南蛮剣法
博徒の出入り(抗争のこと)は、一種の約束事で成り立っている。
堅気の衆に迷惑をかけないこと。
仲介者が出たときは一時休戦すること。
手打ち(停戦協定)の後は恨みっこ無いこと。
……などである。
特に博徒は賭場や催事の仕組みを覚えるのに一定の人員養成期間が必要で、簡単にポロポロ死なれては立ち行かないというのもある。
なので、合戦を真似た大規模な出入りでも、なるべく実際の武力衝突を避けるための仕組みがあるのだ。
数を揃え、武装させるのは、本来は一種の示威行為。
「当方には、これだけの人数を動員する影響力があり、これだけの武装を整える経済力がある」
ということを誇示する場。
陣を組んでにらみ合い、威勢の良いところを見せて、戦わずして解散……などということも多い。
だが、今回は違う。
遠征隊を率いる九兵衛は甲州忍であり、扇動者。
激突させ、浪人も博徒も共倒れになるのが最良の絵図面。
赤光一家の貸元、赤木山 光三郎 は物見からの報告で、「これは示威行為ではなく、軍事行動」と見抜き、用心棒や新参者を中心とした部隊編成をすることで、当方の被害を最小限に抑える作戦に出た。
用心棒の 通口 定正、勇魚、平良 宗重 の実力は知っている。
彼らがいれば、二十人程度の食い詰め浪人など、脅威にはならないという確信もあった。
赤光一家躍進の背景には、この滅法強い用心棒たちの存在も大きかったのだ。
「作法通り、口上からやりますが、敵ははなっから、殺る気です。そのおつもりで」
床几にどっかと腰かけ、光三郎 が腕組みして目を閉じる。
ここは、渡良瀬川が北西から南東に流れる河原。
堅気の衆に迷惑をかけないよう、大規模な出入りはここで行うのが、桐生博徒の習わしだった。
かがり火が焚かれ、赤城山から吹き降ろす風に火の粉を散らす。
通口 定正 は、流木に腰かけ、自分用に作った焚火に手をかざして、暖をとっていた。
その背後を守るようにして、長身痩躯の 平良 宗重 がうっそりと立ち、小柄な体に長大な陣太刀を背負う 勇魚 がブラブラ歩きながら、干し柿などを頬張っていた。
童じみた仕草で、ぷっぷと種を飛ばしているが、まだ少年かと思えるほど若い。
間もなく、夜も明ける。
東の空が、白みかかってきていた。
「腹がくちくなったら、眠くなっちまった。お家に帰っていいか?」
拾ってきた小枝を、定正を温める焚火にくべながら、勇魚が言う。
「君は、何しにここに来たのかね? 真面目にやりましょうよ」
ため息混じりに、平良 宗重 がたしなめる。
「だってよぅ。待つのは苦手なんだよぅ。いつまでここに居ればいいんだよぅ」
そんなことを言って、勇魚が唇を尖らせていた。
オカメの面に似た顔に、光三郎が苦笑を浮かべる。
定正は、寒さで指先が白くなった手を擦り合わせて、息を吹きかけていた。
勇魚がその様子を横目で見て、平良に目配せする。
平良は、羽織っていた半纏を脱いで、定正に羽織らせる。
「寒いの、嫌いですものね」
言い訳するように、そう付け加えながら。
「この野郎、老人扱いしやがって。だが、ありがとうよ」
つぶやくように、定正が答える。その声は、まるで老人の様にしわがれていた。
それを聞いて、皺深い顔に平良が微笑を浮かべる。
「いえいえ、師の身を案ずるのは弟子の務めです」
パチンと焚火が小さく爆ぜる。
塒から飛び立ったカラスの群れ、騒ぎながらどこかに飛んでゆく。
セキレイが、ヒョコヒョコと長い尾羽を振って、河原で小虫を物色していた。
「俺と、おめぇらは、弟子でも師匠でもねぇよ。自由に生きればいいんだ。そもそも、俺は剣なんざ教えてないじゃねぇか。何の師匠だよ。まったく」
微苦笑を浮かべて、定正が言う。
「人生の……ですよ」
しれっと、平良が答えた。
鉢金に手甲足甲、襷がけをして、着流しの裾をからげた『出入り支度』の博徒が、朝靄の中を走ってきた。
「貸元! 来やしたぜ!」
無偏辺組の浪人隊を監視していた赤光組の三下、権太だった。
三下とは、博徒のうち下足番などの下働きを行う下級構成員のことを指す。
