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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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江戸の闇戦

 賭場が開かれていた。

 これを『御開帳』という。

 本来は寺社の秘仏を特定日に一般開放することを示す言葉だが、賭場が開かれる時にもそう言われる。

 博徒は寺社を借りて賭場を開くのが一般的で、仏教用語が隠語に使われるのは、古くからそういう営業形態が出来ていたことを示している。

 亀戸天神を中心とした寺社町の一角。『阿振あぶり無偏辺むべんべ寺』。

 江戸の土着の田舎博徒『無偏辺組』の本拠地である。

 ばち当たりもいいところだが、この寺の住職が、事もあろうに博徒の首領『貸元』なのだった。

 徳川の新しい本拠地として注目される以前の江戸では、この近辺で比べる者がないほど勢力の大きな博徒だったが、大都市化に伴い相州や上州の「洗練」された博徒が流入し、急激に没落したのだった。

 押さえつけていた下部組織の離反と造反。

 流入組による縄張りの浸食と構成員の引き抜き。

 無偏辺組幹部の首を獲って名を上げようとする新参者。

 組織の首領である紺護こんご和尚は、すっかり心を病んで引き籠ってしまった。

 その無偏辺組が息を吹き返したのは、ここ数ヶ月。

 僅か数人にまで減った構成員も一気に増えた。そして、いずれも腕が立つ。

 それもそのはず、彼らは裏面から江戸の治安を守る歴戦の傭兵集団である甲州忍なのだ。

 『出方でかた』と呼ばれる幹部構成員から『三下さんした』と呼ばれる下級構成員まで、全て甲州忍が身分を偽って演じており、複雑な博徒の仕組みを、心を病んでしまった貸元の代行をしているという名目で代貸だいがしに就任している 夜刀神やとがみ が解明してからは、本格的な賭場の運用も始めた。

 江戸は巨大な利権だ。

 博徒も、互いに噛み合うより、縄張りを分けて上手に江戸市民から銭を吸い上げようということで、話がまとまりかけているところだった。

 過当競争を失くすために『回収率』を一定にしたりして、談合もなされていた。

 その不文律を平気で踏みにじったのが、無偏辺組だった。


「無偏辺組の賭場は儲けさせてくれる」


 その噂が流れれば、客は一気に流れる。

 そもそも、寺社への寄進という名目の場所代であるテラ銭を、寺が本拠地である無偏辺組は払わなくていいのだ。それだけでも有利である。

 しかも、売上で構成員を養う必要がない。

 甲州忍には徳川家から給金が出ているから。

 没落のどさくさで、無偏辺組の縄張りをかすめ取った中小の博徒はたまったものではなかった。

 あっという間に客は飛び、資金は干上がる。

 回収率を操作しても、体力が続かなかった。

 恐る恐る、無偏辺組傘下への加入を申し入れた組織も出始める。

 本来なら、ケジメとして貸元や代貸の首が必要な場面だが、何の罰則も無しに夜刀神は彼らを許した。

 帰属を許してくれるという噂が流れると、無偏辺組の版図は広がってゆく。

 なすすべもなく没落した田舎博徒と侮っていた、博徒の本場の上州や相州の大手博徒の江戸支部も、警戒を始める。

 上州赤城の赤光一家などは、いち早く無偏辺組の危険性を警告した組織だった。

 今、無偏辺組は、この赤光一家をまとにかけている。

 回収率を操作する『銭の戦』はもちろん、わざと乱暴者を送り込んで賭場の雰囲気を悪くしたり、『張り番』と呼ばれる賭場の周辺を護る三下さんしたと小競り合いを仕掛けるなど、客が寄り付きにくくなる環境を演出したりしている。

 こうした抗争と同時に 夜刀神 は、普請を請け負う材木商や口入屋とよしみを通じて、その便宜を図るなどの接近工作も進めている。普請の人足を囲い込んで、生活と遊興を提供する事で銭を吐き出させるためだ。

