■29.日章旗はためく竹島。(前)
日本政府は外交ルートを通じて、これ以上の竹島への攻撃は本意ではない旨を韓国政府に伝え、竹島を不法に占拠する独島警備隊と韓国海兵隊員に対し、無線通信をはじめとするあらゆる手段を用いて直接、降伏を勧告した。
降伏勧告を行った理由は、無用の殺生を避けるためである。ただし安易な人道主義によるものではない。やろうと思えば航空自衛隊の航空攻撃で独島警備隊を皆殺しにすることは可能であるし、そこに心理的抵抗は介在しない。だが、独島警備隊は前述の通り、韓国の地方警察庁の組織である。積極的に攻撃を加えれば、後で韓国政府のプロパガンダに利用されるかもしれなかった。
「自衛隊は臆病者の集まりか? 降伏など笑止、最後のひとりまで戦おう!」
対する独島警備隊の隊員の中には日本側からの降伏勧告に憤る者もいたが、携帯式防空ミサイルと共に独島へ増派されていた海兵隊員達は、意外にも冷静で、降伏もやむなしと考えた。停泊施設が破壊されたことで船舶による増援の実施が絶望的になった上、航空優勢も確保されていないためにヘリの運用も難しい。
飲料水と食料の備蓄は十分あるので数週間は補給が途絶しても耐えられるが、保有する武器のほとんどは小火器である。最後の一兵まで戦うという敢闘精神は結構だが、火力は伴わなければ、自殺と同義の無謀な英雄主義に過ぎないというのが、海兵隊員達の共通見解だった。それに独島は本当に地積が狭い。断崖絶壁の上の僅かな土地にヘリパッドや警備隊宿舎を建造するのがやっとで、砲爆撃をやり過ごすための防御陣地が築けるような縦深はない。敵水上艦艇が艦砲射撃を実施すれば、逃げ場はない。鏖殺の憂き目に遭うだけだ。
降伏するべきか、警備隊員と海兵隊員の間で議論が始まった。が、すぐに結論は出なかった。独島警備隊の人間の中には、降伏すると本国の家族の肩身が狭くなる、嫌がらせを受けるかもしれないと不安に思う者もいるようであった。海兵隊員は降伏するのは恥ずべきことではないし、責められるべきは政府の戦略的不備である旨を説明したが、確かに家族が一般人による私刑に遭う可能性は否定できなかった。
結局、議論は一時中断となった。お互いに心理的な溝が深まり、不和になるのを恐れたためである。降伏するか否かは保留となった。
だが6月7日午後16時、竹島の東島にて異変が生じた。
突如として東島の一角が崩落し、それに伴い独島警備隊の宿舎が倒壊したのである。元々岩礁に毛が生えた程度の小島に、宿舎やヘリパッド、灯台、通信設備を建設したことに無理があった。以前から宿舎の周辺では20箇所以上の亀裂が確認されていたが、そこに500ポンド爆弾4発による攻撃の衝撃が加わったため、宿舎の基礎を支える岩盤はついに限界を迎えたのであろう。
これにより警備隊員と海兵隊員達は弾雨どころか、風雨からも身を守れなくなった。飲料水や食料品のほとんども崩落に巻き込まれ、断崖絶壁の合間と波間に消えた。運命は決した。降伏しなければ栄養失調でみなことごとく全滅するであろう。勇ましいことを言っていた警備隊員も、意気消沈して降伏に同意した。奇跡的にも通信設備は無事であったため、警備隊長は断腸の思いで降伏の許可を本国政府に求めた。
だがしかし、白大統領以下韓国政府が、独島警備隊の降伏を許すわけがなかった。
「死守命令を出せ。絶対に独島を日本に渡してはならん」
とはいえ物資の補給と、増援がなければ独島警備隊と海兵隊員らは自衛隊に降伏してしまうであろう。白大統領は韓国海軍・韓国空軍に対して、独島の救援に総力を挙げるように厳命した。だが両軍の士気は低い。金空軍参謀総長が独島方面よりも対馬方面を重視していることは先に述べた通りである。一方、敗北続きの趙海軍参謀総長も、独島近海での作戦行動に及び腰になりつつあった。
(敵潜水艦を撃破するまで、これ以上水上艦艇を独島方面の作戦に従事させるのはまずい)
フォークランド紛争と同じ現象、心理がこのとき働いている。
1982年のフォークランド紛争では英原子力潜水艦『コンカラー』が、アルゼンチン海軍の軽巡洋艦『ヘネラル・ベルグラノ』を撃沈したが、それを見たアルゼンチン海軍は敵潜水艦の威力と、水上艦艇の喪失を恐れて艦隊の出撃を回避するようになった。このためアルゼンチン海軍の切り札、航空母艦『ベインティシンコ・デ・マヨ』は活躍することなく、戦闘終結の日まで敵潜水艦を恐れて外洋に出ることはなかった。
これと同様に趙海軍参謀総長も、いま独島方面に水上艦艇を遣れば、再び敵潜水艦の襲撃を受けるだろうと恐怖していた。
午後18時に緊急で行われた韓国政府首脳部会議は、紛糾した。韓国軍関係者が独島救援は困難という立場に対して、白大統領と李国防部長官は態度を硬化させ、白大統領は「国土を守れないなら韓国軍の存在価値はない! 韓国軍一丸となって独島を死守せよ!」と大喝した。
(死守、死守ってヒトラーかよ)
金空軍参謀総長は動じることもなくただそう思ったが、相手は感情的になっているため、理詰めの話は通じない。無為に時間だけが過ぎていく。普段は口数の少ない朴陸軍参謀総長だが、白大統領と軍の溝が深まるとまずいと思ったのか、彼は折衷案を出した。
「自衛隊に独島をいったん奪らせ、準備を万全としてから奪回するのがよろしいかと。独島は攻め易く守り難い。独島を占拠した自衛隊は、当然独島を守らなければなりません。我々は好きなタイミングで、断続的に攻撃を仕掛け、自衛隊に出血を強いることが出来ます」
理に適った提案であったが、これも白大統領は拒絶した。結局、2、3時間かけても独島に関する今後の方針は定まらず、とりあえず結論は先送りにされ、議論は他の話題に移っていった。
さて。青瓦台は夕方から降り出した雨で濡れていたが、彼ら政府高官らはそれに気づくことはなかった。青瓦台と同様、独島においても夕方から冷たい雨が降り始めていた。警備隊員と海兵隊員らは、ほとんど吹き曝しの状態で風雨に耐えなければならなかった。中には宿舎の倒壊の際に、負傷した者もいる。独島の平均最低気温は5月が約11℃、6月は約16℃程度であるから、耐え難い寒さに襲われているわけではないが、それでも雨に曝されれば低体温症になる危険性もあった。
韓国政府首脳部の熱い会議から一夜明けた6月8日早朝。
独島警備隊と数名の海兵隊員は独自の判断で、自衛隊の降伏勧告を受け容れた。




