大足組
深更、浅草寺裏手にある宿坊に、七人の男の姿があった。
暗灰色の合羽に三度笠。脚絆で足元を固め、腰には大小。その柄には、錦地の洒落た柄袋。
ここは、江戸に進出している上州博徒のまとめ役、赤光一家の本拠地である。
腕組みして仁王立ち、そうやって彼らを出迎えたのは、赤光一家の江戸支店を任されている朽縄の五郎左だった。
七人が、三度笠を取って腰裏に回し、膝を折って口上を述べようとするのを、破顔して五郎左が止める。
「まぁまぁ、いいじゃねぇか、兄弟。我らは身内だぜ。遠路はるばる、ご苦労だった」
この七人の首領格らしき者が、にやりと笑う。
「いちいち、『おひけぇなすって』は面倒くさいので、助かるぜ」
この男、赤光一家の配下『大足組』の組長、寺田文衛門という。
もともとは、上州の郷士。寺田家は、半農半兵の地域密着の民兵みたいな役割を担っていた家で、時の支配者からの兵役、野盗、山賊からの警備を一手で担う代わりに、殆どの百姓仕事を肩代わりしてもらっていた家柄だった。
やがて、上州の主要産業が養蚕に切り替わったことで「農」の部分が切り離されて職業軍人となり、資金が潤沢な博徒に雇われる様になる。今は赤光一家専属だ。
『組』を名乗っているが、賭場は開かない。
博徒というよりは、金で雇われる傭兵稼業みたいなものだ。
戦争が職業ということで、郎党は全て六尺を越える大男。ゆえにつけられた名前が『大足組』という。
組長の文衛門自身も六尺男であった。
「湯船も用意してある。まずは、旅塵を落としてくれ」
「おう、風呂か。何よりだ」
無言のままうっそりと立つ六人の配下に文衛門が顎をしゃくる。本日は解散ということらしい。
彼らは三度笠と合羽を脱ぎ、江戸赤光一家の三下がかいがいしく用意した洗い桶を使って、足を濯いだりしていた。
「宿坊の一角を、専用で使ってくれ。小間使いも人数分用意した。後腐れのない女どもだ。好きにしていい。酒も飯も世話役の三下に行ってくれれば、すぐに用意させる。江戸の水は、くそ不味いが、それは我慢してくれ」
文衛門を自ら中庭に案内しながら、五郎左が言う。
実は、五郎左は文衛門と同郷だった。幼馴染というやつだ。なので文衛門の癖を知っている。
この男は、新しい場所に到着すると、地形確認から始めるのだ。
建物の構造、庭の配置、何かあったらどう動くか、攻め込むとしたら何処からか、そういった事柄でを、頭に叩き込む。
どっしりと胡坐をかいた鼻を、文衛門がひくつかせた。
寺田家を継いでから髭を蓄えたので、鍾馗様の画に似ている。
「磯くせぇな」
そういって笑う。怖い顔なので、子供ならひきつけを起こしそうな顔だ。
「江戸は埋め立て地だからな。だから、井戸水も磯くせぇ。上州の水が恋しいぜ」
五郎左が答える。彼もまた、まるで蛇が人間の顔を被ったような面相なので、笑っても怖い。
「それはそうと、文衛門。貸元の護りの要が、地元から抜けちゃあ、手薄にならねぇか?」
踏査に満足したのか、中庭に面した濡れ縁に腰かけた文衛門に五郎左が言う。
「赤光一家は、無偏辺組との出入りで、他の貸元さんたちに『貸し』を作った状況だ。しばらくは、上州内部で大きな抗争はないという読み。あとは暗殺の心配だが、貸元はもう通口先生の後釜を見繕ったみたいだぜ」
通口定正の病が重篤とみて、あっという間に切り捨てたか。
貸元と通口の間には、敬意と友情があったような気がしたが、さすが赤城山光三郎だ。見事なまでの割り切りかた。
まぁ、そうでもなければ、過当競争となっている上州博徒で、一家は張っていられない。
「で、そいつは誰でぇ?」
文衛門が顔を曇らせる。
「なんでも、行き倒れを保護したらしい。若い侍だとしか、わからん。額から右目の眼尻にかけて、古い刀傷があったな。薄気味悪い野郎だったよ」
名前すら知らないその侍が、通口ほど使えるといいのだが、貸元の目は節穴ではない。
手薄になった本拠地が心配だったが、今は江戸の大勢をこっちに引き込む方が先決だ。そのために兵力を増強したのだから。
「組の殆どは地元に残しておいたし、兼本副長はしっかり者だ。大丈夫だよ」
五郎左の心配を察して、文衛門が言う。
寺田家の祖は鹿島神社の神官の裔。ゆえに、鹿島系列の剣術を使う。いわゆる『関東七流』だ。
そのうちの一つ『良移流』が寺田家に伝わっていた。
大足組は、まるで剣術道場のようなもので、構成員はすべて門下生である。この組織の運用資金は、雇い主が負担。今は赤光一家が面倒を見ている。
門下生の数は多い。七人~十人編成で一隊。それが十番隊まである。
今回、文衛門が連れてきたのは、最精鋭の一番隊。
一番隊長は吉井金五郎。
元は、赤光組の警備担当の三下『張番』金五郎だった。今は、『良移流』をもじって『吉井』と名乗り、両刀差の剣客の装いだ。
金五郎は勘働きも度胸もあったので、光三郎が『馬庭念流』道場に通わせて、『切紙』の腕。
そのうえで、文衛門の下で『良移流』を学んでいる。文衛門が最も信頼する配下だ。
「で、俺は何をするんだ?」
欠伸をかみ殺した声で、文衛門が言う。
「暴れる事。無差別で、敵対組織の連中を殺す事。江戸を引っ掻き回せばいい」
