香と顔を合わせた時には、聞かれてもいないのにそう語っていた。
彩香は自分の父の仕事ぶりを知らないが、業界業種くらいは分かる。
運送業――シロネコである。
シロネコヤマトの宅急便が自衛隊の武器を運んでいるとは信じられなかったが、彩香はこの前テレビ番組で戦争の時にはシロネコヤマトや佐山急便といった会社が、自衛隊の武器を運ぶことを知った。
「それで、そういえばなんだけど」
テレビのニュースを見ていた彩香の母が、突然に話題を振ってきた。
「なに?」
正直、彩香は両親の話を真剣に聞いたり、答えたりしない。世代が違うから話が噛み合わない、と彼女は本気で思っているのだ。最近はそんな彩香の感情を感じ取っているのか、今年で45になる彩香の母も少々及び腰になっているが、それでもコミュニケーションを取ろうと努力していた。その努力は往々にして空回ることが多いのだが。
「真津内さん家なんだけどね」
「え?」
だが今晩は違った。
「真津内さん家のお父さん、いま入院してるらしいのよ」
「へ、へえ~」
彩香は初耳だった。
地域の情報網はまさにおそるべし、であった。タマの父親は自衛官で戦闘機のパイロットであるらしく、数日前にニュースにもなっていた竹島の近くの戦いにも行ったらしい。だがしかし、そこで韓国軍の戦闘機に撃墜されてしまったのだとか。すぐに救助されて、いまは入院中――しかも意識はないらしい。
(じゃあタマはお見舞いに行ってるってことか)
よくドラマで「今夜がヤマです」「トーゲは越しました」なんてセリフがある。
たぶんタマも付きっきりになっているのだろう、と彩香は勝手に想像を膨らませた。
心中に広がったのは、真相が分かってほっとしたという安堵と、自分にはどうしようもできないという無力感であった。
「日本政府は仲介を申し出たアメリカ政府、中国政府を通して韓国政府に停戦を提案しましたが、これは黙殺され、消息筋によると日本政府の中では対馬諸島を武力で奪還するのはやむをえない……」
「ご覧いただいたとおり、海上自衛隊の護衛艦『しもきた』に自走155㎜榴弾砲という戦車が甲板上で訓練をしているんですねえ。このままだとまた自衛隊は対馬諸島で戦うことになりますが、どうですかゲストの……」
テレビの報道番組に視線を遣りながら、彩香は思いを巡らせた。




