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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
慈恩の章
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街道の刺客

 上州に土着した馬庭念流。

 その『まがいもの』である 通口かよいぐち 定正さだまさ は本来『念流』を学んでいた。

 廻国修行と称して、多くの『まがいもの』が人斬りの旅に出たが、学ぶ流派を勝手に変えてしまったのは、定正 だけだろう。『念流』と『馬庭念流』と、系統が同じとはいえ、

 『まがいもの』剣士として育てられた者は、育ての親である剣の魔人 草深 甚四郎 を恐れそして憎んでいたが、定正 だけは違った。

「あのくそ爺は、どうしようもないクズだが、自分に正直なところだけは、感心する」

 そんなことを言って、同輩の 山田 月之介(第一章『浮月の章』参照)に呆れられていたものだ。

 事実、定正は甚四郎を「怖い」とは思っていなかった。

 立ち合えば、勝てることも、負けることもあろう。その程度の認識。

「あえて殺し合いをすることもあるまい」

 などと考えていた。


 正確で精緻な技を持つ 山田やまだ 月之介つきのすけ

 天賦の才を努力で磨き上げた 富田とだ せい

 自分を超える可能性を持つ者として、甚四郎が真っ先に名前を挙げていたのがこの二人だが、実は彼が一番恐れていたのは 通口 定正 だったという。


「秀才も天才も結局は儂を超えられぬ。奇なる才を持つ者だけが儂を斬ることが出来るであろう。だが、そんなやつとは、対戦するに値せぬ」


 そんな言葉が遺されていた。通口 定正 を指した言葉と言われている。



 今後、江戸を起点とした『五街道』の一つとして整備される予定の『中山道』を、異形の三人がのんびりと歩いていた。

 髪を細かく何本も編みそれをひっつめた『束ね髪』の男が 通口 定正。涼しげな空色に白い筋が入った蜻蛉玉が髪を束ねる元結もとゆいに結び付けられていて、歩くたびにふるふると揺れていた。

 長身痩躯で無腰の男が、平良たいら 宗重むねしげ

 長大な陣太刀の拵えでその刀身が『レイピア』という混血剣を背中に背負っている小柄な人物が、勇魚いさな

 この二人は、定正を「師匠」と呼んで、彼につき従っているのだった。

 定正自身は「師弟の間柄ではない」と否定しているが。

 

 居心地が良いので、しばらく上州赤城に留まっていたが、旅から旅へ……各地をこの三人は漂泊していたのである。


 平良と定正は、薩摩のはるか沖にある琉球で出合った。

 琉球は独立した王朝だったが、砂糖利権や大陸との交易を狙って島津家が間接支配を狙っていて、平良はその薩摩の現地の薩摩商館を護衛する駐留武官だったらしい。

 その時、何があったのか、

「なにもかも、嫌になった」

 そういって刀を捨て、たまたま琉球を訪れていた定正に同行したのだった。


 勇魚とは、紀州沿岸で出合った。

 南蛮船の奴隷狩りに襲われた漁村の生き残りらしく、『レイピア』や『がんとれ』を所持していたのは、そういう理由らしい。

 海賊まがいの生活をしていた勇魚だが、襲った船が護衛として雇っていたのが定正だった。

 彼と我流南蛮剣法で戦い敗れたのが縁で、定正にくっついているのだった。

「なんで、江戸なんだよぅ」

 歩き疲れたのが、その勇魚が愚痴る。

 腹が減ったり、物事に飽きると、愚痴を言う癖が勇魚にはあった。

「友が二人死んだ。ある男に殺されたのだ。なので、ソイツを殺すことにしたのさ」

 間食として食べた団子の串を未練がましく咥えていた勇魚が、それをぷっと吐き出す。

 勇魚に『小言こごと辛兵衛しんべえ』と仇名される平良が眉をひそめる。

 無作法な事を勇魚がすると、説教するからだ。

「そういうの、気にしちゃいかんと、師匠は言ってたじゃねぇかよ。そんなことより、伊豆にいこうぜ。温泉もあって、体も休まる。魚も旨い。俺が、漁師料理をつくってやるぜ」

