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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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廃墟の殺戮

 重い天秤棒を軽々とぶん回して、逃散百姓の大男が甚吾を狙う。

 甚吾は、その天秤棒の風圧に押されたかのように、ふわりと動いた。

「あ、あ、あ!」

 大男から悲鳴が上がった。

 天秤棒を掴んだ腕が、宙に舞ったのである。

 両腕の肘から下が、すっぱりと断ち切られていた。

 甚吾の避ける動作は斬撃の動作を兼ねる。


 ―― 深甚流『無拍子』


「いつの間にか斬られている」

 ……と、評されるのは、この技法ゆえ。

「野郎!」

 怒号が上がって、錆刀を構えた浪人くずれが斬りかかってくる。

 今度は甚吾は避けもしなかった。

 大上段から叩き下された錆刀は、空振り、地面に切っ先を叩きつけていた。

 斬り合いは怖い。筋肉が強張り、思ったより切先は伸びない。

 なので、「鍔元を叩きつけるつもりで斬れ」と教える流派があるほどだ。

 それでやっと、切っ先が相手に当たるということ。

 すいっと甚吾がそっぽを向いたまま、一刀を横に振るう。

 浪人くずれの首筋がパクッと裂け、太い血管から血が噴出する。

 錆刀を放り投げて、浪人くずれは首筋を押えながら走り出した。

 まるで、頭を落とされた鶏が駆けるかの様に。

 板塀にぶつかって、これを蹴り倒し、同時に力尽きたのか、ばったりと倒れる。

 あまりの滑稽さに、屋根の上で権太が笑い転げた。

 匕首を腰だめにして、甚吾の前後から二人の河原者が突きかけてくる。

 甚吾は、首筋を斬られた浪人が落とした地面の錆刀を蹴り上げて空中で掴み取り、無造作に投擲する。

 同時に、くるりと反対を向き、袈裟懸に刀を振り抜いた。

 甚吾の正面から駆けてきた河原者は、投げられた錆刀に貫かれてくたくたと座り込み、背後から突いてきた河原者の上半身は斜めにズレて両断されている。

 一瞬の出来事だった。

 そのまま、甚吾が跳ぶ。

 その甚吾の背後を守るように、手拭いで顔の下半分を覆った露木がずいっと前に出る。

 甚吾の背後を襲うつもりだった数人の前に、露木が立ちふさがった。

 そして、恐れ気もなく、軽やかに足を踏み出した。

 鯉口は切っている。

 右手が、柄に被さっていた。

 薪雑棒を叩き下してきた河原者をひょいと躱すと、独楽のように一回転する。

 いつの間に抜いたか、露木の一刀は振り抜かれ、脾腹を切り裂いていた。

 カクンと進行方向を変えて、もう一回転。

 漁師が使うような銛を構えていた男の首がポロリと落ちる。

「椿一刀流『曲舞くせまい』」

 ふっふと笑いながら、露木が呟く。

 林崎流抜刀術を基に、彼が我流で編み出した刀法が『椿一刀流』だった。

 体を一回転させるのは、外連ではない。

 刀法は、『当て・引き・振る』が一連の動作になる。

 それに、足の運びや体重の移動が加わり、そこに各流派の工夫があった。

 露木玉三郎の解は『引き斬る動作』と『移動』を兼ねること。

 体ごと刀をぶん回せば、自然と引き斬る動作になる。そして、旋風が流れるかのように移動すれば、一カ所に留まることもない。