転じて、取るに足らない者への蔑称として「この三下め」などという言葉が使われる。
眠っていたと思っていた、光三郎が床几からすっくと立ち上がる。
低く朝靄が流れた。
権太に驚いたセキレイが、羽音も高く飛び去ってゆく。
緊張が、赤光組に走った。
河原の石をざくざくと踏む音が聞こえる。
妙に肩幅が広い男に率いられて、浪人が河原に到着した。
「赤光一家、貸元さん自らお出迎えとは痛み入ります」
浪人二十人を従えた九兵衛がよく通る声でそう言い、深々と頭を下げる。
光三郎は、うむと頷いただけだった。
「貸元さんには恨みはねぇが、これも渡世の因果。縄張りを受け渡し、あたしら無偏辺組に譲っていただきてぇ」
これが、無偏辺組の要求だ。
まるで、お話にならない。これで、光三郎は確信した。
話し合いでの手打ちは端から眼中にないのだと。
「もちろん、赤光組のおあ兄さん、おあ姐さんには、礼儀を持って接しやす。縄張りはそのまま、身分もそのまま、掲げる看板が変わるだけ。この、通臂の九兵衛が誓いやす」
それを聞いて、光三郎は内心舌打ちした。
これが目的かと、気が付く。
この口上は、敵が打ち込んできた『毒』だ。
万が一、赤光一家が劣勢に立つようなことがあったら、一気に離反者が出る。
渡世の義理だの、仁義だなどと、キレイ事を言っても、人は自分だけが助かろうとするものだ。
光三郎は、誰よりもそれを知っている。
だが、誰が絵図面を描いているのか知らないが、無偏辺組の行動には違和感がある。
出入りや抗争は、縄張りを拡大するのが目的。
併合した勢力の縄張りを奪ってはじめて、勢力は拡大するのだ。
それを、看板を付け替えるだけで是とするのは、利ザヤが小さい。
あとで裏切るという可能性があるが、この業界は狭い。
悪評が立てば敵が増える一方になり、どんな大きな組織もどこかで息切れしてしまうもの。
そこに、底知れない不気味さを感じる。
博徒同士の単なる抗争以外の何かがあるような気が、光三郎にはするのだ。
現時点で、こんな危機感を持つのは、彼以外いないのだが……。
そういえば、数ある博徒の中で、赤光一家を抗争相手と選んだのも納得いかない。
示威行為なら、もっと大きな組織の方が名が売れるし、実際の縄張り争いなら、手ごろな弱小組織がある。
桐生博徒の談合の時「敵の正体の裏を探るべき」と、うっかり口を滑らせてしまったが、まさか……。
そこまで考えて、光三郎は首を振った。
脳裏に浮かんだ、様々な思考を振り払う。
自分自身が疑心暗鬼に陥ってどうすると、思ったのだ。
「無偏辺の九兵衛とやら、そんな話は一寸ものめねぇ。だが今なら、黙って引くなら、てめえの首一つで勘弁してやる。早々に桐生から去れ」
普段のオカメ顔を鬼の形相に変えて、怒鳴り返す。
「そうだ! そうだ!」
「エテ公は、江戸に帰れ!」
居並ぶ三下が一斉に吠える。どれだけ威勢のいい若衆が揃っているか、誇示するため。
声が大きく、士気が高いことを示せば、戦うことなく敵が陣を払うということもある。
こうした野次の応酬も『出入りの約束事』なのだが、無偏辺組の浪人衆は左手で腰の刀の鍔元を掴み、沈黙を守っている。
やはり、刃傷沙汰必至だろう。
光三郎が、片手を差し出す。
控えていた三下が、その手に長ドスを乗せた。
「無言が返答か。では、死ね」
むしろ静かな口調で光三郎が宣言し、手にした長ドスを素破抜く。
鞘は、カランと投げ捨てた。
「応!」
と、十二人の三下博徒が、長ドスを抜いた。
ただし、腰が引けている。
げらげらと、勇魚が笑う。
「だめだ、こりゃ」
そんな、勇魚の嘲笑も聞こえないのか、
「来い! どサンピン!」
「なますに刻んでやるぜ!」
などと、掛け声ばかりは勇ましい。
のっぽの平良と光三郎は苦笑を浮かべ、勇魚は腹を抱えて笑っている。
定正は、平良が肩にかけてくれた半纏を畳んで、腰かけていた倒木の上に乗せ、飛翔する鶴が螺鈿で図案化してある朱鞘の刀を腰に差した。そして、
「敵も味方も皆殺し。それでいいな?」
そんな物騒な事をつぶやく。
