第二十一手「僅かな休憩」
席を立ち、吹っ切れたように去って行く聖夜を目で追い、俺は将棋盤へと顔を伏せた。
「……死ぬ」
たった一言漏れた言葉はそれだった。
正直もう全力を使い果たした気がする。もう決勝戦を戦い抜いた気持ちなのにまだ予選なのか……やっぱり、これはもう死ぬ。
「おつかれさま、よく頑張ったわね」
「麗奈……」
先程まで聖夜が座っていた場所にストンと座る麗奈。
「良い将棋だったわよ、師匠」
「麗奈。俺はもう疲れたよ、死ぬ。頭がガンガンして辛い」
「じゃあこれでも食べてなさい」
そう言って麗奈が鞄から取り出したのは瓶詰のラムネ。少しだけ量が減っているのを見ると、常時持ち歩いている様だ。
麗奈は稀に見るラムネガチ勢──というわけではない。
将棋は非常に長い時間、集中力を持続しなければならないボードゲームだ。それは1日の対局で数キロ痩せる人もいるほどで、将棋はそれほどまでに脳のリソースを消費する。
そして人間の脳は、ブドウ糖と言うものを消費することによって集中力を持続している。
何とかして集中力を持続したい、いつもよりも力を発揮したい。そこで登場するのがこれ──ラムネだ。
ラムネはなんと80%程度がブドウ糖で出来ており、最も簡単にブドウ糖を摂取できるお菓子でもある。他にもチョコレートが有名だろう、アーモンドチョコなんかは糖分が少なくブドウ糖を含んでおりオススメだ。
これらは勉強や会社でも非常に役に立つアイテムだが、将棋指しにとっては必須級のアイテムと言っても過言ではない。
しかしブドウ糖は体内に溜め込むことが出来ないので、一気にではなく定期的に摂取するのが一番効率が良い。
麗奈の持っているラムネは特製なのか、視たことのない瓶詰のものだった。
「はい、どうぞ」
麗奈は瓶のふたを開け、ラムネを一つ掴むと俺の前へと差し出してくる。
しかし俺はそれを受け取らずに口を開け、大胆にも全人類の夢である「あーん」を希望した。
「……あー」
「ていっ」
麗奈は躊躇いもなくラムネを飛ばすと、弾かれたラムネが俺の口へと突入する。
パクリ。──レモンが効いててちょっとすっぱい、けどあまい。
「どう?」
「──ん。まぁ気分的にやる気は出たかな、眼福だし」
俺はラムネよりも甘い香りが漂う目の前の存在を凝視する。普段から麗奈の私服姿は見ていたが、外出する時の姿は新鮮味があって可愛い。
「……師匠のえっち」
麗奈はそういってジト目を向ける。
「でもそうね、予選を突破できたらもっとサービスしてもいいわよ?」
「なんて? 聞き取れなかったからもう一回言ってくれ出来れば内容を具体的に」
「難聴系のフリして聞き入ってんじゃないわよ、まぁそれだけ調子戻れば十分ね」
席を立った麗奈に背中を叩かれ、気合を入れられる。
「気を抜かずに頑張るのよ、そして自信だけは持ちなさい」
「ああ、分かった」
自らの頬を叩き、自分でも気合を入れなおす。
「よし」
そういえば聖夜とは感想戦をしなかったが……。まあ勝った試合だし、自分でもどこが悪かったのかある程度察しは付いてるから良いとしよう。
「な、なぁ? あれって前回大会の優勝者じゃないか……?」
「それが天竜と……」
「どうやって出会ったんだあの二人……」
「リア充爆発して将棋盤諸共吹っ飛べ」
……と、奥の方で待機していた選手たちが何やらこそこそと噂を立てている声が聞こえた。
俺はそれらを無視して、目の前の将棋盤に散らばった駒を並べると、そのまま席を立つ。後ろではマイクを持った司会者が次の組み合わせのアナウンスをしているようだった。
俺と聖夜の対局が終わったことで次の組み合わせが決定し、新たな試合が始まるようだ。
「それでは予選第二試合を始めます──!」
指定された席へと向かい、腰を下ろす。
今回の対戦相手も、今までは俺と対戦することに安堵を感じていた選手。
それが今や困惑した表情で俺を見ている。
「「お願いします」」
間を置かずに俺達の挨拶は重なり、振り駒で再び後手になった俺は一礼をしてクロックを押した。
──予選第二試合の開始だ。




