■24.脅迫、人間の盾、プロパガンダ――占領下のツシマ。(前)
韓国海軍参謀本部は、消沈した。
孫元一級潜水艦『安重根』は独島周辺海域に到着し次第、潜望鏡深度まで浮上し、無線で報告を実施することになっていた。だが予定されていた独島周辺海域到達の時刻を過ぎても、『安重根』からの通信は一向になかった。自衛隊機や敵水上艦艇の存在は確認出来ていなかったので、おそらく敵の潜水艦にやられたのだろう、ということで話がまとまった。
すぐさま韓国海軍は敵潜水艦を狩るために、P-3CK対潜哨戒機2機を独島上空へ飛ばした。勿論、航空自衛隊の早期警戒機が空域を監視している可能性が高いため、韓国空軍の援護の下で、である。P-3CKは60年代に製造された中古の米国製P-3Bに近代化改修を施した哨戒機だ。設計の古さは否めないが、それでも元々がベストセラーの傑作機であり、韓国海軍にとっては貴重な対潜/対艦戦力であった。
韓国海軍の予想通り、航空自衛隊はP-3CK対潜哨戒機の離陸と独島周辺空域への移動を捕捉していた。すぐさま航空自衛隊中部航空方面隊第6航空団第303飛行隊のF-15J戦闘機4機が、対潜哨戒機の行動を妨害すべく日本海上空を翔けた。
「駄目だ、すぐに引き戻させろ」
護衛の韓国空軍機はF-15Jよりも劣る旧式機のF-4Eが2機のみであったから、戦っても勝ち目がない。海軍機・空軍機ともどもすぐさま半島側へ撤退を決めた。結局P-3CKが哨戒を実施出来たのは、鬱陵島・独島間の海域の一部だけに終わってしまった。
韓国空軍は自衛隊機を牽制する目的で、増援として第19戦闘航空団所属のKF-16戦闘機を差し向けて4機のF-15Jを追い払ったが、再びP-3CKを独島周辺海域に近づければ、また自衛隊機が飛来するであろうことは目に見えていた。
「東海に戦力を集中してでも、要撃戦をやるべきです!」と、戦闘機部隊を統率する空中戦闘司令部の司令官は主張したが、金空軍参謀総長は首を横に振った。金は東海に戦闘機部隊を張りつけても、無為な消耗戦にしかならないと考えていた。航空優勢を確保するためには、敵航空基地――小松基地を潰す必要があるが、空軍単独の渡洋爆撃はリスクが大きすぎる。
「対馬諸島への海上輸送の増強が急務だ」
そんな韓国空海軍の苦戦を見ていた大韓民国海兵隊司令部の幕僚達は、直感的にまずいと思った。このままでは対馬諸島周辺海域の航空優勢・海上優勢は、陸海空自衛隊が確保することになるだろう。そうなれば本土・対馬島間の補給線は絶たれ、対馬諸島の防衛を担当する第1海兵師団は孤立する。
「補給線が確保されている現在の内に、少しでも多くの軍需品を対馬島へ送り込むべし」
海兵隊司令部は韓国海軍参謀本部を突っついて、戦車揚陸艦である高峻峰級揚陸艦やチャーターした民間フェリーを追加の海上輸送にあたらせた。韓国海軍側は自衛隊の攻撃を恐れてこうした艦艇・船舶の派遣を渋ったが、海兵隊司令部は「補給がなければ海兵隊は戦わずして対馬島を明け渡すほかない」と啖呵を切ったため、要求を呑むしかなかった。
「本日、大韓民国海兵隊の第1海兵師団第1戦車大隊所属のK1A1主力戦車4輌が、新たにここ比田勝港に到着しました! 御覧の通り、対馬市民もこれを歓迎しています!」
さて、海兵隊の増援は現地の対馬市民によって、熱烈に歓迎された。みな「万歳、万歳」と手を挙げながら、韓国の国旗である太極旗を振っている。だがしかし、その韓国軍を出迎える姿勢とは正反対に表情は固い。
「えー、韓国軍の皆さんが来てくれて、大変嬉しく思います。対馬諸島は歴史的に言って、日本本土よりも韓国との関係の方が深いので、海兵隊の皆さんの到着は心強いです」