 加えて、横に振ることによって、敵の回避行動は『跳び下がる』のみとなり、反撃がやりにくいということもある。

 回避行動が斬撃を兼ねるのが深甚流の『無拍子』なら、椿一刀流の『曲舞』は『無拍子』の一種なのかもしれない。

 敵勢が怯んで、間合いが広まった隙に、ビュンと血振をして露木が納刀する。

 得物を構えて集まってきた無法者の中に、甚吾が駆け込む。

 混乱が起きていた。

 甚吾に向おうとする者、逃げようとする者、それらがぶつかって、両方身動きが取れないのだ。

 一方、甚吾にとっては、刃が届く殺傷圏内の者は全部敵だ。

 縦横に刀が舞う。手首が飛び、首が落ち、肉が裂かれた。

 まるで刃で出来た旋風が走っているかのよう。

「さすが、師匠。強制的に死地を創りますか。えげつないわぁ、深甚流」

 露木が、うっとりと甚吾を見送って、わずかに腰を落とす。

 脇差をぶんまわしてきた、河原者を見ないで躱し、くるりと独楽のように回った。

 いつの間にか抜刀した一刀に河原者は存分に腹を裂かれ、声なき悲鳴を上げてばったりと倒れる。

「やばい、『虚』真似してみたけど、怖くてチビりそう」

 気配だけを研ぎ澄ませ、自動迎撃するのが、深甚流奥義『うつろ』。

「見よう見まねでやってみたけど、無理よ、こんなの」

 刃も観ない。相手も観ない。直感だけで相手の動きを察知し、時間差無しで迎撃する。

 どれほどの修練を積めば、こんな鬼を喰らう羅刹の業を使えるようになるというのか?

「まだまだ、あたしじゃ師匠は斬れないわぁ」

 昏い笑みが、露木の眼に走った。

「でも…… いつか…… きっと」

 また、ビュンと血振りして納刀する。

 びちゃっと地面に刀身の血が払い落とされていた。


 屋根の上で、瓦走りの権太は退屈していた。

 力量の差がありすぎて、甚吾を見ていて危機感を感じないのだ。

「あの時は、よかった……」

 花のように美しい少女が、甚吾と殺し合いをした冬の夜を思い出す。

 甚吾の無表情が、思わず歪むほどの強敵だった。

 美しいモノが、死に穢され散る。

 強いモノが、無残に毀れる。

 幸せとか、愛とか、希望が、なすすべもなく砕けてしまう。

 その瞬間が、権太は好きだ。大好きなのだ。

 ここには、それが無い。

 人が死ぬ。その裏に、様々な人生があり、ブツンと断ちきられるのは残酷だ。

 だが、ここの連中は単なる人生の落伍者で、権太から見るとつまらない。

 同じ悪党でも、七死党は面白かった。勃起した。

 人質になっていた女が全裸のまま、狂ったように甚吾に飛びかかった瞬間は、本当に良かった。

 ごんと音を立てて、美形の人妻の首が落ちたところなど、感動モノだった。

 この現場にはそれがない。思わず、欠伸が出る。

 それが、一瞬止まった。


 ――誰か、観察していやがる。


 殺戮の場に意識を向けていない権太だからこそ、分かった。

 彼は盗人だった時から、臆病な鼠なみに気配には人一倍敏感なのだ。

 甚吾が一目置く程に。

 さりげなく、欠伸を継続する。

 一瞬固着してしまった事は失策だった。


 ――ちぃっ! 悟られた!


 権太が屋根から跳ぶ。

 並外れた跳躍力は、権太の特技。

 もう、演技は必要ない。

 全速力で、屋根の上を駆ける。


 ――見えた!


 ひょろ長いノッポが、権太並みの身軽さで、屋根の上を走っているのが。


 ――野郎! いつから見ていやがった!


