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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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出入り

 素人丸出しの密偵を権太に尾行させ、その権太を尾行して無偏辺組の諜報網を解明しようとしていたのは、小田原が本拠地の金城一家の密偵だった。

 金城一家は風魔衆と結び荒事に関する顧問契約を結んでいて、金城一家が手強いのは、諜報に長けた風魔衆を雇っているからと言える。捕縛されたのは、風魔衆の一人だった。

 後北条と呼ばれる、戦国の関東の覇者 北条 早雲 を祖とする一族を陰から支え、隠然たる勢力を誇った忍の集団が風魔衆。

 だが、その彼らが仕えるべき北条家も滅び、内紛を重ねるうちに勢力も衰え、今では箱根山中に蟠踞する野盗集団に成り下がってしまっていた。

 鉄の結束で、剽悍をもって知られる武田家の甲州忍や上杉家の軒猿のぎざる、遠くは奥州から関東進出を伺う伊達家の黒巾くろはばき組などの忍集団を恐れさせていた彼らだが、凋落の一途をたどっている。

 風魔衆の弱体化は金城一家の弱体化に直結する。

 関東の中心が小田原から江戸に移りつつあることも相まって、金城一家は江戸の拠点化に賭けているのだった。

 風魔衆と甲州忍の遺恨は深い。

 権太の逆尾行で捕縛された密偵への拷問は苛烈を極め、肉体が、精神が壊されるまでそれは続いた。


 手についた血を井戸水で洗い落としながら、かぶら 九兵衛くうべぇ が、凝った首を回す。

 拷問を担当していたのは、彼だった。

「責め問いは、斬り合いより疲れる。しかも、男だと面白くない」

 ため息とともにそんな事をつぶやいていた。

 剣術が得意な九兵衛だが、拷問も得意なのだった。

 拷問は心を壊す作業。肉体の欠損等はそこに至るための演出に過ぎない。

 相手の精神に踏み込み、時には信頼関係まで築きながら、『死が救い』となるまで追い詰める作業。

 むき出しの精神のぶつかり合いなので、疲れるのだ。

 風魔衆は、訓練を受けていただけあって、しぶとかった。だが、壊れた。

 屈強な忍が泣きながら「死なせてくれ、死なせてくれ」とわめいていた。

 その段階でしゃべった情報には、嘘がない。『虚報』を『事実』と信じ込まされている以外は。

「この時期に、軍資金の移動だと?」

 涎を垂らしてケタケタと笑っている風魔衆の忍が漏らした情報は、小田原から大量の金塊が運ばれてくるというものだった。

 上州の博徒、江戸土着の無偏辺組、相州や遠州の博徒が三つ巴、四つ巴の抗争を繰り返している現在、軍資金を輸送するなど「襲って下さい」と言わんばかりの悪手だ。

 甲州忍と組んでいる夜刀神を派遣してきた勢力によって両替商への圧力がかけられており、博徒との決済は『碁石金』に限定されているので、あながち『虚報』と決めつけることが出来ないところが巧妙だった。

 これもまた『銭の戦』とやらの一環なのかもしれない。

 実質、無偏辺組の首領になっている筆頭代貸の夜刀神に報告を上げなければならない。

 もっと探りを入れてから……と、思わないでもなかったが、期日が迫っている。

 無偏辺寺の宿坊にあてがわれた自室に向かう。

 口頭での報告の他に、書式に従った報告書を作成しないといけない。

 自室の前には、時間通りに、九兵衛の事務仕事を補佐する若侍……今は博徒に偽装しているが……が端坐している。

 名目上は九兵衛に着いた『行儀見習』、実務は『祐筆』、実体は夜刀神が派遣してきた『監視役』という役柄の若造だ。名前を 桜井 平八郎 という。

 元服を済ませて、前髪を落としたばかりの少年の尻尾がついた若者だが、今では博徒の用心棒に見えるように月代さかやきも伸ばして総髪にまとめ、ちょろちょろと無精髭まで生やしている。

 本人は無頼漢を装っているつもりらしいが、かえって幼く見えることに気が付いていない。

「九兵衛殿、おはようございます」

 廊下を来る九兵衛に向けて、平八郎が挨拶してきちんと頭を下げる。


 『まぁ躾が良かったのだろうが、コイツは自分が身分を偽装中であることを意識していない』


 そう、九兵衛がひとりごちる。

 自分が無頼浪人なのだと自身が信じ込まないと、偽装は出来ないもの。

 それに、九兵衛は平八郎のような「御育ちいい」野郎は好きではないのだ。



 桜井 平八郎 の生まれ故郷の佐久は、交通の要衝ということもあり、戦が絶えなかった地だった。

 佐久の豪族集合体は、初めは村上氏や上杉氏に頼って勢力拡大を図る武田氏と対抗し、村上氏が敗北すると武田氏の配下になった。天文十七年(一五四八年)の頃である。

 以来、戦慣れしており、勇猛をもって知られる佐久衆は武田氏の戦力の一端を担い、平八郎の祖父も父も武田軍団の一員として各地を転戦していた。

 天正十年(一五八二年)三月、天目山で武田氏最後の一人 武田 勝頼 の最後の馬廻衆の中に平八郎の父も含まれていて、勝頼が爆死を選ぶ間、敵兵を寄せ付けないために戦って死んだという。