広報担当の海兵隊員にマイクを向けられた対馬市在住の日本人男性は、目を泳がせながらそう言った。内容は当然ながら彼が自分で考えたものではなく、事前にこう喋れ、と広報担当者に教えられたコメントである。新たに揚陸された主力戦車の脇で、歓迎の列を作る対馬市民達も同様である。海兵隊によって旗を配布されて並ぶように指示をされたに過ぎない。
彼ら対馬市民は明確な脅し文句を投げかけられたわけではなかったが、にこやかに依頼をしてきた広報担当者の脇には必ず完全武装の海兵隊員達がいた。彼らは自動小銃の銃口を向けることこそなかったが、銃剣をこれ見よがしに着剣しており、鋭い眼光で睨みつけてくる。韓国軍に抵抗した海上保安庁の職員が殺害されただとか、夜に出歩いていた男性がリンチに遭ったといった噂も流れており、協力を断ればどうなるか分かったものではなかった。やむを得ない。
こうした対馬市民による韓国軍を歓迎する様子やインタビューは、全世界に向けてのプロパガンダとして利用される。
「敵航空優勢、海上優勢下での防衛戦を考慮した布陣をとれ」
現状の韓国軍と対馬市民の心的距離は日本国とブラジルほど遠いが、一方で物理的な距離は極めて近かった。韓国空海軍を信用しきっていない海兵隊司令部は、第1戦車大隊をはじめとする第1海兵師団の主力を人口が密集する市街地に駐屯させている。こうしておけば対馬市民が盾となるので、自衛隊機の航空攻撃や護衛艦の艦砲射撃から身を守ることが出来る、というわけだ。
しかし全戦力を市街地や近郊に配置すると水際防御を実施するにあたっては不利になるので、一部の部隊はビーチングが可能な海岸近くに防御陣地を設営している。しかし前述の通り、対馬島自体はリアス式海岸が多く、強襲揚陸が出来る砂浜は少ないので、戦力を張りつけておかなければならない海岸線の距離は短い。防御には有利である。
一方、緒戦で大打撃を被りつつも対馬諸島に残った陸上自衛隊対馬警備隊の隊員達だが、彼らは目立った行動をとることはなかった。
対馬警備隊に所属する過半数の隊員達は韓国軍海兵隊の呼びかけに応じて降伏し、進んで捕虜となった。戦わずして降伏とは情けないと思われるかもしれないが、対馬市街でスパイ活動を実施したり、抵抗活動をしたりすれば、韓国軍は最悪の場合、潜伏する自衛隊員を炙り出すために対馬市民を拷問にかけ、あるいは虐殺するであろう。
韓国陸軍と海兵隊には後ろめたい歴史がある。所謂、ベトナム戦争下における民間人虐殺事件がそれである。ベトナム中部のビンディン省では虐殺事件が頻発し、1966年初頭に発生したタイヴィン虐殺では民間人1004名が殺害されたといわれている。
陸上自衛隊対馬警備隊はレンジャー資格保持者が多い精強部隊であるから、南ベトナム解放民族戦線(所謂ベトコン)の如き抵抗活動を展開しようと思えば出来ないこともない。だがそれが先に述べたような虐殺事件の発生を惹起しかねないのであれば、抵抗活動は避けるべきだ――というのが、隊長の大谷一佐の考えであった。
しかしながら韓国軍に投降していない者もいた。それは島内に実家のある対馬出身の隊員達である。土地勘があって周辺住民と溶け込める上(何せ地元民なのだから当たり前である)、拠点となる家もあれば、協力してくれる家族もいる。
こうした地元出身の隊員達は市井に紛れ、時を待つことにした。
対する韓国軍側がこれを狩りだすことは困難であった。まず対馬駐屯地は灰燼に帰したため、韓国軍側は隊員の名簿等を手に入れることも出来ず、対馬警備隊全隊員の官姓名を把握していなかった。また対馬警備隊に所属する隊員の定数と現在の捕虜の人数に開きがあったとしても、「緒戦の攻撃で多くの死傷者が出た。だから定数の隊員全員が捕虜になることはあり得ないはず」と捕虜の隊員に指摘されれば、頷かざるをえなかった。




