■20.ゴジラ!(後)
「なんだこれはッ!」
6月4日午後15時。大韓民国ソウル特別市大統領官邸(青瓦台)の一室では、怒髪衝天の白大統領が怒号を響かせていた。彼の右手にはフランス新聞社の某紙が握られている。幸か不幸か白大統領をはじめとするその場の人間の多くは、そこに書かれているフランス語を読み解くことは出来なかったが、デカデカと書かれた風刺画の存在を無視することは出来なかった。
その風刺画は、小人が『Godzilla』と書かれている恐竜の尻尾を踏みつけてしまい、目覚めた恐竜に炎を吐きかけられているといったものである。表題は『怪獣王を呼び覚ました愚か者』。これが韓国政府を風刺したイラストであることは、誰の目から見ても明らかであった。
ただ白大統領が激昂している原因は、フランス紙の風刺画だけにあらず。机上に並べられた、今回の壱岐攻略戦の失敗を報告する陸海空軍のレポートにもあった。白大統領にとって此度の敗北は全く以て想定外であったのだろう。
壱岐群島の攻略は大損害と共に失敗した。作戦に投入された韓国海軍水上艦艇4隻は沈没し、約1000名の乗組員の内約300名が死亡あるいは行方不明。残る約700名はみなことごとく海上自衛隊の捕虜となった。合同参謀本部はすぐさま韓国軍内に箝口令を布き、韓国政府もメディアに対する報道管制を実施しようとしたが、人の口に戸は立てられない。その上、日本政府がジュネーブ条約に基づいて捕虜の抑留を実施する旨を、米国政府を介して通知し、さらに国内外のメディアに公表したために、韓国政府がコントロール出来ないところで騒ぎが大きくなってしまった。
「海に沈むべきは青年たちではなく、白大統領だ!」
壱岐群島周辺海域における敗北は、軍事的な敗北に留まるものではなく、政治的にも大きな影響を与えた。
勝利を収めた緒戦の直後には影も形もなかった反戦デモ運動が、壱岐群島攻略作戦の失敗後から都市部を中心に発生し始めている。「息子を無事に家に帰せ」と大書されたプラカードを掲げての行進が行われ、閣僚達の顔が書かれた写真を焼いたり、李国防部長官に似せて作られた人形をハンマーで破壊したりする者も現れた。
デモ活動の中心になっているのは、兵役に現在就いている者の両親や恋人が主であった。特に徴兵対象者の母親達の不満は大きい。災害や北韓の脅威から国土・国民を守るためということで、彼女達は納得して自身の息子を送り出しているわけであって、対日戦に必ずしも賛成しているわけではなかった。大勢の死傷者が続出する戦争ともなれば、戦争反対に傾くのは当たり前のことであろう。
「敗北だと! このままでは歴史的快挙どころか我々は総辞職だ!」
李国防部長官は、任義求合同参謀本部議長から初めて報告を受けたとき、任議長以下制服組高官達の前で怒鳴り散らした。感情的になった彼の言葉であるが、しかしながら、その観測自体は間違ってはいない。このまま戦略的・戦術的敗北が続けば、国務委員はみな総辞職に追いやられるであろう。彼ら国務委員からすれば、日本国自衛隊に対して小さくともよいからどこかで戦術的勝利を収めたいところであった。
「問題は軍事的なそれだけではありません。この低俗な風刺画もどうでもいい」
激昂する白大統領とは対照的に、無表情のまま淡々と切り出したのは外交部長官の許一京である。彼は韓日戦争には反対の立場をとってきた国務委員だったが、開戦を決めた会議には持病の悪化のため参加することが出来なかった。色白の丸顔が、白を通り越して青い。文字通り病的であった。韓国政府が戦争という政治・外交の一手段を採るなど愚の骨頂、というのは彼の持論だが、さりとて職責を投げ出すわけにもいかないため、許はここにいる。
「我々が真剣に討議すべきなのは、外交面に関してだと思います。世安くん、説明を」
「はい」
許外交部長官に促された外交部の人間が、国務委員達に資料を配布した。印刷したばかりのレジュメであるらしく、手に持つとまだ紙が少し温かかった。だが、国務委員達が抱いたそんな一瞬の感想は、すぐに吹き飛んでしまった。
「なッ……こんな情報は事前のレクチャーにはなかったぞ」
狼狽する白大統領に対し、許外交部長官の部下は「10分前に入ってきた情報です」と告げた。李国防部長官を初めとする国務委員達は、唸ったまま言葉を口にすることも出来ない。
