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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
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お登紀の店

 あぶれている者を探すには、江戸の町は困らない。

 昼間、人々が労働に汗している時間に一膳飯屋を覗けばいい。

 徳利一つを何人かで分け合ってる様な男たちを見つけることが出来るだろう。

 職にあぶれ、それでも手元にある僅かな銭を酒に変えてしまうような者たちである。

 彼らは、容易に悪の道に入る。一人働きの盗賊『猫足の三郎』が探しているのは、こういった男たちであった。

「おやじ、酒だ」

 彼らに、わざと聞こえるように、猫足の三郎は大声でがなった。


 『羽振りのいいやつ』


 そんな印象をつけるためだ。

 卓の上に銭を載せる。

 食い逃げなど犯罪にもならないような地域だ。現金と交換でなければ、水も出ない。

 徳利とぐい飲みを置いて、銭をひったくるように取り上げて、客の目の前でその銭を透かし見るような、無礼な真似をする。

 通貨制度は始まったばかりであり、それも金貨や銀貨の整備が先行している。

 庶民が使う銭貨は、相変らず輸入された銭である『宋銭』などが主流で、中には粗悪な偽造貨幣(通称、『鐚銭びたせん』)も紛れて流通している。

 こうした、小さな商いの場所は『鐚銭びたせん』流通の温床であった。

 店の親父の失礼な態度は、

「鐚銭の使用をゆるさないよ」

 という無言の警告なのだった。

 猫足の三郎は、気にした風もなく、一杯ぐい飲みに酒を注ぎ、旨そうに飲む。

 実は酒は一口も飲んでいない。

 飲んだふりをしていたのである。


 『仕事の前は飲まない』


 師匠であり、養い親でもある『風の小太郎』から厳しくそう躾けられていたのだった。

 猫足の三郎は、徳利をつかんで、三人の男が額を突き合わせている卓に近付いて行った。

 猫足の三郎の耳は、異様に鋭い。

 だから、彼らがこそこそ小声で話している内容は、筒抜けだった。


「金回りがよさそうじゃねぇか」

「酒なんぞ、一人で頼みやがって」

「妬ましいのぉ。襲うか?」


 そんな剣呑な話をしていたのである。

 三人の薄汚い男が集まっている卓に、猫足の三郎が徳利を置く。

 そして許可も得ずに、その一角に座ってしまった。

「確かに金回りはいいぜ。酒を一人占めできる程度には……よ。どうでぇ、襲ってみるかい?」

 あきらかに、三人が怯むのが分かった。

 悪党はより大きな悪党を察知できるものだ。

 この『猫足の三郎』が、山田 月之介 に敵わぬと思い、惹かれるのと同じように。

 猫足の三郎が、三人を順繰りに見る。

 三人は、目線を下に向けて、眼を合わせようとしない。

 剣術でいえば『位負け』したのだ。

「この酒は飲んでいい。お前らにやるよ。その代り、俺の仕事を手伝え。どうせヒマだろうが。日当も出すぜ」

 徳利に手を伸ばしながら、三人がうなづく。

 いかにも胡散臭い話だが、『貧すれば鈍する』というやつだ。

 この三人は、もとから大したオツムではなさそうだが。


 草深 甚吾 は、魚籠を片手に歩いていた。

 愛用の竿は肩に。刀は落とし差に。

 流行歌などを口ずさんでいるのは、今日はなかなかの釣果だったということだ。

 ビクの中にはスズキが一匹。マハゼが三匹。アナゴが二匹入っていたのだった。

 スズキとアナゴは、料理屋に卸し、ハゼを炭火で焼いて食べようなどと、思っていたのだった。

 昼間は、工事の鎚音で騒がしかった町も、夕刻が迫ると途端に静かになる。

 日本橋あたりは一応繁華街なので、酔客がそぞろ歩きしている事だろう。

 それよりちょっと格が下がる町は、埋め立てられたばかりの日比谷。

 労働者は主に、このあたりの屋台や掘立小屋の店で飲む。

 甚吾は、その日比谷にある飯屋の裏手に回った。

「あら、甚さん! 今日は大漁かい?」

 江戸の町には珍しく、この飯屋には若い娘がいた。

 この店の主人の一人娘で、名を『登紀とき』という。

 黙ってすわっていれば、芍薬か牡丹かという、すこぶる付の器量よしだが、まぁ気が強いことで有名だ。

 給仕の時、尻に手を伸ばした男の指をあっという間にへし折ったというのだから、じゃじゃ馬とは彼女のためにあるような言葉だ。

「スズキとアナゴが手に入ってね。ほら、なかなかの大物だろ?」

 魚籠から、一尺あまりのスズキを取り出して見せる。

 スズキは『生き〆』されていた。

 鋭い短刀で、暴れ回らないように神経をブツンと断ち切ってあるのだった。

 暴れれば、身が焼ける。数段味が落ちるのだ。

「いいよ、甚さんなら、いい値で買ってあげる。後処理がいいので、上物だしね」

 店主を差し置いて、登紀 は勝手な値段交渉をしていた。

 実際、この店を切り盛りしているのは、店主ではなく彼女なのだった。

 

  

 

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