■3.閣議決定、あるいは第六共和国の死。
『作戦計画6035』は、西日本の戦略的拠点を武力行使によって攻撃あるいは占拠することにより、日本政府から外交上の譲歩を引き出すための積極的な軍事作戦計画である。
そこで第一の標的となるのは、陸海空自衛隊の部隊が駐留する対馬だった。対馬は日本列島の玄関口として韓国国内でも有名だが、近年では対馬も韓国領土であり、現在日本政府により不当に占拠されていると考える国会議員や韓国国民も少なからずいる。
つまり対馬は、対馬海峡を睨む重要な戦略的・戦術的拠点としてのみならず、国内の歓心を得るのには最適の島嶼であった。
また占領下の島民に何らかの犯罪容疑をお仕着せて逮捕し、人質として外交交渉のカードのひとつに転化することも可能だった。
しかも対馬に駐留する自衛隊の戦力は、陸上自衛隊対馬警備隊(1個中隊相当)や海上自衛隊対馬防備隊といった最小限の基地警備隊が存在しているだけであり、武器と言えば小火器と対戦車火器のみであることが判明している。対馬警備隊はレンジャー有資格者の割合が高い前線部隊である、という噂もあるが、韓国陸軍特殊戦司令部と海軍所属海兵隊の強襲には到底抗しきれるものではないというのが、国防部が出した結論であった。
それと同時に『作戦計画6035』においては、航空自衛隊春日基地(福岡県春日市)、築城基地(福岡県築上町)をはじめとする北九州の自衛隊関連施設を攻撃する手筈になっていた。
対馬を占拠しても目と鼻の距離にある航空自衛隊基地を無力化しなければ、韓国陸軍特戦司や朝鮮半島・対馬間を航行する補給線は、すぐさま航空攻撃に晒されてしまう。
更迭された韓志龍空軍参謀総長は過去、『作戦計画6035』が策定された際に、「海空による補給路を保つためには、積極的な航空作戦を実施して北九州の自衛隊関連施設を叩き、航空優勢を保つ必要がある」と断言していた。
「このような作戦計画は過去にも未来にも不要だとは思いますが……航空自衛隊の航空基地は、航空攻撃から機体を守る対爆シェルターが少ない。飛行隊全機を防護できるシェルターを擁しているのは、千歳基地や小松基地のような対露の最前線基地だけで、『作戦計画6035』に関わってくる築城基地は4機程度しか収容できません。航空自衛隊は先制攻撃に弱い。そこを衝くことです」
玄武弾道・巡航ミサイルを使用した第一撃の奇襲で、西部航空方面隊司令部が存在する春日基地と、F-2戦闘機から成る2個飛行隊を擁する築城基地を徹底的に攻撃する。
自衛隊機を地上で殲滅するチャンスは、ただ一度しかない。最初の一撃が外れればそれ以降、自衛隊機は空中退避して被害の局限に努めるようになるだろう。
ちなみに韓国海軍作戦司令部からは東海(日本海の韓国側呼称)の海上優勢を盤石にするため、玄武ミサイルによる海上自衛隊佐世保基地、呉基地、舞鶴基地への攻撃を盛り込むよう、強い希望があった。
しかし、これは三軍司令官が協議した結果、見送られている。
米軍基地が併設されている佐世保基地は勿論のこと、呉基地、舞鶴基地に米艦艇が寄港していた場合、米艦艇を攻撃に巻き込む可能性が高い。
『作戦計画6035』は米軍が韓日戦に介入せず、静観を貫くという楽観主義が前提にある作戦計画だが、米艦艇を攻撃してもなお米軍は動かない、と想定するほど破綻をきたしてはいなかった。
「『作戦計画6035』第一段階の成功と同時に、私は次の要求を日本政府に突きつけるつもりだ」
『作戦計画6035』発動前、国務委員を集めた最後の会議で白武栄大統領は自信満々に、閣僚たちへレジュメを配布して説明を始めた。
