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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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水面下の抗争

 板橋宿に、通口 定正、勇魚、平良 宗重 の三人が到着する。

 あと少しで江戸市中だが、勇魚と平良がここでいいと言い張ったのだ。

 板橋宿は江戸から見て中山道一番目の宿である。

 宿屋の有志で建てた大きな石灯籠にそろそろ灯がともる頃。

 板橋宿入り口に、ここの目印になるように、そして旅人の安全を祈念して建てられた高さ八尺以上もある灯篭だ。

 その石灯籠の前に、細身の男がうっそりと立っていた。

 長身の平良がやや遅れて、定正の背後を護る位置にさり気なく着き、勇魚が『がんとれ』を装着しながら、ずんずんと前に出る。

 細身の男は、着流しに白鞘の長ドスという出で立ちで、害意が無い事を示すためか、腰から鞘ごと長ドスを抜いて、右手に下げた。

 勇魚が掬い上げるように睨みつけるなか、男はさっと長ドスを後ろに回し、中腰の姿勢になる。

 そして、何も隠していないことを示すため、左手の掌を上向きに開く。

「手前、江戸赤光一家を預かっております、朽縄くちなわ五郎左ごろうざと申しやす。通口先生御一行とお見受けしますが?」

 と、口上を切る。

 勇魚と平良が白けた様子で警戒を解いた。

 定正だけが、軽く頭を下げる。

「代貸が自ら出迎えとは、恐れ入る。いかにも、俺が 通口 定正 だよ」

 それを聞いて、五郎左と名乗った男が破顔した。

 細面に吊り上った糸のような目。

 頬骨は高く鷲鼻。

 唇が薄く広く、酷薄な印象を与える。

 『朽縄』とは千切れて朽ちた縄。それがまるで蛇の抜け殻に見える事から、蛇そのものを指すこともある。

 なるほど、この五郎左の名乗りは、その蛇を思わせる外見からくるものかと、定正 は得心がいった。

「宿の者に言って、酒肴もご用意しております。ささ……こちらへ」


 板橋宿は、外から江戸に入る際の最後の宿になる。

 江戸の中央集権を画策する徳川にとって、江戸に最も近い宿場は一種の防御拠点。

 いざという時は、兵が駐留し街道上の敵を迎撃できるよう、宿や寺社を砦に見立てた城郭の様相をしている。

 この板橋宿もその方針に従い、三軒ほどの茶屋しかなかった寂れた『休憩所』から徳川肝いりで普請が行われていた。

 材木商が普請を請け負い、徳川の息がかかった商人が宿を作る。

 ここでも、徳川に味方する商人への優遇措置が行われていて、豊臣勢力は除外されていた。

 銭の戦の一環なのだろう。

 朽縄の五郎左が確保していた宿は、昔から板橋宿にあった宿だ。

 一番上等な部屋が用意されていて、仲居がかいがいしく世話をしてくれる。

 川舟が中庭に運び込まれていて、そこに水が満たされ、焼けた石を放りこんで風呂まで仕立ててあった。

 赤光一家の五郎左は、その呼び名の如く蛇のように冷酷な男だが、かなり頭が回る。

 そうでなければ、重要拠点となる江戸支部を任されたりしない。

 江戸の博徒による覇権争いは無偏辺組が暴れまわったことで混沌を極めており、この時期に赤光一家の最強助っ人が来てくれることの意味をよく理解しているということ。

 尻端折りをして、定正の背を流している五郎左にすまなそうに定正が言う。

「気遣い痛み入るが、俺は俺の用事で江戸に来たのだぜ。代貸への助けは二の次になるぜ」

 米糠で磨いた背中を湯で洗い流しながら、その定正の言葉に

「貸元から聞いておりやす。なに、先生がここにいらっしゃるだけで『睨み』になりますし、貸元からおもてなしせよと命じられておりますので、喜んでそうさせていただいているだけです」

 と、答える。

 腹の中ではどう考えているにせよ、定正の一行は江戸赤光一家の客分ということらしい。

「わかっているなら、いいや。よろしく頼むぜ」

 湯の中に身を沈めながら、定正が言う。

 冷えて白くなっていた、手足の指に血色が戻っていた。


 夕餉の支度を監督し、五郎左は赤光一家の拠点がある浅草寺城下町に帰っていった。

 どこに潜んでいたか、五人ほどの男が五郎左を護衛する。

 彼らは『盆守ぼんもり』と呼ばれる警備担当の博徒で、赤木山 光三郎 は見込みのある若者を、馬庭念流の道場に住み込みで入門させ、みっちりと鍛える方式を採っているが、そこで『切紙』以上になると『盆守』として正式な構成員にする。

