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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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豺狼 月に哭く

 『どうも、きなくさい』

 江戸に進出した相州博徒 小田原おだわら 金城かねしろ一家の代貸、ほとけ三之丞さんのじょうと呼ばれる博徒が、鬱々と酒を飲んでいた。

 事前の調査は綿密にする方だった。

 江戸方面を貸元に任せると言われた時から、江戸市内には多くの密偵を放っていた。

 小田原は北条の庇護のもと繁栄した城塞都市の内部に古くから根を張っている、老舗の博徒。

 上州赤城のような交通の要所、小田原の様な風待ちが出来る良港がある場所に、博徒は集まる。

 複数組織があれば互いに鎬を削り、運用も敵対勢力との戦い方も洗練されていくものだ。

 三之丞が学んだのは『調略』だ。

 武力で激突するより、一時的に停戦協定を結び、その小康状態を利用して、敵を内部から突き崩してゆく。荒事でカタをつけようとする上州博徒とは、また違った方法論を持っていた。

 田舎博徒の『無偏辺組』など、赤子の手を捻るようなものだった。

 最初は下手に出て、彼らの縄張りの片隅に拠点を置く許可を得る。

 上納金を治めると言えば、簡単に縄張りの一部を割譲してもらえた。

 あとは、簡単だった。

 持ち前の弁舌で、無偏辺組の会合に参加しては、不満のある分子を嗅ぎ分け、離反をそそのかす。

 忠誠心の強い奴は、殺す。風魔忍と契約を結んでいるので、暗殺はお手のものだった。

 不満分子の中から傀儡を仕立てて、協定破りを行わせる。

 簡単に無偏辺組は混乱状態になった。

 組織の中に反抗する勢力が出来、内紛状態になったのである。

 それを演出したのは、三之丞だった。

 仏の顔をして近付き、悪鬼の言葉を囁く。それが、三之丞のやり口だった。

 それは、途中まで上手くいった。

 いずれ、大きな市場になる江戸の大半を押えていた無偏辺組を、ほぼ壊滅状態に追い込んだのだ。

 ここで、丸ごと乗っ取るつもりだったが、邪魔が入った。

 赤光一家などの上州博徒たちの介入である。

 結局、金城一家が手に入れたのは、無偏辺組の五分の一ほどの縄張り。

 残りは、大手の上州博徒、中小の十ほどの博徒で分け合う状態になっていた。

 先にツバをつけるのが、博徒の縄張り争いでは重要だ。

 それを知っているので、上州博徒は慌てて介入を強めてきたのだ。

 関ヶ原で徳川が勝利した時から、かなり強硬姿勢を見せている。

 中小は別として、相州博徒と上州博徒との戦力差は一対三。

 だが、上州博徒にも弱みはある。

 一時的に連合して江戸に来たが、もともと地元上州では互いにいがみ合っていた組織なのだ。

 赤光一家、榛名一家、妙義組の三組織は、同盟しながら抜け駆けさせないように監視し合う間柄である。

 そこに、三之丞は勝機を見ていた。

 仏の顔を使って、一時停戦を提案。

 彼らが主張する縄張りを認めて譲歩する姿勢を見せて一歩引いたとみせかけ、三つの組織の間に疑心暗鬼を醸成する作戦だった。

 それが、急な無偏辺組の復活によって、白紙に戻ってしまった。

 中小の博徒は、無偏辺組に流れた。

 そして、密偵の情報が途切れるようになった。

 それどころか、虚報に踊らされることも。

 相州博徒は、北条が滅びて落ち目になったと言われている。

 なので、江戸幕府宣下は復活の契機になる。

 江戸は大都市になる。銭の匂いがする。それも、濃く、深く。

 ここで負けるわけにはいかなかった。

 具体的に何をされたわけではないが、長年の闘争の経験則から、三之丞は危険の匂いを感じ取っている。

 それゆえ、本家に書状を送り、本家に幽閉されている魔人の使用許可をとったのだ。

 船でそれは輸送される。

 檻に入ったまま。

 一度、解き放たれてしまえば、もう制御は出来ない。

 行動範囲を制限する程度しか、出来ないのだ。

 その荷が今夜着く。

 今回は、何人死ぬことになるのか?

