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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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道場剣法

 深夜、月光が降り注ぐなか、神奈川湊から荷卸しされた木箱が、三台の荷車に積み替えられて神奈川宿に向かう道をゆく。夜中の移動などいかにも怪しいが、その怪しさこそ、この荷駄隊の目的だった。

 これは、小田原金城一家が仕立てた『囮部隊』。

 本物の金塊移送部隊と目される本隊は、十六もある神奈川湊周辺の小さな湊の一つ、塩沢湊から川舟に移し替えられて、神奈川宿を目指しているはずだ。

 もっとも、この作戦を立案、実行した 九兵衛 は、金塊の輸送という情報自体が小田原金城一家による欺瞞作戦だと踏んでいる。

 だが、これを襲撃しないと、

 『無偏辺組は弱気である』

 ……と、宣伝され、江戸に巣食う賭博利権談合を構築しようとしていた金城一家の株があがってしまう。

 どん底から、やっと勢力を拡大しつつある無偏辺組にとっては、避けたい事態だ。

 金城一家の相州博徒だけでなく、上州博徒、武州博徒、遠州博徒などの勢力が、今後、確実に巨大化することが確定している江戸に、組織の未来をかけて精鋭を送り込んで来ているのだから。


 この金塊輸送作戦が欺瞞作戦ならば、神奈川湊からの荷駄隊は、『欺瞞作戦のための欺瞞作戦』ということになり、少々ややこしい。金城一家が罠を「もっともらしく」見えるように、神奈川湊からの荷駄隊を編成し、無偏辺組は「いかにも単純に罠に喰いついた」ように見えるよう、荷駄隊を襲わないといけない。

 だが結論は一つ。皆殺だ。

 博徒の言うところの『男をあげる』ためには、刃傷沙汰は避けられない。

 荷駄隊襲撃に選ばれたのは、無偏辺組直属の博徒。

 これは、甲州忍が成りすましている者たち。これが五名ほど。

 そして、九兵衛 の祐筆兼監視役を務める 桜井 平八郎 という若き官僚。

 用心棒として、七死党の生き残り 露木 玉三郎 が加わっている。

 合計七名の襲撃部隊だが、いずれも腕に覚えがあるつわものだ。

 元服を終え、前髪を落としたばかりの 平八郎 も、この若さで奥山神影流の免許皆伝の腕前であった。

 形の上では、九兵衛 の名代である 平八郎 がこの別働隊の指揮官だが、自分が『お飾り』なのは 平八郎 自身理解している。

 なので、襲撃の段取りを『提案』という形式で話してきた博徒に、否やはなかった。

 敵は人足を入れて十五名ほど。

 遠目に観察したところ、日焼けもしていないし、筋肉のつきかたが、肉体労働者のそれではないので、「おそらく浪人どもが化けているのだろう」と、博徒を演じている甲州忍が言う。

 襲撃地点は丘陵と河岸段丘によって、狭隘地を形成する場所。

 狭い地形の方が、大人数の有利さを生かせないから。

 人数だけ見れば、敵は倍である。

「うちら五人で行く手を塞ぎます。平八郎 さんと 玉三郎 さんは、後方から追い立ててくだせ」

 狭い場所で、前後から挟撃するという作戦だった。

 勝利条件は、荷駄隊が神奈川宿に到達しないこと。そのため、主力は進路を塞ぐことにして、平八郎 と玉三郎 は攪乱。言い方を変えれば、捨て駒だ。

 ぶるっと、平八郎 の背中に震えが走る。これが、『武者震むしゃぶるい』である事にきがついたのは、しばらくたった後だった。


 頭に鉢金を巻く。鉢巻きに金属板を縫い付けただけの簡易兜だ。

 襷がけをする。袖に柄頭がひっかからないよう、腕まくりしてそれを固定した形である。

 袴は股立ちを高くとった。裾を踏まないように帯にたくし込んで裾を短くしたのだが、露木 玉三郎 は、ふふふ……と笑って、手拭いを細長く裂き、それを脚絆の様にして袴の裾を内側に収めつつ 平八郎 の足首に巻いてくれた。