 勇魚が提案する。

 定正は苦笑を浮かべて、首を振った。

「おまえら、俺を老人扱いするんじゃねぇよ。それに、こいつはケジメだ。恩讐とか、そういうのとは、違う」

 はるか上空でピーヒョロと鳴きながら、鳶が遊弋していた。

 赤城颪が、街道に砂塵を舞わせている。

「だってよぅ……だって師匠は……」

 勇魚が口ごもる。

 そして、舌打ちして、腰に下げた『がんとれ』を手に嵌める。

 平良が、歩みを遅らせて、さりげなく二人の背後を護る位置につく。

「敗れて即反撃の体制を整えるか。やるなぁ、無偏辺組とやら。本当に、田舎博徒かね?」

 定正が、刀の鍔元を握って、寛がせる。

 寄りかかった街道脇の大きな楠から身を起こしたのは、大柄な浪人者だった。

 荒んだ顔つきをしている。

 底光りする眼で定正を見て、居合腰になる。

 足が地面を抉り、足場を固めていた。

「刺客、六辻むつじ一刀流、前島まえじま 左近さこん

 そう名乗る。

 食い詰めた浪人が勝手に流派を名乗り、武「芸」者として売り込むことが始まった時期である。

 剣術は戦場では役に立たないという風潮があり、剣士は一種の「芸人」の扱いであった。

 この前島某の様に剣流の名前を売るため、刺客に手を染める者も少なくなかったのだ。


 無言のまま、定正が前に出る。

 勇魚と平良は腕組みをして立っている。傍観することにしたようだ。

 数を頼りに押してくるわけではないと、気付いたから。

 定正が散歩の足取りで前に出る。

 歩きながら、無造作に抜刀した。

 同時に前島も抜刀する。

 春の街道上で、白刃がギラリと陽光を跳ね返す。

 前島は、右腕を首に巻きつけるような『逆八相』。

 重心は落とさない。

 介者剣法から、素肌剣法への工夫をしたのだろう。

 それなりに戦績を重ね、剣術として成熟させているのが見えた。

 対して定正は、極端に重心を低くしていた。

 後ろに引いた『引き足』に重心をかけ、前に出した『踏み足』は爪先が地面に触れる程度。

 傍目には、腰が引けた構えであり、極端な重心がかかった足は『ベタ足』といって悪手とされる。

 だが、これが『馬庭念流』の基本的な構えだった。

 刀身は体の中央……人中線じんちゅうせん……に沿って立て、まるで刀の陰に身を竦めているかのように見える。

「ふん……博徒剣法か」

 前島がするすると間合いを詰める。

 窮屈な逆八相の構えだが、そこから変化する工夫があるのだろう。

 上手、達人でも他流との立ち合いでは、虚を突かれることもある。

 恐れることなく前に出るのは、自信あってのことなのだろう。

 前島が詰めた分、定正が下がる。

 『ベタ足』なのに、滑るような移動だった。

「ぬ……」

 前島が警戒して、後ろに下がった。

 今度は、定正は敵が下がった分、ふわりと前に出る。

 上体が全く揺れないので、まるでアメンボが水面を移動する様が連想された。

 薄気味悪かったのだろう。前島は眉間に皺を寄せ、やや身を沈める。介者剣法の癖が出ていた。

 前島が、怯みそうになる気を『殺気』で跳ね返す。

 人斬りが纏う黒い炎が、前島の肩で揺らめくのを、勇魚は見た気がした。

「まぁ、桁が違うわな」

 勇魚がつぶやくと、平良が頷いた。

 前島には見えたのだろうか?