「あんな口上吐かれちゃ、三下どもも死んでもらわんといけなくなりました。可哀想ですがね」
光三郎が、自分の胸の内を読まれて、一瞬ヒヤっとしながらも、平静を装って答える。
どうも、定正と相対していると、人外のモノと会話している気分になる。
ぎゃあぎゃあ騒ぎならも、誰も一歩も前に出ない三下博徒を尻目に、定正が歩を進める。
その左右に、勇魚と平良が続いた。
赤光一家の三人の用心棒がずいっと前に出た段階で、浪人衆が一斉に抜刀した。
朝靄は消えつつあり、朝日が顔を出しつつある。
刀身が陽光を浴びてギラリと光り、空気が殺気の激突にピリピリと帯電する。
あれほど威勢がよかった三下博徒も、すっかり黙り込み、固唾をのんでいた。
勇魚が横目で、定正を見る。
問わず語りに「行っていいか?」と問うていた。
「だから、師匠と弟子なんかじゃないって、言ってるのによ。好きにしな」
苦笑を浮かべながら定正が言うと、勇魚は頷いて腰に下げた籠手を右手にはめる。
革手袋に金属片を縫い付けた前腕まで覆う武骨な籠手で、西洋鎧の手甲の部分だけを取り外したような代物だ。
勇魚はこれを『がんとれ』と、呼んでいる。
西洋鎧の籠手『ガントレット』から来ているのだろう。多少軽量化は図られているようだが、似た形状のものだった。
勇魚がその『がんとれ』を嵌めながら、小走りに駆けた。そして、背中の長大な陣太刀の柄に手をかける。
走りながら抜刀する。
常識では、小柄な勇魚は背中の長大な陣太刀を抜刀できない。
もともとこれは従者に鞘を持たせて、抜刀して長柄の武器の変形として使うもの。
背中に背負ったまま抜く性質のものではない。
だが勇魚は、走りながらスルリと抜いた。
それもそのはず、拵えこそ陣太刀だがその刀身は、南蛮人が帯刀している細身の南蛮剣だったのだ。
別名『レイピア』と呼ばれる刺突用の剣で、竹の様に撓う。
だから、三尺(約九十センチほど)の刀身であるが、背丈の小さい勇魚でも抜刀できたのである。
朝の清冽な空気を割いてピュウンと南蛮と日ノ本の混血とも言える刺突剣が鳴る。
「はっ」
と、鋭く笑いながら、ほぼ真横を向く極端な右半身の姿勢で、勇魚の混血剣が構えられた。
ごつい『がんとれ』に包まれた右拳を低い位置に据えた片手突きの構え。
左手は、帯に差した短刀の柄を握っている。
横を向いた体に重なるように、剣身を立てる。
踏み足となる右脚は緩く曲げて、体重をかけず小刻みに前後に動いて目まぐるしく間合いを変えてくる。
異形の剣に、一瞬たじろいだ浪人衆だが、九兵衛が集めたのは、捨て鉢で獰猛な者ども。すぐに、じわりと殺気を強めてきた。
「来い! 腰抜けども」
勇魚が二十人もの浪人を前に、平然と言い放つ。
「応!」
一人の浪人が、中段正眼に構えたまま、するすると前に出る。
剣術を学んだ者の動きだった。
あれほど威勢が良かった博徒たちは、今は無言。
初めて殺気を浴びた者もいるのだろう。逃げ出したりしないのは、褒めてやってもいい。
前に出た浪人は、幻惑する様に動く混血剣の切っ先が目障りだったのか、半歩間合いを詰めて剣身を弾こうとした。
同時に、極端な右半身のまま、イナゴの如く勇魚が踏み込む。
混血剣の剣身が霞んだ。空気を裂く、鋭い笛の音が鳴る。
朝日に銀光が走り、それはまるで蛇の様にくねりつつ浪人の刀に絡みついたように見えた。
鋼の擦れる耳障りな音を残して、くるくると浪人の刀が彼の手を離れて、宙を舞う。
何が起きたのか、理解できないうちに、浪人の右目に、喉に、胸に、ドンドンドンと穴が開いた。
混血剣の撓りと梃の原理をつかって、相手から刀をもぎ取り、目にも止まらぬ速さで三度突いたのだ。
刀には出来ない動きだった。
悲鳴をあげて、浪人が地面に転がる。
勇魚は深追いせずに、後方に飛び下がり、この隙に勇魚の横手から斬撃を送ってきた浪人の一刀を躱す。
「遅ぇ。あくびが出るぜ」
ピュンと混血剣を振って、勇魚が笑った。
これが、『南蛮剣法』。
南蛮人の決闘を見て、勇魚が独学で覚えた剣法だった。




