血風 赤城山
うらぶれた浪人者とはいえ、元は武士。戦争の犬たちである。
拵えは刀。その刀身は『レイピア』という『混血剣』を操る剣士 勇魚 が手強いとみるや、全員がどっと前に出た。
小規模とはいえ、これは戦。
戦は大将の首を採れば勝ち。突出した先鋒である 勇魚 を無視して、光三郎 に殺到したのだ。
「あ、あ、ちくしょう! 逃げんな! 俺と戦え!」
素通りされた勇魚が喚く。
鬨の声が上がる。
十九人が駆ける地響き。
圧し掛かる殺気。
「ひいい」
博徒の誰かが、魂消た悲鳴を上げて、尻餅をついた。圧力に耐え切れなかったのである。
その中にあって、さすがに光三郎は肝が据わっている。
体重を後ろにかけ、ズンと身を低くした構えをとっていた。
これは、馬庭念流の基本的な構えである。
相馬四郎義元入道慈恩の開祖『念流』の流れを汲むのが馬庭念流。
天正十九年(一五九一年)念流八代目を継いだのが、上州多胡郡馬庭村(現在の群馬県高崎市吉井町周辺)在住の郷士 樋口 定次で、以降『馬庭念流』を名乗る。
樋口は、身分を問わず広く門弟を受け入れ、それゆえ馬庭念流を学ぶ博徒も多くいたのであった。
光三郎も、馬庭念流の『切紙』は授けられる腕はもっていた。
その光三郎を庇う様に前に出たのは六尺(約百八十センチ)を優に超える長身痩躯の男、平良 宗重。
「では師匠、お先に」
通口 定正 に一礼すると、無手のまま殺到する浪人衆に向かって走る。
「野郎ども、続け!」
光三郎がそのあとを追って駆け出した。
釣られるようにして、博徒は腰が引けたまま、大声でわめきながら走る。
腰が抜けた博徒が一人。そして、通口 定正 だけがその場に残った。
「行かなくて、いいのかい?」
螺鈿で飛翔する鶴が図案化された朱鞘の刀を落とし差しにして、その柄に肘を寛がせた 通口 定正 が、半笑いで、その博徒に言う。偵察に出ていた新入り、権太という三下だ。
「へい、腰がぬけちまって……」
鬨の声がぶつかっている。
鋼を打ち合う音。
断末魔の悲鳴。
博徒と浪人の乱闘が始まっていた。
「そうか」
そう定正が、ぼそりとつぶやいた瞬間、三下博徒の権太は地面を転がった。
今まで、彼がいた空間を、間一髪の差で紫電が走る抜ける。
いきなり、定正が抜き打ちに斬りつけてきたのだ。
「ひいっ」
悲鳴を上げつつ、権太が懐から、一尺(約三十センチほど)の竹三本を紐で繋いだもの取りを出す。
紐を引っ張ると、一本の棒になる道具『三節』である。
定正の追撃の一刀も、空を切った。
権太が『三節』を組み立て、それを地面に立てると、それを踏んで跳んだのだ。
一瞬の出来事だった。
地面に三節が転がる前に、空中で身をよじった権太が紐を引っ張る。
引かれて権太の手に戻った三節を、地面に着地する前に再び地面に立て、それを踏んでもう一度跳ぶ。
合わせて、あっという間に五間(約九メートル)の距離を飛び、渡良瀬川に権太は飛び込んだ。
急流に紛れ、姿が消える。
鮮やかな逃げっぷりだった。
はっはっはと、定正が笑う。
初太刀は、本当に殺す気だった。
それを躱したのは見事だった。殺気を探知する本能的な警報装置が備わっているかのようだった。
二ノ太刀で仕留めることはできたが、あえてそれはやめた。
この、前歯が発達していて、ネズミみたいな顔をした男が、これからどうするのか、興味がわいたからである。
「いいものを、見せてもらった。あっぱれ、あっぱれ」
納刀し、腕組みをして戦場を振り返る。
引き返してきた勇魚と、素手で殴り投げ飛ばす平良に挟撃されて、浪人は次々と討ち取られていた。
勇魚と平良に戦闘不能にされた浪人を、博徒が寄って集ってずたずたに切り裂いていた。
赤城颪という乾いた風に、血が匂う。
暴力に酔った三下博徒たちが、浪人たちに必要以上に刃を叩きこんでいた。
これは、恐怖の裏返しでもある。
立ち上がってくるのではないかと、不安なのだ。
大方、浪人者は片付いていた。
返り血で、赤鬼みたいな顔になった光三郎が、定正を見て頷く。
定正が勇魚と平良に向かって目配せすると、彼らは手近な博徒を突き殺し、撲殺しはじめた。
「ああ、先生方、何なさるんで?」
「やめてくだせぇ! 後生でございます!」
「貸元! 助けてください!」
悲鳴があがる。勇魚も平良も淡々と始末を続けていた。
浪人によって、何か所か手傷を負った博徒が一人走って逃げてくるのが見えた。
負傷の衝撃と、裏切られた恐怖とで、やぶれかぶれになっている。
