表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
72/97

無偏辺組

 春深い亀戸に、いかにも『博徒』といった風情の男が、幅広の肩を揺らして歩いていた。

 ここは、江戸の郊外に位置する田園で、もとは『亀戸天神』の門前町だった。

 その亀戸天神社の隣には香取神社があり、坂東武者 俵 藤太 が 平 将門 討伐の際に必勝祈願をした由緒ある神社で、武門の守り神と言われているらしい。

 その他、大小様々な神社仏閣が並び、その肩幅が広い男は、そのうちに一つに入ってゆく。

 小さいながらも山門があり『阿振あぶり無偏辺むべんべ寺』の扁額が飾られていた。

 博徒の正体は甲州忍 蕪 九兵衛 である。

 赤光しゃっこう一家の実力をためすべく二十名の浪人を集めて、桐生まで遠征した帰りだった。

 浪人は皆殺しになってしまったが、彼らは江戸に居ればそのまま不逞浪人に化けかねない連中。

 的にかける予定の『赤光一家』の兵力を削ることが出来、浪人の殺処分も出来て、合理的な作戦行動だった。


 蕪 九兵衛 は山門をくぐり、境内に向かう。

 そこが、新たな甲州忍の拠点になっている。

 きっきっと、猿の鳴き声がする。

 二匹の子猿が、走ってきてするすると九兵衛の体を登り、ちょこんと肩に腰かける。

 この子猿は、実は暗殺術を仕込まれた『忍猿』の兄弟で、太郎丸たろうまる次郎丸じろうまるという。

 この猿の飼い主は、江戸甲州忍の幹部、喰代ほおじろ 左兵衛さへい

 その他にも、飛丸とびまると名付けられた夜鷹が一羽、風丸かざまる月丸つきまると名付けられた忍犬が二匹いる。

「おうおう、太郎丸と次郎丸は、九兵衛が好きじゃの」

 着流しに町人髷のひょろりと痩せた男が、境内にある小屋から顔を出した。

 今は江戸の博徒『無偏辺組』の代貸(幹部構成員の事)という設定の 喰代 左兵衛 だった。

 留守がちな首領 高坂 甚内 に代わって甲州忍の指揮を執る事が多く、甚内の右腕ともいえる男であった。

「気が気じゃねぇですよ。猿をどけて下さいって」

 一見すると人懐こい猿だが、実は体のどこかに猛毒を塗った針を隠し持っていて、忍よりも巧みに暗殺を行う様に訓練されている猿なのだった。

 きっきと、九兵衛の抗議に二匹が不満の声を上げる。

「失礼な」

とでも言っているようだった。

 飼い主である 左兵衛 にも理由はわからないのだが、この猿たちは九兵衛に大層懐いている。

 この犬や猿や夜鷹は、優秀な警報装置でもある。

 訓練を受けた忍よりも早く動き、気配を悟らせない。

 視界外のはるか上空から、監視したりする。

 おかげで、甲州忍の本拠地の警備は最低限で済む。

「桐生への出張、ご苦労だった。お頭がお待ちだ、報告は直接すればいい」

 甚内がここにいるらしい。

 いつもふらふらとどこかに行ってしまう彼にしては珍しい事だ。

「珍しいですね。もう、お頭の顔を忘れちまいましたよ」

 ふっふっふ……と左兵衛が笑った。

 いつも指揮官代行をさせられている彼は、慢性の胃痛持ちで、表情は険しい。

 笑うのは稀だ。

 甚内がいるということは、責任が肩から降りているということで、多少気が楽なのだろう。

「顔を忘れちまった? 私もだよ」


 九兵衛が、本堂と渡り廊下でつながった小屋に、両肩に子猿を乗せたまま入る。

 振り払いたいところだが、毒針のことが頭にチラついて、それも出来ない。

 ここは、無偏辺寺の住職の居住区画。

 江戸が小さな漁村だった頃から、この地に土着していた博徒が『無偏辺組』で、賭場の仕切に特化した現代風の博徒と違い、賭場の開帳といった本来のシノギの他、催事の取りまとめから、ちょっとした争い事の仲裁、江戸を通過する商人たちの安全の保障など、ヤクザも香具師やしも兼ねている、典型的な田舎博徒だった。

 この『無偏辺組』の変わったところは、ここの貸元(組織の首領の事)が、寺の住職であること。

 それで、寺の名前がそのまま組織の名乗りになっている。

 賭場は、祭事で人が集まる時に開かれる。

 神社仏閣が会場になる事が多かったのだ。

 賭場の場所代のことを『テラ銭』と呼称するが、このテラは『寺』のことであり、神社や寺に『寄進』という体裁で博徒が場所代を納めたのが語源である。

 神社や寺にとってはいい副収入になるので、喜んで場所を提供することが多い。

 露店の仕切や、祭事の最中の問題発生時の対応まで引き受けるので、彼らは『必要悪』であるというのが、人々の認識だった。

 だが、博徒に肩入れするあまり、その組織を乗っ取ってしまったのが、この阿振山無偏辺寺の住職 紺護こんごだ。

 自分の敷地で定期的に賭場を開く破戒僧だが、度胸も頭もよかった。

 普通博徒は、必要経費として『テラ銭』を支払わなければならないが、無偏辺組にはそれがない。

 その浮いた銭の分、紺護は客に還元した。

 他の賭場より、勝てる人数を多く調整したのだ。


「無偏辺組の賭場は良心的だ」


 そんな噂が流れ、商売は繁盛する。

 多少回収率を下げても、テラ銭が浮いているので、儲けは大きい。

 そうやって拡大したのが、無偏辺組だった。


 江戸で一人勝ちだった無偏辺組が、没落しはじめたは、徳川が江戸の拠点整備を進めた頃。

 どっと人口が増え、それに伴い、本場と言われる上州(北関東あたりを指す。桐生も含まれる)や相州(現在の静岡周辺を指す。北条の保護を受け勢力を拡大した博徒が多かった)の、いわゆる『洗練された』博徒が入り込ん出来たのだ。