■日本政府および日本国民は、四世紀の倭から始まる朝鮮半島侵略の歴史を再認識し、韓国政府および韓国国民に対して、心からの謝罪を行うこと。具体的には日本国首相古川と日王の朝鮮半島の謝罪行脚(プサン~ソウル~ピョンヤン)を可及的速やかに行うこと。
■日本政府および日本国民は、四世紀の倭から始まる朝鮮半島侵略の歴史が与えた物質的・精神的苦痛に対する金銭的賠償を行うこと。具体的には現在存命中の元・従軍慰安婦、および日帝植民地支配からの解放戦争に参加した大韓帝国軍将兵、その遺族に対し、韓国政府が求める賠償金を支払うこと。
(付)先日、戦勝国ポーランドは侵略国にして敗戦国のドイツに1兆ドル近い賠償金を請求する、という国際報道がされている。それを鑑みるに我々戦勝国の大韓民国も、侵略国にして敗戦国の日本国に、1兆ドルの賠償金を請求しても構わないであろう。要検討。
■日本政府および日本国民は、韓国領独島に対する領有権主張という挑発行為のいっさいを停止すること。
■日本政府および日本国民は、『新増東国輿地勝覧』の附図『八道総図』に記載のある対馬諸島を歴史的に韓国領に属するものと認め、早急な返還事業の実施を認め、また着手すること。
「素晴らしい」
白武栄大統領の説明が終わると同時に、国防族議員として有名な李善夏国防部長官が手を叩いた。それに続く形で大半の国務委員が拍手をして、口々に「白武栄大統領万歳」「これこそ韓国国民が求めているものだ」と褒めそやした。
(狂っている……)
議場が熱狂の渦に呑み込まれる一方、雇用労働部長官の趙漢九は一応の拍手をしながら懐疑の視線で周囲を見回した。
彼らはみな本気で韓日開戦に賛成しているのか?
だとすれば、もはや彼らに正常な判断能力など残っていない。
行政を担う国務委員ではなく、狂人の類であるとしか言いようがなかった。
(日本政府と日本国民は聖人ではない。こちらが殴れば、当然相手も殴り返してくる。ではお前たちは殴られる覚悟があるのか?)
趙漢九雇用労働部長官が危惧しているのは、やはり韓国経済のことであった。
対日総貿易額約700億ドルという莫大な商取引がふいとなるだけではない。攻撃に対する報復として仮に日本海軍が海上封鎖を行うことがあれば、韓国経済は文字通り崩壊するだろう。韓国の年間輸入総額は4000億ドル以上に達する。が、ではその輸入品目の内訳をみると、3割以上が原油や天然ガスといった鉱物性燃料である。
もちろんこの現代において海上封鎖の実施は困難であるから、杞憂に終わるかもしれない。だが日本海軍が海上封鎖をせずとも、現代国家の血液ともいえる化石燃料を載せた船舶が、韓日戦争によって来航を避けるようになればどうなるか。想像するのは難しくない。また韓国と日本はお互いに石油製品を融通し合っている関係にある(2017年のデータによると韓国は日本に対して約93万KLのガソリンを輸出しており、一方で日本は韓国に対して約100万KLのガソリンを輸出している)。つまり戦争勃発により韓日貿易がストップすれば、韓国国内では石油製品が不足する、あるいは逆に日本向けの石油製品がダブついて石油業界が大打撃を受ける事態が起こり得る。
問題は燃料問題だけではない。原油の次に挙げられる輸入品目としては、電子部品や半導体、鉄鋼が続くが、これがなければ韓国の製造業は壊滅的打撃を受ける。韓国の輸出産業は自動車や船舶、石油化学製品であり、いずれもが輸入した原料を加工して製造する製品ばかりだ。それに韓国製工業製品は日本から輸入している部品の使用をしているものが少なくない。日本製電子部品の供給が止まれば、国内メーカーは青息吐息で困り果てるだろう。
(なにが歴史だ、大部分の国民が求めているのは日本政府の謝罪ではない。ヘル朝鮮という言葉が若者連中の間で流行ったばかりではないか!)