切っ先三寸のところでぽっきり折れている長ドスを構えて、定正に叩きつけてきた。
定正は、それをひょいと躱す。
いつの間に抜刀したか、振り抜いた形に刀を掲げていた。
首なしの博徒が、とっとっ……と、数歩進みドタリと倒れる。
「代貸の九兵衛がいねぇ。いつの間に逃げやがった」
悔しそうに、光三郎が言う。
いつの間にこの戦場を離脱したのか、定正にもわからなかった。
「権太とかいう、三下も逃した。どうやら、そいつは密偵だったようだぜ」
血振りしボロ布の血を拭って納刀しなら、定正が言う。
それを光三郎が聞いて、肩をすくめる。
「身中の虫を排除できただけで、よしとしますかね」
朝日は中天にかかり、背中がぽかぽかと暖かかった。
妙に肩幅の広い浪人が、ぶらぶらと渡良瀬川の畔を歩いている。
甲州忍の 蕪 九兵衛 だった。
江戸の老舗の田舎博徒『無偏辺組』の代貸 通臂の九兵衛 という設定で、浪人を率いてカチコミに行ったのだが、手強い用心棒が居るのを確認した段階で、戦場を離脱したのだった。
どさくさに紛れるのは得意だった。浪人を見捨てて逃げる事に、全く罪悪感はない。忍は生きて情報を伝えてこそ……だ。
今回は『赤光一家』の実力を測るのが目的。
そして、組織崩壊の萌芽を植え付けるのが目的だったのだが、その目論見は外れた。
まさか、この出入りに、使い捨ての新参者だけを連れてくるとは思わなかったのだ。
しかも、こっちの意図を読んで光三郎は、一瞬で部下を切り捨てた。大を生かして小を切ったのだ。
それで、指揮官としても手強いと知れた。
それだけで十分だった。こうした情報収集はいろんな構成員が行っていて、頭目の 高坂 甚内 と 喰代 左兵衛、まだ合ったことはないが 大久保 長安 の私設官僚が集約して作戦行動の絵図面を描くはず。
大方針を定めるのは、自分の役割ではないと、九兵衛は思っていた。
渡良瀬川に沿って、足利方面に向かう。
そこから、渡良瀬川と別れて館林に向かえば、そこに甲州忍の拠点がある。上州桐生を監視するために作った極秘拠点だ。
その面子が用意した船が、利根川に隠されているはずだった。
しばらく歩いていると、川沿いにある、水車小屋の影から、ポタポタと着物から水滴を垂らした小柄な男が姿を現した。
博徒に紛れ込ませておいた密偵、瓦走りの権太だった。
「旦那、話が違いますぜ」
とがった顔、発達した前歯、猫背で手の甲を胸の前でさする癖、ネズミを連想させる異相の男だが、腕はいい。
『宿星屋』を介して、雇ったのだ。
首領の 高坂 甚内 が、妙に『宿星屋』を気に入っていて、すっかり御用達になっている。
「すまん、すまん。奴ら、あそこまでヤルとは思わなんだ」
三下として赤光一家にもぐりこませ、不安をあおる噂を流す任務だったが、新入りが駆り出される出入りで、殺されかけたらしい。
「約定通り、給金は払う。イロもつけよう。だから、機嫌を直せ、な?」
濡れネズミという言葉が浮かんできて、笑いそうになるのを堪えつつ、九兵衛が言った。
小鼻に皺をよせ、げっ歯類じみた威嚇顔をしていた権太はそれで溜飲を下げたのか、九兵衛と並んでトボトボと歩き始める。
『まさか、尻尾はあるまいな?』
と、九兵衛は権太の後ろ姿を盗み見た。
江戸。小名木川沿いの、河川切削労働者が暮らす長屋から、ぶらりと外出する者が二人。
草深 甚吾 と、七死党の生き残り、露木 玉三郎 だった。
甚吾の肩には愛用の釣竿。
露木は魚籠をぶら下げていた。
小名木川を伝って荒川の河口へ。
荒川と江戸最初の運河の一つ小名木川との合流点には、川番所が作られ江戸水運の重要拠点になるのだが、現時点では何も作られていない。
河口付近に広がる葦原を抜け、江戸湾に向かう。
このあたりは、死体処理をする不可侵民『シデムシ』の領域だが、甚吾は襲われたことはない。
彼らには奇妙な嗅覚があって、自分たちより強い者は襲わないのだ。
河原の石をめくって、虫を見つけ、釣り針に刺す。
それを、沖に向かって投擲した。
竿を立てて甚吾が白く乾いた流木に腰かける。
玉三郎は、例によって沢蟹などを見つけて、小枝でいじめて遊んでいた。
このあたりは神隠しなどがたまに起こるので、漁師も近づかない場所なのだが、今日は甚吾以外にも釣り人が居た。
きれいに月代を剃り、髭もきちんと当てて、清潔感がある若い男だった。
大久保 長安 の命を受け、江戸の暗部を仕切る勢力の一つ『博徒』の既得権を潰しに来た官僚、夜刀神 長久 である。