 多分、最初からだ。この場を演出したのも、おそらくコイツ。

 それが、権太には理解できていた。


 ――気が付かなかった。


 甚吾の『物見』を自負している権太の、密かな誇りが傷付く。

 ちらっと、ノッポが肩越しに権太を見る。

 同時に右手が霞んだ。

「危ねぇ!」

 がばっと、権太が伏せた。

 そのすぐ頭上を、ピイインと唸りを上げて円盤状の鉄片が飛んだ。

 権太にはわからなかったが、海外との密貿易が盛んな薩摩あたりでは、この武器を知る者もいよう。

 天竺あたりの暗器『チャクラム』だ。鉄の輪の外側に刃が付いた飛び道具である。

「くそっ!」

 罵りながら飛び起きた時は、もう遅かった。

 権太も舌を巻く程早く、ノッポは走り去ってしまっていたのだ。

 鮮やかな撤収だった。


 廃墟の中心は、屍の山だった。

 数を恃みに甚吾と露木を押しつぶそうとした無法者の半数は斬られ、半数は算を乱して逃げてしまった。

 追いかけて斬る程の事もない。甚吾は、降りかかった火の粉を払ったに過ぎないのだから。

 血振りをし、丁寧にボロ布で刀身を拭う。

 こうしないと、鞘の中が血脂で汚れ、刀が錆びる。

 まだ息がある連中に、留めを差して回っていた露木が甚吾の脇に立つ。

 これほどの殺戮の場にあって、二人とも殆ど返り血を浴びていないのが異様だった。

「どうします? こいつら?」

 身ぐるみ剥がされ、下帯一つのまま、ふん縛られて地面に二人の男が転がっている。

 無偏辺組の膝下に屈した魚黙過組を抜け、夜刀神の暗殺を謀った元・博徒の二人、安二郎と美濃吉だ。

 組を抜けたのは、反逆が発覚した時に、組に迷惑をかけないための偽装。

「どうするも何も、こいつらを連行するのが、仕事内容だろう? つれて行くさ」

 拭い終わった刀を納刀し、ぶらぶらと甚吾が歩きはじめる。

 連行は自分の役目ではないと決めつけた動きだった。

 若い美濃吉の腰のあたりに、ねっとりとした視線を送っていた露木が、びゅんと刀を血振りをし、納刀する。

 それだけで、ボロボロに殴り回されていた安二郎と美濃吉は竦み上がってしまう。

 目の前で、甚吾と露木の、まるで剣鬼が暴れ回った様な斬り合いを見ていたのだ。

 抵抗の意志など、とっくに消え失せてしまっている。

 露木が、必要以上に美濃吉の肌に触れながら、二人を引きずり立たせる。

「ねぇ、この子、持って帰っちゃダメ?」

 美濃吉の尻を撫でながら露木が言う。

「ダメに決まっているだろう。夜刀神の所に届ける。その後の事は、あいつらが決める事だ」

 にべもなく、甚吾が言う。

「ああ、解体されちゃう。可愛いのに、惜しいわぁ」

 縛られたままの二人を、蹴りながら前に追いやり、露木が呟いた。

 露木の言葉の意味を理解して、二人が肩を落とした。

 夜刀神に逆らった者の末路は、理解していた。残虐で速やかな反撃は、語り草だ。

「刀、錆びてしまわないか?」

 歩きながら甚吾が言う。

「へ?」

 甚吾が、露木に何かを訊ねるのは、かなり珍しい事だ。

「刀身も拭わず、納刀したよね」

 左右にキョロキョロと見回して、ボロボロの二人以外は、死体しかない事を確認し、露木はポカンと口を開けた。

「あ、え、でゅふ、鞘、鞘にね、工夫がありゅのでふ」

 じどろもどろになりながら、露木が答えた。

 甚吾が興味を持ってくれたことが嬉しすぎて、二枚目役者に話しかけられた未通娘のように、舞い上がってしまっていた。権太に自慢しなければ。

 コホンと咳払いして、気を落ち着かせ、

こじりたが鯉口こいくちで鞘を固定しているんですけど、簡単に外せて、鞘を分解できるようになっているのです。実は、鞘の内側にも漆が塗られていて、あ、これは、自分で何回か塗り直しているんですけど、簡単に水で血を洗い流せる工夫がされているんです。納刀から抜刀までが、抜刀術だし、いちいち戦闘中に刀身拭えないし、そういう工夫なのです。鞘師には、木地のままじゃないと吸湿しないよって言われたんですけど、普段家にいるときは、白鞘に入れ替えて保存しているから大丈夫なのです。今度お見せしましょうか?」

 早口でべらべらとまくしたてたのは、嬉しさゆえか。

「そこまでしなくていいよ」

 興味が無さそうな甚吾の一言で、露木はしゅんとなった。

 そして、八つ当たり君に安二郎が蹴られていた。

  

 

 

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