 そして、普請には突発事項がつきもの。

 特に河川の整備が多い江戸の普請。

 『河原者かわらもの』と呼ばれる一種の治外法権民が河原に小屋掛けして住んでおり、その立ち退きを巡って荒事もあるのだ。

 こうした、汚れ仕事を無偏辺組が引き受けるのである。

 無偏辺組に偽装している甲州忍だが、本来の仕事は江戸の治安維持。

 まつろわぬ民『河原者』は、排除の対象でもあった。

 博徒、忘八、シデムシ、それに河原者。大量の浪人問題が小康状態になった今、江戸の治安を守る甲州忍にとって、それらをまとめて処分するいい機会なのである。

 それが、夜刀神の思惑と合致した。

 ただし、無偏辺組の周辺はかなりきな臭くなっている。

 どこの誰が放ったか分からない密偵の痕跡が残されるようになった。

 帰属を申し出る博徒の中に潜入を目的とする異分子が混じることもあった。

 蕪 九兵衛 は、三番代貸を演じているが、刺客に狙われたこともある。

 どうせ剣術など遣えないのだから不要とばかり、竹光を腰に下げている 夜刀神 などは、護衛無しでは外出もできない。

 無偏辺組の貸元 紺護和尚、筆頭代貸 夜刀神 長久、次席代貸 喰代 左兵衛、三番代貸 蕪 九兵衛 の首に賞金がかけられ、面倒な事になっている。

 無偏辺組が本物の博徒なら護衛に人数を割かないといけなくなり、それで経費がかさむことになるのだが、彼らは演じているだけ。

 攻撃手段としては、刺客を仕立てる必要がないうえ、相手の経済的な負担と行動範囲を制限を加えるという良手だが、対・無偏辺組では意味が無い。

「では、こっちも逆に仕掛けようか」

 事実上の首領 夜刀神 も、江戸の主だった博徒の貸元や代貸に賞金をかけた。

 江戸の博徒の全面戦争の始まりだった。

 これを聞きつけて、関東一円からならず者が江戸に集まってくる。

 一時的に江戸の治安は悪化するが、

「ゴミは、掃き集めてまとめて処分するに限るよ」

 などといって、夜刀神 は平然たるものだ。

 たしかに、方々に出向いて各個撃破するより、一か所にあつめて処分した方が効率がいい。

 甲州忍だけで、関東八州全てを掌握は出来ない。

「博徒同士が、無偏辺組を除いて再び談合する動きだけれど、この話を取りまとめる奴を殺してしまおうか。丁度いいから、草深 甚吾 を使うことにしょう。彼は、護衛より暗殺向きだからね」

 帳簿を調べながら、ついでの様に 夜刀神 が言う。

 九兵衛 が、敵対勢力の状況の報告をした後のことだ。

 相槌も打たずに帳簿調べをしていたが、ちゃんと聞いていたらしい。

「斬った張ったは、得意じゃなので、現場の差配は九兵衛さんにお任せします。工作資金は、勘定方に話を通しておきますから、そこから受け取ってください。今度はちゃんと企画書を提出してくださいね」

 無偏辺組の所帯が大きくなるにつれ、作戦行動が多岐に渡るようになり、夜刀神だけでは処理が追いつかなくなってきた。

 すると、いつの間にか、夜刀神のような官僚がどこからか二十人ほど送り込まれてきて、蓄財の管理、催事の運営、資金の出納、編入者の人事管理までするようになった。

 博徒の本拠地というよりは、まるで奉行所のような有様。

 それに伴い、いちいち書類を提出しないとクソも出来ない有様になり、現地野戦指揮官気質の九兵衛などは窮屈で仕方がない。

 見かねた夜刀神が、九兵衛専属の助手をつけてくれた。

 これは、博徒的には九兵衛の舎弟と言う扱い。

 実際は、彼の為に事務仕事を代行する祐筆だった。

 この祐筆、名前を 桜井 平八郎 という。

 元服したばかりのまるっきり少年で、色白で妙に線が細い。

 鼻筋が通り、目元涼しい、いわゆる美少年というやつだ。

 奥山 公重 に師事して奥山神影流を一通り学んでおり、細い体のわりに道場でならそこそこ強い。

 

 ―― 祐筆ということだが、まぁ実際は監視員ということか


 夜刀神 のやり口はわかる。

 あの若い官僚は誰も信用しない。それが、近くで一緒に活動していて九兵衛には見えた。

 例外は、甲州忍の首領 高坂 甚内 だが、例によって、九兵衛や左兵衛に博徒の仕事を押し付けて、どこかに消えてしまった。

 夜刀神は、理由はわからないが、甚内だけは信用しているらしい。

 そして、何かを彼に託されて、甚内はどこかに消えた。

 決裁文書を作るため、口頭で作戦内容を、美少年、桜井に伝える。

 彼は、さらさらと走り書きをして、その走り書きを元に決裁文書を作り上げる。

 九兵衛だと半日かかる仕事だが、桜井だと半時もかからない。

 『そして俺の行動は、夜刀神に筒抜けってわけね』

 ふふふ……と、九兵衛が笑う。

 『決裁通りに行動するとは限らんがね』



 甚吾が珍しく、道場に立っていた。

 慣れない刀を持っている。

 徹底的に手に馴染ませるため、ひたすら刀を振るう。

 甚吾の動きを見ていると、どういう想定で動いているかが、露木にはわかった。

 誰かと向かい合って立っている場面。

 前後を挟まれた場面。

 四方を囲まれた場面。

 甚吾の腕の可動域の広さに、露木は改めて感心した。

 そして、太刀行の速さ。正確さ。

 およそ、死角というものが見当たらない。

 それを、あの小柄な女剣士は、何度も間境を踏み越え、何度も甚吾に切っ先を届かせた。

 バケモノ同士の立ち合いだったのだと、思う。

「来客だね」

 ポツンと甚吾がつぶやく。

 露木は、何も気が付かなかった。

 野生動物並みの、勘の良さ。

 甚吾がバケモノたる所以の一つ。

 納刀して、甚吾が道場を出る。

 一刻ほども刀を振っていたのに、汗一つかいていなかった。

 甚吾の家の前に、妙に肩幅が広い人物。

 護衛もつけずに出歩いている、九兵衛だった。

「やあ、草深 甚吾 さんだね?」

 九兵衛が悪相をせいぜい愛想よくほころばせて立っていた。

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