 彼らは直属の親衛隊のようなもので、直接賭博にはかかわらない。

 荒事専門なのである。

 こうしたちょっとした外出でも、護衛付にしなければならないほど、江戸の情勢は緊張しているということを示している。

 布団でゆっくりと眠る。

 風呂の影響もあったか、定正は珍しく寝坊した。

 普段は、日の出とともに目を醒ますのだが、今はもう昼に近い。

 目を開けると、窓辺に寄り掛かって 勇魚 が小さな声で子守唄をうたっていた。

「老人扱いの次は、ガキ扱いかよ」

 布団から身を起こす。

 定正は布団で眠る時は何も着ない。

「ばっきゃろう。さっさと着物を着ろ」

 赤くなって勇魚がそっぽを向いた。

 下帯を締め、錦を繋ぎあわせた伊達な小袖を羽織り、野袴を穿く。

「髪、やるぜ」

 定正の髪を編み、整えるのは勇魚の役割になっていた。

「そうか、悪いな」

 勇魚の腿に頭を乗せて、目をつむる。

 大雑把に見えて、勇魚は手先が器用だ。せっせと髪を編み渋染した紙縒で止めてゆく。

 平良は、この様子を

「まるで子猿の毛づくろいだな」

 とからかっていたが、勇魚はこの役を降りない。

「そういえば、平良はどうした?」

 目をつぶったまま、定正が言う。

 髪を編む手を止めずに、勇魚が答えた。

「し……し……しらねぇ」

 定正が薄目を開けると、勇魚の目が泳いでいた。

 どもったり目が泳ぐ時はウソをついている時だ。

「余計な事しやがって、今度の相手は本当にあぶねぇぞ。無事に帰ってくるといいが」

 編み込んだ髪を一つにまとめて、元結で縛る。

 青地に白い筋が入った蜻蛉玉をその元結に結び付けた。

「大丈夫だよ。平良は絶対に無理をしねぇ。師匠も知ってるだろ?」

 定正が勇魚の膝枕から身を起こす。

「だといいがな」

「あ、そうだ、師匠。もう朝食の時間おわっちまったんで、握り飯作ってもらったぜ。食べるかい?」


 平良は荒川を下っていた。

 船便もあるが、使わない。

 新しい場所に来ると、歩き回るのが習慣だった。

 川沿いの土手を歩く。

 『荒川』という名は『荒れる川』だから。

 大雨の度、この近辺は水害に見舞われた。

 都市化を図る江戸の喫緊の事業は治水と干拓であり、この荒川の制御は優先事項だった。

 多くの人足が入り、杭が打たれ、土嚢が詰まれ、石が埋め立てられる。

 河岸段丘の嵩が増されて、長大な護岸工事が行われていた。

 その中を平良は歩いていた。

 新しい都市を造る槌音。

 現地を歩いていると、江戸の活気が肌で感じられる。

 師匠と慕う 通口 定正 が誰かを斬ろうとしているのがわかる。

 相手の名は、草深 甚吾。

 今まで無視していたのに、急に斬る気になった理由は、なんとなく理解していた。

 友が斬られたという。

 その死を悼んでも、斬った相手を敵として狙ったりしない。

 人の生死は運否天賦。そんな乾いた考え方の人だ。


「場合によっては、お止めする」


 あらゆる危険から、師匠を遠避けたい。

 そんな気持ちが平良にはあった。


「あの時、私は救われたのだ」


 思い詰めていた。

 その時に出合ったのが、定正だった。

 膝を抱えて沖縄の海を見ていた平良の隣に座り、一緒に海を見ていた。

 何も言わない。

 何も聞かない。

 ただ寄り添ってくれただけだった。

 だが、その時確かに救われたと、平良は感じたのだった。

 腰の大小をまとめて抜き取り、海に投げ捨てた。

 平良はその時の定正の笑顔を今も忘れていない。

 その恩を返す。

 草深 甚吾 とは、いったい何者なのか?

 まずは、そこから。

 荒川の河口に近づいてきた。

 潮の香りがする。

 群れを成したユリカモメが、羽音高く飛んでいた。

 

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