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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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少女と狼

 座敷牢のような場所に、刀哉とうやは監禁されていた。

 垢だらけの体は風呂で清められ、蓬髪は洗われてきれいに撫でつけられていた。

 無精髭も剃られ、清潔な小袖と野袴に着替えれば、涼しげな若侍に見える。

 秀麗な顔だが、眉間には深い皺が刻まれ、爛と底光りする眼は、まるで飢狼のそれであった。

 座敷牢の襖が開き、婀娜あだな風情の年増に手を引かれて、童女が座敷牢に入ってくる。

 年の頃は十になるかならぬかというあたりか。

 丁寧にくしけずられたおかっぱ髪が濡烏色につや光っている。

 鼻筋はすっと通り、ぽってりとした小ぶりな口は朱を引いていなくとも可憐に紅い。

 意志の強そうな凛々しい眉の下には、まるで子猫を思わせる切長の眼。

 黒曜に星空を映したかのような瞳。

 美しい人形のような少女であった。

鈴音すずね様」

 膝行して、大人の腕程の太さの格子に刀哉がすがりつく。

 少女は年増女の手を離し、手をかざしながら、声のした方向に足を向けた。

「鈴音様、こちらでございます」

 格子の隙間から目いっぱい手を伸ばし、刀哉が言う。

 少女は空間をまさぐるようにして刀哉の手を探り当て、大事な物の様にその小さな掌に分厚くて大きな刀哉の手を包み込む。

「刀哉、ご無事でしたか」

 その名前の如く、鈴が鳴るような声。

 だが、可憐な瞳は虚空を睨んでいる。

 そう、この少女は盲目なのだった。

「酷い目に遭わされておりませぬか? ひもじい思いをされておりませぬか? 誰かにぶたれることはありませぬか?」

 掠れた刀哉の声が震える。

 ぎりぎりまで伸ばした手が、少女の髪に触れていた。

「大丈夫。大事にされています。でも、刀哉。私と面談させられるということは、また刀哉が危険な目に遭うと言うことではありませんか?」

 涙が一粒、少女の頬を伝う。

 ごつい刀哉の指がその涙を拭う。

月夜野つくやの家再興の日まで、刀哉は死にません。姫様の御輿入れを見届けるのが、唯一生き残った家臣である私の願いです」

 年増女が、鈴音の手を引く。

 少女は抗う素ぶりを見せたが、刀哉があえて手を離すと、大人しく従う。

「約束まであと少し。それまで、息災でお待ちください。必ずお迎いにあがります」

「刀哉! 刀哉! 刀哉!……」

 鈴音の声が遠ざかる。

 北条に滅ぼされた伊豆の小豪族、月夜野一族の最後の一人が鈴音だった。

 斎藤さいとう 刀哉とうや は、唯一生き残った郎党。

 愛州移香あいすいこう流を修め、戦場では鬼神の如くの働きをしたことから、苗字をもじって『豺狼さいろう』と仇名された猛者である。

 御家再興の軍資金を得るため、唯一の財産である『剣の腕』を相州博徒 小田原おだわら 金城かねしろ一家斎藤は売ったのだ。鈴音は、その人質である。

 契約は百人。一家に仇なす存在を百人斬れば、五百両の金が手に入る契約だった。

 五百両あれば、持参金として十分。

 鈴音の嫁ぎ先を見つける選択肢が広がる。

 そのためには……


 ―― 泥水を啜ってでも、俺は生きる

 

 約束したのだ。

 鈴音の母に。

 刀哉の幼馴染でもある りん と、固く。


 『ますます、鈴音様は、凛様に似てこられた』


 幼き頃、「刀哉の妻になる」と言っていた凛に。



 重い風邪から回復した瓦走りの権太は、江戸の街を歩き回る 蕪 九兵衛 を尾行していた。

 無偏辺組の三番代貸を演じている九兵衛は護衛もつけずに、新たに傘下に加わった組織の賭場を巡回し、上納金を集め、相談に乗るんどの業務をこなしている。

 一時は消滅寸前までいった無偏辺組だが、常識の範囲内の上納金を納めれば一切口出ししてこないので、大きな勢力に挟まれて去就を迷っていた中小の博徒がこぞって傘下に加わったのである。

 普通は、経営陣に上位団体から送られてきた者が加わり、人事も掌握する。

 徹底的に締め上げ、反抗できない奴隷として扱うのが、この業界では常識だ。

 無偏辺組にはそれがない。

 『自由に経営しろ。ただし、決められた上納金はきっちりと払え』という姿勢。

 とはいえ、緩い支配ではない。

 縛りがないので、ナメてかかった組織は、あっという間に皆殺しになった。

 いつの間に、こんな腕利きを集めたのかと思うほど、荒っぽい連中が無偏辺組には多い。

 逆に言うと、傘下に加わっている限りその強大な武力で守ってもらえるというわけで、無偏剣組の加わった瞬間から、他団体との出入りはなくなった。

 その分、本業である賭博に傾注できる。

 上納金は総売り上げに対しての割合が決められていて、『生かさず、殺さず』という業界の常識より安い。

 無偏辺組への上納金は、組織の大小にかかわらず一割。

 通常なら三割は持って行かれる。酷いところなど五割は行く。

 そのため、すこしでも手元に残すために二重帳簿をつけたり、監察として入ってきている上位団体の幹部を金と女で懐柔したりするのだが、対無偏辺組ならそういう余計な労力は必要ない。

