掃き溜め
権太が定期的に上げる黒煙を目印に、甚吾と露木が廃屋街を行く。
人が住んでいようが、壁があろうが、構わずに直線的な移動をしている。
ずけずけと土足のまま家に上がりこまれて「なんだてめぇ」と凄もうとする者もいたが、甚吾が一瞥しただけで黙り込んでしまうのが常だった。
そもそも彼らも、不法に建てられた長屋に勝手に住み着いているだけで、居住権もくそもないのだが。
「生臭ぁい、汗臭ぁい、獣臭ぁい」
泣きごとを言っているのは、露木だった。甚吾はそれを全く無視し、権太の痕跡を追尾している。
慌てる事無く、ひたすら甚吾は進む。
キンという鍔鳴りを響かせ、抜く手も見せぬ抜刀で板塀を斬り、蹴倒して進んでゆく。
得体の知れぬ悪臭を放つ汚泥が、露木の伊達な雪駄にはねて、「ひぃ」という悲鳴が上がる。
「煩いぞ、露木。帰れ」
「弟子は師匠についてゆくものです」
「では、口をつぐめ」
「……はい」
いつの間にか、権太が後ろについて来ていた。
屋根から、飛び降りてきたのだろう。
「標的は、この先に居ます。ここに住む、無法者にとっつかまってますぜ」
手の甲をさすりながら、甚吾に言う。鼠じみた仕草だが、それが権太の癖だ。
「承知した」
甚吾が、板塀を蹴り倒しながら進む。
げんなり顔の露木が続く。
権太は、報告を終えるとまた屋根にひらりと飛び移ってしまった。
荒事に出番はないと、自分で理解しているのだ。
じめじめと湿った地面に、ボロ布のように転がっているのは、安二郎と美濃吉だった。
身ぐるみは剥がされ、下帯一つという姿である。
髪はざんばらに解け、顔面は殴打されて腫れ上がっていた。
この二人を囲むようにして立っているのは、十人ほどの無法者たちだった。
逃散した百姓、食い詰めた河原者、何らかの理由で陽の下を歩けなくなった浪人、そういった連中だ。
「もう、死んでる。任務完了でいいんじゃないかしら?」
香を焚き込んだ手拭いで、鼻と口を覆った露木が言う。
「いや、まだ生きてる。コイツを殺さないと、我々の仕事は終わらんよ」
無法者は、これだけではない。
あちこちの暗がりから、掬い上げる様な眼で、闖入者である甚吾と露木を睨みつけている。
ここは、彼らの縄張りだ。治安の手は届かない。そして、彼らが法だった。
「そいつを、渡して欲しいんだがね」
面倒くさそうに甚吾が言う。
ぞわっと殺気が漏れる。
人殺しなど、なんとも思っていない凶悪な連中だ。
棍棒や匕首、錆刀を手に、長屋と長屋の間にぽっかりと出来た三間四方の空間に、無法者が押し寄せてくる。
「こいつは、髪や歯に至るまで、俺たちのものだ」
天秤棒を担ぎ、元の色が分からないほど汚れた着流しを、だらしなく着た男が言う。
ぼりぼりと搔いた髪からは、雪の様にフケが降る。
小さな悲鳴を露木が飲み込む。
「大人しく渡せば、誰も死ななくて済む」
左手で鍔元ろ掴み、一刀を寛がせながら、甚吾が言う。
露木も、肩の刀を帯に手挟み、下げ緒をさばいて帯に巻きつけた。
「ここは、俺たちが法だ。他所モンが、デカい口叩きやがって。帰れサンピン」
居並ぶ無法者の誰かが凄む。
甚吾が失笑した。
「救いがたい馬鹿だな。地の利と数を恃んで、目が曇っている」
本来、河原者や無法者は粛清を恐れて、暴れ回らない。
小さな犯罪ばかりを繰り返す。
だが、この場では全員が味方だ。気も大きくなる。
甚吾が、途方に暮れたように、俯いて地面を見た。
表情が抜け落ちてゆく。
それを、弱気と見たか、包囲の輪は狭まった。
だが、違う。
深甚流唯一の構え『虚』だった。