 定正の背に、化鳥の翼の如く広がるズブ泥色の炎が。

 汗に光る前島の顔が蒼白になっていた。

 定正の殺気に捻じ込まれたのだ。

 これが、場数の差。

 絶叫を上げ、逆八相から斜めに前島が叩き下してくる。

 萎縮しかけたが、声を出すことによって、呪縛を解いたのだ。

 その剣風に押されたかのように、定正が後ろに『滑る』。滑るとしか言いようがない、奇妙な足捌きだった。

 前島が踏み込む。

 踏み込みながら、また横殴りに一刀を振るう。

 八相から斜めに、逆八相から斜めに、連続で叩き下して来る。

 袈裟懸けの軌道を描くので、相手は潜ることが出来ない。下がるしかないのだ。そうして追い詰めていくのが、前島が導き出した剣理なのだろう。

「相変わらず、お優しいことで。さすが師匠」

 平良が言う。

 勇魚は不満気に鼻を鳴らした。

「何も、相手の全力を出させてやる必要はねぇんだよ。とっとと斬っちまえ」


 数度、定正が連続の袈裟懸けの斬撃を躱す。

 普通は、ここまで斬り立てられると、態勢が崩れる。

 だが、定正は刀身の後ろに身を竦めたような構えから、全く乱れない。

 慌てて受けることもしない。

 前島の刀は、刀とは名ばかりで、鉈をそのまま伸長させたような、刃物というよりは鈍器だった。

 刀身を打ち合えば、相手の刀は折れ、肉体に当たれば骨が砕ける。

 刃筋を意識する必要がないので、ひたすらブン回す工夫だけを重ねていた。

 介者剣法と素肌剣法の中間が六辻一刀流の剣理。

 多少息が上がったが、まだ刀は振れる。

 ひたすら、そういった持久のための修練を積んだのだ。


「出し切ったか? 悔いはないか?」


 刀身の影から、定正が言う。

「ひょろひょろと逃げやがって、叩き壊してやろうからな」

 前島が毒づく。

 定正の厚い唇が、笑みを刻んだ。

「では、決着をつけるか」

 大きく一歩踏み込んで、逆八相から前島が斬撃を放つ。

 定正は、今度は下がらなかった。

 立てた刀身に、前島の剛刀がぶち当たる。

 鋼の打ち合う音……は、しなかった。

 耳障りな鋼同士が擦れるギャリギャリという音がしただけ。

 定正の刀が、前島の刀を柔らかく受け流し被さるようにして、押さえつけていたのだ。

 それで、前島は返す一撃を送る事が出来ず固着してしまっていた。

 刀を制圧されるのを嫌がって刀身を引きつつ前島が飛び下がる。

 すると見よ、まったく同じ距離を定正は前に出て、押さえつけた刀身は、糊付けされたように密着したままになっているではないか。

「この!」

 苛立って前島が刀身を立て、鍔迫り合いに……とは、ならなかった。

 今度は、定正はすっと身を引いたのだ。たまらず、前島がたたらを踏む。

 つんのめった姿勢から一撃を跳ね上げようにも、刀は吸いついたかの如く、押さえつけられていた。

「馬庭念流、『続飯そくひづけ』! お見事でございます」

 感嘆したかのように、平良がつぶやく。

 『続飯』とは、焚いた米粒を練った糊のこと。

 絡み合った刀身がくっついているように見えることから名付けられた、馬庭念流の奥義だった。

 刀の動きを制限しながら、そのまま定正が体ごとグイッと押し込む。

 なすすべもなく、前島の胸に切っ先がもぐりこんでゆく。


「もう、戦わなくていい。俺がお前の事を覚えていてやるよ。だから、ゆっくり休め」


 食い込んだ切っ先がグリっと抉られる。

 前島の眼が、光を失ってゆく。

 顔にあった険が消え、前島は、ほっとしたような、泣いているような表情になる。

 涙が一粒、前島の頬を流れた。

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

文中に出てくる『小言辛兵衛』は上方落語『貸家』に出てくる、口うるさい家主です。

この噺が出来たのは、この物語の舞台(1601年)から約百年後です。

偶然の一致ということで、理解してくださいませ。

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