 簡易伊賀袴みたいなものだ。

「道場での試合じゃないんだから。まぁ、凛々しくて素敵だけども」

 そろりと完成した 平八郎 の足元を撫でながら言う。

 そういう自分は、黒白の矢絣模様の着流しに暗灰色の羽織はおりという、刀を差していなければ、大店の若旦那がふらりと夜の散歩に出たかのような服装だった。

 支度と言えば、雪駄から革を編み込んだ草履に替えたくらい。

「緊張しなくていいの。あたしが、まもってあげる」

 玉三郎 の、ねっとりとした視線がうっとおしい。

 美形だけあって、平八郎 は今までにも男色趣味の輩に言い寄られた事はあるが、その中でも、この 玉三郎 が一番気持ちがわるかった。

「無礼な。自分の身は自分で守れます」

 思わず 平八郎 が言い返す。

 それを聞いて、玉三郎 が薄く笑ったようだった。

「あらあら。頼もしいこと」

 二人が隠れている草叢から、神奈川湊と神奈川宿を結ぶ道路を三台の荷車と人足たちが逝くのが見えた。

 通過するのを待って、送り狼よろしく、その後を十分距離を取って追尾する。

 平八郎 の喉が、カラカラに乾いていた。

 固く鍔元を握っていないと、手が震えてしまいそうだった。

 対して、つるんとした役者顔の 玉三郎 は、鼻歌なんぞを歌いながら気楽に歩いている。


 怒号が上がったのは、突然だった。

 狭隘地に入った荷駄隊の行方を、無偏辺組の博徒五人が塞いだのだろう。

「む」

 一声呻いて、平八郎 が走り出しかけた。

 それを、玉三郎 が止める。

「慌てなくていいの」

 などと言って、歩く速度を変えない。

 通常の刀より、三寸ほども長い変則的な刀の柄に左腕の肘を乗せたまま、手をかけることさえしない。

 さすがに、右腕は懐手から出したが。

「臆したか、玉三郎!」

 叱咤の口調で 平八郎 が言う。

 頭に血が上っていた。

「初陣は、経験者に従うものよ」

 そんなことをうそぶいて、ころころと 玉三郎 が笑った。

 焦る 平八郎 を尻目にのんびり歩いていた玉三郎だが、三人ほど抜身を引っ提げて走ってきた人足を見て、やっと足を止めた。

「まずは、あの三人」

 玉三郎 の左手が刀の鍔元を握り、刀を寛がせる。

 右手は、そっと柄に被せていた。

 平八郎 は、腰間の一刀をすっぱ抜く。

 備中住びっちゅうじゅう青江あおえ派の作刀。南北朝時代に鍛造されたものだった。

 無銘ながら、桜井家当主が代々受け継いてきた刀で、刃紋は直刃、地金は板目に杢目混じる飾り気のないものだが、頑丈だ。切れ味もいい。

 佐久衆として戦場を駆け巡った父の遺刀で、どんなに貧しくとも手放さなかった一振であった。

 今、またそれが実戦で使用される。

 湊と宿を結ぶ幹線道路の上に、 桜井 平八郎 と 露木 玉三郎 が立つ。

 走ってきた三人は、隊列の前方で起きた闘争に魂消て、逃げてきた浪人だった。

 備中青江を、構える。

 何度も何度も道場で反復した中段正眼。

 やや、前のめりなのは、平八郎 の癖だ。


「攻めの『気』が前面に出過ぎる」


 師範代に注意されていたが、直らない。


 ―― 力の無い奴は喰われる


 その想いを胸に、力を蓄え続けてきた。

 

 ―― 剣は力の象徴


 そう、思い定めている 平八郎 は攻め『気』のどこが悪いのかと、無意識に考えていたのかもしれない。

 湊と宿を結ぶ幹線道路上の 平八郎、玉三郎 の姿を認めても、逃亡してきた浪人の足は止まらない。

 むしろ、そこを突破するために、一層足を速めてくる。

 それでも、玉三郎 は、やや腰を落としただけ。

 初めて型稽古以外で白刃を構え合った 平八郎 は、「まずいな」と、思いながら肩に力が入ってしまうのを意識していた。

 余計な力が入ると、動きが堅くなる。足運びがぎこちなくなる。

 じわじわと、焦りが 平八郎 の胸を焼いた。

 浪人たちが走ってくる。

 元は彼らは戦場働きをしていた雑兵ども。

 命のやり取りには慣れている。

 叫ぶ。怯むと動きが止まる。その呪縛を破るには、声を張るしかない。

 浪人たちは、それを知っているのだ。

 平八郎 も、知識としては、その事を知っていた。

 だから、声を出そうとしたが、出ない。

「あ、あ、あ、あ……」

 誰かがどこかで情けない泣き声を上げていると思ったら、自分の声だった。

 目を剥き、絶叫を上げて、三人が走ってくる。

 月光に白刃がギラギラと光る。

 構える備中青江が急に重くなったかのように思えて、平八郎 の手が震えた。


 ―― くそ! くそ! くそ! 止まれ!