五郎左が答える。じょりじょりと掌で顎髭を擦りながら、低い声で文衛門が笑う。
「ああ、そいつはまったく、俺向きの仕事だ。明日からさっそく始めよう」
離れが騒がしい。
平良宗重が渋面を作り、勇魚が舌打ちして、障子を閉めた。
女の悲鳴。そして、嬌声。あからさまな喘ぎ声も聞こえる。
奴隷狩りの船中に監禁され、昼夜を問わない凌辱を受けた勇魚がムカついていた。
「大足組を呼び寄せたみたいですね」
静かな寝息を立てる通口定正に、綿入れをかけてやり、額に浮かんだ油汗を手拭いで清拭しながら平良が言う。
「けっ! あの、ウドの大木どもか。大暴れ前に、女をあてがいやがったな、五郎左の野郎」
借金のカタで拉致した女や、上客をもてなすための商売女などの女を幾人か江戸赤光一家は抱えている。
悲鳴は素人女、嬌声や喘ぎ声は商売女ということ。
気味が悪いのは、男たちの声が聞えないこと。笑い声も、話し声も。それが、『大足組』の特徴であり、不気味さだ。
寺田文衛門組長以下、博徒より厳格な身分制度があり、上位者の許可なく放屁も出来ない。
「五郎左さん、こっちが動かないので、痺れを切らしましたね。江戸に、血の雨が降りますよ」
すぅっと目を細めて、平良が笑う。
「こんな場所、雨が降ろうが槍が降ろうが、知ったこっちゃねぇや」
勇魚がふんと鼻を鳴らして吐き捨てる。
平良は渋面を作って
「脚を広げて座らない。それに、言葉、乱暴です」
と、勇魚を窘める。勇魚が、舌打ちでそれに答えた。
「師匠……苦しそうだな……」
通口は編み込んだ髪を、今は解いている。
編んだ癖がついて波打った髪を勇魚が撫でながらポツリと言う。
「出来物に体の内部を喰われる病らしいです。苦しいでしょうね」
百目蝋燭が、微風に揺れた。
蝋燭は贅沢品だが、客人として五郎左は通口の宿坊に提供してくれていた。
普通は魚油を使った行燈が使われるが、通口は油の燃焼する臭いが辛いということもある。
「草深甚吾と、どうしても仕合うつもりでしょうか」
平良が手で百目蝋燭を包んで、炎を安定させながら言った。
「師匠は、言い出したら聞かねェよ」
「そうですね」
しばしの沈黙が流れた。
平良の顔が怖い。普段は微笑の中に表情を隠しているが、今は違う。
「あれは……あれは、化物の類でした。師匠と戦わせるわけにはいきません」
一度、平良は甚吾に暗殺を仕掛けたことがある。
薩摩の密偵として剣術に傾倒し、赴任先の琉球で体術を学んだ平良が、かすり傷一つ負わせることが出来なかった。
「大足組が来ました。これを奇禍として、もう一度、草深甚吾に仕掛けましょう。命は、捨てます。それほどの相手ですよ」
ふんと、勇魚が鼻を鳴らした。
「こちとら、まともに布団の上で死ねるとは、最初から思ってねェよ。師匠の為に、この命使えるなら本望さ」
熾烈な諜報戦が、相州小田原の金城一家の江戸支部と、無偏辺組との間で繰り広げられていた。
相州博徒と江戸土着の田舎博徒の紛争だが、その実態は、北条に仕えた風魔衆と武田に仕えた甲州忍との暗闘だ。
ともに主君を失い、下野して野盗に落ちぶれたが、今は博徒に雇われて暗殺や偵察を担っている。
外部への体面を保つための『出入り』は終わった。
今は、構成員を少しづつ削り合う暗闘へと軸足を移しつつあった。
幹部の足取りを追い、待ち伏せして殺す。
人質を取ったり、弱みを握ったりして、離反させる。
賭場に無頼漢を送り込んで、荒らす。
かつてない、緊張感が賭場全体を覆っていた。
それでも、荒くれた江戸の街では小銭をもった市民が賭場に向かう。
金が集まるところに、社会の暗部も、銭の匂いに惹かれて集まる。
売春、高利貸、両替屋、酒、そういった産業たち。
表には出ないが、材木商もこれに絡んできている。
材木商は、江戸の工事を請け負う。
江戸の工事には、大量の人員が動員され、それに支払う給金も膨大だ。
それを、少しでも回収する仕組みが『賭博』なのだ。
材木商が、自分たちが抱えている現場を、賭場として貸し出す。
寺社がやっている『テラ銭』と同じだ。
給金をもった労働者が、材木商に『テラ銭』として返金しているようなもの。
細々とおこなわれていたこの仕組みを、大規模にして、材木商に持ちかけたのが、夜刀神だ。
無偏辺組は、もともと、自分の寺で賭場を開いていた、ナマグサ坊主が貸元。
寺や神社にしがらみがないのも、新しい仕組みを大規模に行う下地になっていた。
江戸の大規模普請が終われば、この仕組みは衰退してしまうが、十年近くは都市計画は進み続ける。
その間に、荒稼ぎをしつつ、競合組織をツブし、江戸の暗部に流れる銭を統合しようというのが、夜刀神……しいては、その背後いる官僚の元締め大久保長安の狙いだ。
これは、豊臣方の莫大な資金力とそれを支える豪商たちとの『銭の戦争』の歯車の一つでもある。
そこまでいくと、現場指揮官である夜刀神には、どのような絵図面が描かれているのか計りかねるところではある。
数式だけでは、駄目。
これは、短期間に夜刀神が学んだ事。
暴力の行使も必要で、机上で算盤を弾いているだけでは分からなかったことだ。
今、無偏辺組はその洗礼を受けていた。