 彼らの背後には、大きな賭博組織がついている。

 地盤を作るために、赤字覚悟の大盤振る舞いもしていた。

 勝率がいいだけの無偏辺組はひとたまりもなかった。

 なにせ、壺振り(丁半賭博のディーラー役のこと)の盛り上げ方が上手い。

 客を安心して遊ばせるための経験も積んでいる。

 そもそも、漁村で細々でやっていた無偏辺組とは、資金力の規模が違った。

 落ち目になると、気の利いた者から構成員が次々と辞めてゆく。

 無偏辺組の凋落は、あっという間だった。

 そうなると縄張りは蚕食され、地の利も失われてゆく。

 江戸全域を縄張りとしていた無偏辺組だが、今や本拠地の無偏辺寺しか残っていない有様。

 そこに乗り込んで来たのが甲州忍だった。

 数人しか残っていなかった無偏辺組の構成員はどっと増えた。

 それらは全員、博徒に偽装した甲州忍である。

 貸元である紺護住職はお飾り。

 現在の無偏辺組は筆頭代貸の 夜刀神やとがみ 長久ながひさ が仕切っていた。

 博徒らしい動きは全くしていない。

 奪われた縄張りをひたすら奪還する作業を繰り返していて、さながら武装集団的な様相を呈していた。

 荒事は博徒の要素の一つ。

 だが、獰猛な上州博徒にも相州博徒にも負けないほど、無偏辺組は強硬だった。

 争いを話し合いで談合し、仲よく江戸の縄張りを分け合おうとしていた博徒たちに、疑心暗鬼が宿る。


「消える寸前だった、無偏辺組が息を吹き返したのは、どこかの組織が後押ししているからではないのか?」


 ……と。


 表面上『手打ち』(談合の事)をしているので、抗争は出来ないが無偏辺組をけしかけることはできる。無偏辺組に何かあったら、知らぬ存ぜぬを通せばいい。

 匿名で資金援助して、兵隊を送り込めば簡単に精強になるのだ。

 実際のところ無偏辺組は、本職の賭場そっちのけで武力抗争ばかりを繰り返して、まるで狂犬だった。

 博徒同士のしきたりも完全に無視している。

 博徒たちの共生の目論見は崩れつつあった。

 密偵が無偏辺組に多く放たれたが、一人も帰ってこないという状況も、くすぶる火種になっていた。


 『同盟している相手が、情報を漏らしたのではないか?』


 という疑いがさらに疑心暗鬼を掻き立てている。

 江戸の賭博市場は、いつ大きな抗争に発展してもおかしくない状況になっていた。

 これこそ、夜刀神 長久 が望む状況だった。

 甲州忍はこれに加担している。

 今までは喫緊の課題として、流入する不逞浪人の問題があった。

 これは、実は豊臣側の工作員『曽呂利衆』による江戸への破棄工作の一環だったのだが、危ういところで回避できた。

 なので、後回しにされて黙認状態の博徒排除に舵を切ったのである。

 ただ、排除するだけではない。

 この絵図面の大元を描いた徳川天領の筆頭代官には、雇用主である徳川にも秘密の目的がある。

 それは、江戸の裏面に流れる銭を掌握すること。

 その手始めが、賭博利権の攻略。

 武田家の家臣時代、互いに知り合いであった、大久保 長安 と 高坂 甚内 は手を結んだ。

 二人の間で、どんな話し合いが行われたのか、現場の指揮を任された 夜刀神 長久 は、全てを知らない。

 だが、官僚として長年 大久保 長安 に仕えていたのでわかる。

 徳川が天下取りに汲々としている間に、何かを作り上げようとしていることに。


 『権力の二重構造』


 そこまでは、読めた。

 その先に 大久保 長安 が何を描いているのか、夜刀神 長久 は、それを知りたいと願っていた。


 妙に肩幅の広い男が、廊下で訪いを告げ、襖をあける。

 何の冗談か、その両肩には、ちょこんと子猿が腰かけている。

 夜刀神 長久 は、ちょうど過去の無偏辺組の帳簿を調べていたところだった。

 博徒という商売を理解しようとしていたのだ。

 護衛の様に、同じ部屋にいるのは、高坂 甚内 という江戸の甲州忍の首領。

 なぜか、部下に任せず、ぴったりと 夜刀神 に張り付いていた。


「お頭、久しぶりですね」

 肩幅の広い男が、凶貌をほころばせて言うと、同調するようにきっきっきと猿が鳴いた。

 

  

 

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