 どんな場面になっても笑みを崩すことが無い三之丞が、ぶるっと身を震わせた。

 今頃は、月明かりの中、千石船が近づいて来ているはずだ。

 狼の遠吠えを聴いた様な気がした。



 日本橋の裏店うらだなのじくじくと湿った通りにある『宿星屋』に、瓦走りの権太、露木 玉三郎、土御門 晴明、蕪 九兵衛、それに、見慣れない若侍がいた。

 露木がねっとりとした視線を送るその若侍は、桜井 平八郎だった。

 怒った顔をしているのは、蕪 九兵衛 に置いてきぼりを食ったため。

 何処に向かったか、推理して、『宿星屋』を探し当てたのだから、優秀だ。

 ただし、顔に感情を見せるのは


「まだガキだな」


 と、九兵衛は思っていた。

 平八郎は、今回の作戦の首領、夜刀神 長久 が九兵衛に事務仕事軽減の為につけてくれた祐筆ゆうひつ

 だが、その実態は監視員だ。

 なので、九兵衛の行くところについてまわる。それが煩わしかった。

 無偏辺組は、『宿星屋』に大枚をはたいて顧問契約を結んでいる。

 これは、『物事の吉相をことあるごとに助言する』という契約なのだが、『敵対勢力に雇われることを禁止する』という縛りである。

 何をしなくても大金が入るので、神職っぽい装いの店主 土御門 晴明 はホクホクなのだ。

 九兵衛が甚吾を伴って、宿星屋を訪れたのは、自らを餌にするため。

 彼を狙って敵が襲って来れば、結果的に甚吾と戦うことになり、敵の勢力を少しでも減らす効果があったのだが、襲撃はなかった。

 それに、ここに一同を集めたのは、説明の二度手間を省くため。

 本来は宿星屋店主 晴明に説明すれば済むのだが、九兵衛は彼を介して伝言することに不安を感じていた。

 なので、直接実行部隊である甚吾に話すことにしたのだ。

 と、いうよりは、甚吾の耳目となっている権太に説明するということになるか。

 甚吾は探索に興味を示さない。

「一人、どうしても仕留めなければならん奴がいる。相州小田原の博徒、金城かねしろ一家の代貸、仏の三之丞って野郎だ。江戸騒擾の元凶、風魔忍とも付き合いがあるので、意外と厄介だが、こいつを殺してくれ」

 そういって、百両を懐から出し、小机に置く。

 目をギラつかせたのは、店主の晴明だけで、甚吾は無表情、露木は熱視線を平八郎に注ぎ、権太は未だ寒中水泳をさせられたことを恨んでいるのか、掬い上げるような眼で九兵衛をにらみつけている。

 まともな反応は、人として最低な晴明だけ。

 なんとも、やりにくい連中だった。

「三之丞の野郎、勘働きが良くて、的にかけられているのを察知して、本家から用心棒を呼び寄せやがった。風の噂じゃ、どんでもねぇ野郎らしい。そこで、凄腕の甚吾さんにお願いしようかとなったわけでさ」

 甚吾は無表情のまま。

 それを見て、露木が薄く笑った。

「……で、仕留めるのは、三之丞? その『とんでも野郎』ですかい?」

 胸のところで手の甲をさすりながら、権太が言う。

 その相貌と相まって、ますます鼠じみて見えた。

「両方。どちらも、生きていては、世間に迷惑だ」

 自分の事をさておき、九兵衛がそんなことをしれっとほざく。


 深夜、小田原から廻されて来た千石船が江戸湾に入ってきた。

 波が穏やかな湾内とはいえ、視界の悪い夜更けに船が入ってくるのは、極めて珍しい。

 たいがい、こういう場合、禁制品の密輸船であることが多いが、やはりこの船もそうだった。

 無言のまま、船員が木箱を運び出し、最後に大きな檻を四人がかりで運ぶ。

 中には、手枷をつけたむさくるしい男が一人。

 髪は蓬髪、無精髭に顔が覆われ、何日も体を洗っていないのか、むっと獣臭がしていた。

 月明かりに、キラギラと眼ばかりか光り、周囲を睥睨する。

 出迎えに来たのは、江戸の金城一家の合力ごうりきを務める政三まさぞうという男だ。

 博徒の幹部の総称である『出方』のうちの一つが『合力』だ。

 客から張り金やテラ銭を徴収したり、配当を計算して金を配ったりする役目を言う。

 いわば、組織の会計担当である。

 幹部構成員『出方』のうち、『中盆なかぼん』『胴師どうし』に次ぐ第三階位の幹部だった。

 船長ふなおさが、政三を見つけて寄ってくる。

 帳簿の参照などしない。

 これは密貿易なのだ。信用だけで荷と金のやりとりをする。

 金の袋を政三が船長に手渡す。

 船長は確認もせずに、懐に収めた。

「女は運んだことがあるが、男は初めてだぜ。まさか、代貸の趣味じゃあるめぇな」

 責任を果たした安堵から、軽口を叩いたが、政三の酢を飲んだような表情に口を噤む。

「知らねェ方がいいぜ、船長さんよ。ありゃ、人外だぜ」

 荷車に、檻が乗せられる。

 船員が逃げるように船に戻ってゆく。

 これが昼日中なら、彼らの顔が紙のように白いのが見えただろう。

 屈強な海の男が、怯えていたのだ。

 政三が動き始めた荷車について歩く。

「久しぶりだなぁ、刀哉とうや。また、働いてもらうぜ」

 ポンポンと荷車の側面を叩きながら言う。

 返ってきたのは、低い唸り声だけだ。

 まるで、狼のような。

 それだけで、ビリビリと空気が震える。

 底なしの憎悪が、べっとりと染みついた声。

「怒るな、怒るな。俺らのための働けば、また少しの間娘に会わせてやるよ」

 怒号が月夜に響く。

 冷淡をもって知られる政三が思わずたじろぐほどの怒りの波動が炸裂する。

「あの子が、少しでも悲しい思いをしたり、辛い思いをしたのなら、分かっておろうな。貴様ら、誰一人として生かしておかん」

 ぜいぜいした声で、檻の中の男が言う。

 上半身裸の、垢に汚れた肉体が、別の生き物のようにうねった。

 まるで、羅漢像のような筋肉だった。

「わかってる。まるでお姫様のように、大事に、大事にしている。安心しろ」

 げじげじ眉毛に溜まった汗を、指で拭い飛ばして、政三が言う。

 目黒にある金城一家の屋敷が見えてきた。

 人外の鬼、刀哉の輸送は終わり。

 あとは、副業の禁輸品の帳簿点けをして、収益の銭勘定もしないといけない。

 日常に戻れて、せいせいする。

 

 

 

 

 

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