■【米国筋情報】国際連合安全保障理事会は近日中に何らかの経済制裁を大韓民国に対して科す模様。
■【米国筋情報】米国は大韓民国に対して、国軍の対馬諸島および朝鮮海峡からの撤退と、対馬諸島を日本国に返還することを求める。この要求が受け容れられない場合は、特定の武器および関連物資の禁輸を実施する。
■大韓民国国家情報院の情報収集により、日本政府内で『オペレーション・ゴジラ』なる軍事作戦が検討されていることが明らかになった。作戦の目標は東海の独島への侵略。現段階では海上自衛隊護衛隊群1個、航空自衛隊飛行隊2個以上の戦力が投入される模様。
「安保理が制裁を……米国政府は我々を見棄てるか」
忌々しげに呟いた白大統領に、「白大統領閣下、お言葉ですが」と許外交部長官の部下が直言する。
「米国政府は我々に対して、開戦時から猛烈な抗議を行い、対馬諸島返還を要求してきました。それでも他方では彼ら自身の極東戦略のためとはいえ、米国政府は安保理で我が国を庇ってくれていました。しかし残念ながら国際世論は、日本国に対して同情的です。抗しきれなくなったのではないですか」
「選択肢は2つあります」
白大統領が何かを言い出す前に許外交部長官が切り出した。選択肢とは言うまでもない。米国政府と国際世論に屈して開戦前の状態に全てを復帰させるか。経済制裁や米国の個別的な経済制裁を耐え忍び、対日戦争を継戦するか。
「閣下、現状でも国内経済は低迷しつつあります」
開戦前後で対日戦争に対して強硬に反対の姿勢を取っていた趙漢九雇用労働部長官が、黙っていられずに口を挟んだ。開戦からわずか4日だが、日本国との輸出入がストップしたために産業の現場では大混乱が発生している。未だ失業問題は顕在化していないが、1月、2月もすれば失業率は右肩上がりの様相を呈するであろう。
だがしかし、結局のところ白大統領と多くの国務委員達は継戦を決めた。前述の通り、白大統領はこの戦争は聖戦であり、他の全てを犠牲にしてでも遂行すべきものだと確信していたからである。
戦争を継続するとなれば、あとの話題は自然と『オペレーション・ゴジラ』への対策の協議となった。独島方面に対する日本国自衛隊の攻撃――独島防衛のシミュレーションは韓国軍内でも開戦前からずっと行われてきたことだ。空海軍を投入し、航空自衛隊・海上自衛隊を洋上で撃滅するのみ。
だがしかし、ここで金空軍参謀総長が反対した。
「我々は戦力を独島方面に振り分けるべきではありません」
何、と李国防部長官が驚きの声を上げるのを無視して、金空軍参謀総長は説明した。
「これは我が空軍・海軍戦力を分散させる、あるいは誘き出して叩くための罠だと思います。“ゴジラ”といういささかセンセーショナルな作戦名も、我々や世間の耳目を惹くためのものではないでしょうか。我々は占領した対馬諸島の防衛に戦力を注ぎこむべきです。二方面に空海軍を振り向ければ、各個撃破の好餌になります」
「純軍事的にはそうかもしれない。だが独島を放棄することは政治的にも、民族の矜持から言っても許されない」
李国防部長官の言に、金空軍参謀総長は(そりゃそうだろうが……)と心の中でぼやいた。独島を棄てることは、政治的な敗北だ。面子が立たない。しかし空軍としては、あまり自信がない。対馬諸島方面の航空作戦だけでも青息吐息なのに、独島方面も同時並行で作戦を実施するのは正直言って苦しい。韓国空軍の早期警戒機は4機しかないから、対馬諸島方面で1機・独島方面で1機を振り分けると予備が2機しか残らない。故障の発生や整備点検を考えると、やりくりは厳しくなるだろう。
しかしながら、その隣の趙海軍参謀総長は「自信があります」と言ってのけた。それを聞いて、金空軍参謀総長は「マジかよ」と小声で呟いた。二方面作戦を強いられることは韓国空軍よりも、韓国海軍の方が苦しいのではないかと思ったからである。
頼みの綱となった朴陸軍参謀総長だが、彼は我関せずといった態度であった。対馬諸島の防衛も大部分は海兵隊が担っているし、独島の警備は地方警察庁の独島警備隊がやっている。増援を出すとしても海兵隊になるだろう。韓国陸軍は今回の韓日戦争にあまり関心がなく、どちらかというと北韓の動きと国内の治安を気にしているようであった。