 痛みに似た痺れが背骨を走る。

 それで、平八郎は理解できた。


 『私は、怯えているのだ』


 ゆらり……と、露木 玉三郎 が平八郎の前に出る。まるで、平八郎 の怯えを察知し、庇うかのように。

 玉三郎の腰が、すうぅ……っと沈んだ。いわゆる『居合腰』である。

「退け! 退け!」

 刀をぶん回して、浪人が斬り込んできた。彼らも生き残るために必死である。

 玉三郎 が、その白刃を潜り、独楽のように一回転して斜め前に跳ぶ。

 とっと……と、数歩その浪人は走り、足を止めた。いつの間に抜刀したのか、玉三郎 の手には抜身。

 浪人の首だけが、ごろりと前に転げ落ち、首なしの胴は横倒しに倒れる。

 その首は、平八郎 の足元まで転がってきた。

 まるで、群れに警報を出す猿のような絶叫を上げて、もう一人の浪人が斬り込んでくる。

 剣術の「け」の字もない、薪雑把まきざっぽうを振り回すような太刀使いだった。

 玉三郎 は、少し身を逸らしただけでその切先を躱し、ひょいと血刀を薙ぎ上げる。

 サクッと、浪人の首筋が裂け、大道芸人の水芸の様に、首から血が噴出した。

 掠れた笛の音のようなモノは、気管が切断され空気が漏れているから。

 これを、虎落笛もがりぶえというらしい。

 雅な名前だが、実際に聞くと、吐き気を催す雑音だ。

 その虎落笛を聞きながら、足元に転がってきた生首を 平八郎 は見ていた。

 一度だけその生首は瞬きをして、表情が抜け落ちる。


 ―― 死んだ……


 それが、はっきりと判る形で目の前に示されたのだ。

 平八郎 は、巻き藁を斬るのが誰よりも上手だった。

 刃筋が通っているから、切断面がきれいだと言われていた。

 イナゴの様な素早く深く間合いを跳ぶと讃えられていた。

 だが、何本の巻き藁を斬っても血は出ないし、虎落笛など鳴らない。鋼が錆びたような血臭など鼻に感じない。

 道場剣法は、まるで畳の上の水練だった。

 これで、、いっぱしの剣士のつもりだったのかと、恥ずかしさとともに 平八郎 に怒りが湧く。

 声が出た。

 情けない泣き声ではなく、絶叫だ。


 ―― これが鬨の声


 がちがちだった体が動く。

 悲鳴に似た声をあげる、三人目の浪人の動きも見えた。

 浪人が走り込んで来ることろを、斜め後方に体を捌き、受け流す。

 平八郎 の動きが見えていないのか、浪人がたたらを踏む。

 伸びきった浪人の腕に直角に交差する『小手斬り』が、自然と出た。

 何度も反復した動き。鍛錬通りの動きが出た。道場での単調な反復は、思考を経由せず、動きを乗せるためだったかと、理屈ではなく、体で理解した。

 肉を裂きコツンと骨を断つ感触が、手に残る。刃筋が立っている証拠だ。

 浪人の両腕は、刀を掴んだまま斬り飛ばされ、悲鳴が上がった。

 むっとした体臭と、くさい息。

 血煙と、鉄臭い臭い。

 巻き藁や濡れ畳ではない、別の何かを斬った実感が胸に迫る。

 浪人の悲鳴がブツンと途切た。同時に首がごろんと落ちる。


「椿一刀流。椿の花の様に紅く染まり、椿の花の様に首がホロリと落ちる。良い名前でしょ?」


 ビュンと刀を血振ちぶりしながら、ころころと 露木 玉三郎 が笑う。

 何か言おうとした 桜井 平八郎 の口から出たのは胃の内容物だけだった。

 

 

 

 

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