 胎に平八郎を宿していた彼の母は、翌年一月に平八郎を出産。その際に産褥で亡くなり、桜井一族は七歳年上の姉 鹿及かの と平八郎だけになってしまった。

 信州は北条氏と徳川氏の争奪の場となり、荒れた。

 親戚に身を寄せた姉弟は、北条氏を嫌って徳川氏を頼り、遠州へと流れる。

 徳川の温情に頼ったが、その軍門に下ることを潔しとしなかった武田の残党は困窮を極めた。

 苦界に身を落とす娘も少なくなかったという。

 親戚に身を寄せていた 桜井 平八郎 が九歳、姉の鹿及が十六歳になった頃、まるで大輪の花がほころぶように美しくなった鹿及に豪商の後添えの話が来る。

 かつては、恐妻家で大人しい婿養子の男だった。

 だが、流行病で頭が上がらなかった妻がいなくなるとたがが外れたようになり、未通娘おぼこを娶っては責め殺すような外道に変貌してしまっていた。

 その外道に目を付けられ、五番目の後添えとして白羽の矢が立ったのが鹿及だったのである。

 平八郎と鹿及を預かっていた親戚は、貧困のどん底にあった。

 なので、まるで売り飛ばしでもするように鹿及をその外道に添わせようとしたのだった。

 それを救ってくれたのが、大久保 長安 である。

 鹿及は長安の側室の一人となり、平八郎元服の折には桜井家再興のお墨付きまでもらっていた。


 ―― 力が無い者は喰われる


 幼い平八郎に巣食ったのが、その概念。

 優しく、強く、美しい姉は、脂ぎった変態野郎のおもちゃにされるところだった。

 これは、力が無かったからだ。平八郎はそう考えた。

 力とは何か?

 それは、生き抜く力。


 力とは知識。

 力とは技術。

 力とは執念。


 だから、剣を学んだ。弓を学んだ。銃を学んだ。馬術を学んだ。経理を学んだ。書を学んだ。

 その結果、長安の眼に留まることになり、元服を終えたばかりの弱冠十七歳で作戦行動の最前線に立つことが出来た。そして、桜井家の再興も成った。

 この経験も力である。

 野卑な九兵衛とやらに従う事も苦にならない。

 気鋭の官僚である夜刀神の謦咳に接することで、平八郎は何か学ぶ事が出来るはずだった。九兵衛など、そのための踏み台の一つに過ぎない。

 その九兵衛が、拷問の結果得た情報を口述している。

 それを、平八郎が文章に起こしていた。

 小田原の金城一家の資金移送計画の情報だった。

 敵の勢力を弱め、兵力を削るため、金塊の襲撃計画が進行するはず。

 平八郎が、襲撃を前提に差配の先読みをする。

 自分が夜刀神ならどういう配置をするのか、予想するのだ。

 こうした訓練が、やがて自分の糧になる。

 サラサラと筆を走らせながら、平八郎の頭は忙しく回転していた。



 小田原の金城一家の下級構成員である三下さんしたに、仮想敵である無偏辺組三番代貸『猿猴の九兵衛』を尾行させた。

 素人丸出しの尾行だったので、すぐに逆尾行者がついた。

 狙いは、その逆尾行者だった。

 諜報戦において後手を踏むようになったことが、金城一家に雇われている風魔衆ムササビの気に入らなかったのだ。

 逆尾行者を捕え、急に手強くなった無偏辺組の諜報網を解き明かすため、逆尾行者を更に尾行する三重の尾行者を用意していたのだが、ふっつりと行方が分からなくなってしまった。


「ここまでは、想定の範囲内」


 三重の尾行者が捕獲されるかも知れないことは、予想していた事だった。

 ムササビは、そこに罠を仕掛けておいたのだ。

 虚報である。

 金塊を移送するという情報を、その捕えられた密偵に信じ込ませておいたのだ。

 勿論、金塊などない。

 こっちが有利な時と場所に敵を誘い込み、一気に兵力を削り取ろうという作戦なのだった。

 重要な駒も揃っていた。

 『豺狼の剣』こと、斎藤さいとう 刀哉とうやである。

 北条旗下風魔衆として、相州、信州、遠州と転戦していたムササビは、鬼神もかくやと言われる刀哉の実力を目の当たりにしたことがある。

 彼が駆け抜けた戦場には、死があふれていた。

 堅陣を組んでいても、咆哮を上げて刀哉が突き込むと、兵士が怯んで崩れた。

 そこに穂先を揃えた槍足軽が陣形に穴を穿つ。

 剽悍をもって知られる月夜野家の戦法がそれだった。

 それを、博徒同士の「出入り」で再現させるつもりなのだった。

 比較的マシな浪人者も二十人ほど集めてある。

 腕の立つ浪人がある時期を境に急激に減ってしまったので、わざわざ京・大阪まで人員募集してきたのである。

 今、豊臣の本拠地である大阪城では盛んに浪人を集めていて、その選にもれた浪人が巷にあふれている。

 箱根の山中には、関ヶ原の戦いで西軍についた武士も浪人化して隠れ潜んでいる。

 それらも、ムササビの誘いに乗った。


 

 

 


 

 

 

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