 正直に帳簿をつけ、きっちりと一割の上納金を納める。

 それだけでいい。

 それだけで、経営権と護衛が手に入るのだ。

 下部団体の監視は三番代貸の九兵衛の役割。

 まとまりかけた博徒を引っ掻き回した無偏辺組だ。

 恨みも相当買っている。

 特に面目を潰された 相州博徒 小田原おだわら 金城かねしろ一家 は、報復しないと江戸で築いた地盤が揺るぎかねない。

 刺客を雇ったという噂も流れた。

 事実、九兵衛は襲われたこともある。あっさりと返り討ちにしたが。

 腕が確かな浪人は、豊臣側が放った破壊工作員『曽呂利衆』掃討作戦で殆ど死んだ。

 再び江戸に流れてくるまで、時間がかかるという見立てだったが、その通りだった。

 九兵衛は忍だが、刀術も得意なのだ。

 甲州流という我流剣法を遣う。そこいらの剣士など歯牙にもかけない。

 ちなみに、旧武田家臣の軍学者 小幡おばた 官兵衛かんべえ も、甲州流を名乗っているが、それとは別物である。

 上納金と三十日分の帳簿を皮袋に入れて背負いながら、初夏の江戸を九兵衛が歩く。

 商家の進出に合わせて両替商も多く江戸には入ってきており、無偏辺組は親指の先ほどの金塊『碁石金』を上納金として要求していることから、無偏辺組傘下の博徒はまとまった金を、こうした両替商に持って行く。

 両替商の本場は、海外貿易が盛んだった堺なのだが、堺は豊臣の息がかかった商人が多い。

 そこで、徳川陣営は両替商でも政商をつくり、優遇した。

 優先的に金山や銀山で採掘された貴金属を回したのだ。

 その指揮を執っていたのは、金山奉行を兼ねている 大久保 長安 だった。

 両替商は、銭を金に替える際に差額を稼ぐのが商売。

 江戸の暗部から流れる大量の銭を、長安の息がかかった商人に流す仕組みが出来つつあった。

 現場でその仕組み造りに寄与しているのが、長安の官僚だった 夜刀神やとがみ 長久ながひさ なのだ。

 瓦走りの権太は、九兵衛に別の尾行がついているのにすぐ気が付いた。

 それが、どこから依頼された者なのか、探るのが今回の権太の役割だ。

 刺客を斬り、依頼を受けた口入屋を潰す。

 無偏辺組に敵対する組織と組むと危険であることを徹底させなければならない。

 江戸の暗部の一元化。

 それが、夜刀神の狙いであり、おそらく 大久保 長安 の狙いでもあるはずだ。


 ―― 素人が


 権太が心の中で吐き捨てる。

 九兵衛を尾行している野郎は、いかにも遊び人といった風情で、労働者の集まりである江戸の往来ではいかにも目立つ。

 勿論、九兵衛は尾行されていることは気付いているだろう。

 そのうえで、素知らぬ顔をしているのだ。

 九兵衛を尾行している遊び人を、権太が尾行する。

 

 ―― だが、簡単すぎる


 ふと、疑念が権太の胸に湧く。

 江戸に進出してきている大手博徒は、江戸に基盤を作るために必死だ。

 本部から潤沢に軍資金を提供されていることも多い。

 依頼金をケチって素人を雇うことはないのだ。

 臆病な鼠よりも強い権太の警戒心が警鐘を鳴らす。


 ―― くそ! 三重さんじゅう尾行か!


 さぁっと、鳥肌が立った。

 素人くさい尾行者を権太に尾行させ、その権太を誰かが尾行しているのだ。

 そう意識すると、微かな気配が自分に張り付いているのが権太には分かった。


 ―― アジな真似しやがって…… この江戸で権太様を追尾できると思うなよ


 権太がだしぬけに走った。

 走りながら、懐から一尺程に切った竹を紐で繋げた道具『三節みふし』を取り出し、紐を引く。

 路地に入り込んだ権太は、三尺の棒に変わった三節を地面に立ててそれを踏んで跳ぶ。

 ひらりと屋根の上に舞い降り、紐を手繰って道具を回収する。

 慌てて路地に駆け込んで来たのは、薬箱を背負った『薬売り』だった。

 大普請中の江戸では、工事の途中で怪我する者も多い。

 それで、薬売りも多く江戸に入ってきているのだ。

 まさか、一瞬で屋根に飛び移ったとは思わなかったのか、薬売りは権太を見失っていた。

 舌打ちして、大通りに戻ってゆく。

 その背後に、上着を裏返しに着て変装し、頬かむりをした権太が続く。近隣の農民が産品を納めて帰る様子を装っていた。


 ―― ふふふ…… 逆にお前を尾行してやるぜ

 

 とぼとぼと歩く薬売りを、権太が尾行を始めた。

 自信満々だった奴が、落胆する様は大好きだ。

 こいつが拷問されて壊されていくのが見たい。それを権太は望んでいた。


 ―― この権太様を騙そうとしたんだ。苦しんで、苦しんで、苦しんで、死ね


 頬かむりの下で、権太の顔に昏い笑みが浮かんでいた。


 

 

 

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