ヘル朝鮮とはHell(英語で地獄の意)と朝鮮、あるいはHellとチョウセン(日本語で朝鮮の意)を組み合わせた造語であり、意味合いとしては「生きていくには地獄に過ぎる朝鮮」「日帝による植民地支配時代とさして変わらない、最悪の朝鮮」という自嘲が込められている。これは厳しい受験戦争や、縁故や学歴がモノを言う就職活動を経験した若者たちの間から生まれたスラングだ。
つまり大部分の韓国国民が真に望んでいるのは歴史論争や戦争ではない、雇用と経済成長なのである。勿論、国家・歴史の威信や民族の名誉が守られることは大事ではあるが、その前に国民が安心して働き、給料を稼ぎ、納税し、税を差し引いても豊かな生活が出来る国作りをしなければならない。
「ひとつだけよろしいでしょうか、大統領」
拍手が止んだタイミングで、趙漢九雇用労働部長官は勇気を振り絞り挙手をした。
「なんだね、趙くん」
「我が大韓民国国軍は必ずや勝利を収めてくれるでしょう……」
「勿論だとも! それに関しては、朴陸軍参謀総長も勝利を約束してくれたよ!」
「……しかしながら、対馬諸島を占拠し、北九州一円の日本軍基地を爆撃に成功したとしても、彼らが我々の要求を呑まなかった場合はどうするおつもりですか」
白武栄大統領の満面の笑顔が凍りついた。
趙はその瞬間、議場の雰囲気が変わったのを察したがもう退くことは出来なかった。事前に反対の立場を明確にしていた国務委員の外交部長官と産業通商資源部長官、国土交通部長官は、交通事故や持病の悪化により、ことごとく会議を欠席している。この場で開戦に反対する国務委員は、趙しかいない。
「何を言う、彼らは要求を呑む!」
「徴兵制度のない日本人どもは貧弱だ、すぐに怯え上がって降伏するに違いない!」
「要求を呑まないならば北九州に強襲上陸し、陸伝いに東京まで進撃するのみ!」
大統領に迎合する国務委員たちが口々に反駁したが、それは逆に趙を激昂させた。
「精神主義と楽観主義で国政を動かすなッ!」
趙の剣幕に、誰もが怯んだ。
「『作戦計画6035』の成功により、戦争が短期終結すればそれで結構! しかし、我が軍が北九州を壊滅させてもなお、日本政府が屈服することなく長期戦の構えを見せたらどうするお積もりか!?」
戦争は始めることよりも、終わらせることの方が難しい。それは70年以上前の大日本帝国がいかなる末路を迎えたか、それを思い出せばすぐにわかることだろう。
「日本海軍にシーレーンを封鎖され、国際社会から経済制裁を受ければ、韓国経済は大打撃を受ける。緒戦で軍事的な勝利を収めたとしても、我々は経済戦争により講和もままならないまま枯死することになる! どうやって戦争を終わらせるのか、そのビジョンがないのならば、戦争はするべきではない! ましてや大韓民国国軍が日本列島に上陸して、戦争を終結に導くなど現実的ではない!」
純軍事的に言えば、大韓民国国軍は何年でも戦い続けることが出来るだろう。が、経済面・外交面を考えれば、大韓民国は戦争を短期終結に持ち込まなければならない。時間が経てば経つほど、大韓民国は不利になる。
「ふむ。趙漢九雇用労働部長官の言にも一理ある」
だが、白武栄大統領は余裕の笑みを崩さなかった。
「しかし、この際だ。国務委員のみなに確認しておきたい。この戦争はあらゆる韓日関係を“正常化”するための聖戦であり、いかなる犠牲を払ってでも遂行しなければならないものである」
「なに……」
「経済、外交、国民――そのすべてに対日聖戦が優先されるのだよ。そして歴史的快挙を我々は成し遂げる!」
恍惚として語る白大統領と、追随して拍手する国務委員たちを前に、趙は愕然とした。ここまで国粋主義、英雄主義に染まっていたのか、と。国益と集票のために政治家が利用してきた反日運動に、取りつかれてしまう政治家が現れるとは世も末か。
「正気かッ! ここは、第六共和国だぞ……!」
大韓民国の現行憲法『第六共和国憲法』では、国民主権を定めていると同時に国民一人一人に基本的人権と幸福を追求する権利を認めている。国民生活を犠牲にしてでも戦争を優先するなど、民主主義国家ではありえない。そもそも侵略戦争は憲法において禁じられており、国軍の任務は国土防衛であると規定されている。
思わず趙は呻いた。
「第六共和国は死んだ」




