異形の剣士
江戸の甲州忍の頭目、高坂 甚内 には気まぐれなところがある。
だから、徳川の実務を支配する大物代官の 大久保 長安 からの依頼でも、受けるかどうかは、甚内の胸三寸という側面があった。
今回は、たまたま『依頼を受ける』ことになったらしい。
主を立て続けに二人失った時から、甚内の瞳には虚無が宿ってしまった。
武田信玄は、甚内の才能を見出し、愛でてくれた恩人。腕のみがこの世を渡る術であると考える甲州忍にとって、心からの賛辞こそ、最高の報酬。信玄は賛辞を惜しまない人だった。
だが、上洛途中で暗殺されてしまった。
病死とされているが、事実は違う。
足利将軍の招聘に応じ上洛を果たした信玄が、形骸化しているとはいえ将軍家の権威を背景にすることで、北条・武田の力の均衡が崩れるのを恐れた風魔が、笛の名手を使って陣屋の外に信玄を誘い出し、狙撃によって暗殺したのだ。
織田の刺客ということになっているが、違う。
あの『うつけ』は、無策のまま途方に暮れていたのだ。儚い抵抗を試みた徳川の方が、まだマシだ。
その徳川が、最後の反抗をするのではないかと偵察中の甚内は、信玄を護ることが出来なかった。
それが癒えない傷の様に、彼を蝕み続けている。後悔している。多分、今でもずっと。
武田勝頼は、若き清廉な貴公子として、尊敬できる存在だった。
「儂に何かあったら、四郎(勝頼のこと)をたのんだぞ」
そう信玄に言われていた。
だが、その約束も守ることが出来なかった。
精強を誇った武田軍団が、武田家最後の戦いである『天目山の戦い』では、供回りわずか数十騎。
甚内は、その中に居た。
「わが首、外道信長に渡すべからず」
そう遺言し自害した勝頼の遺体に爆薬を仕掛けたのも甚内だった。
もう甚内には、何も残っていない。
武田家滅亡のきっかけを作った風魔への恨みだけが、熾火の様にくすぶるばかり。
「しょせん、この世は癲狂よ。舞え、舞え」
甚内はそんなことを言う様になっていた。
そこが、放っておけない。
痛々しくて、見ていられない。
以前の剽悍な甲州忍っぷりを見ていた者は、なんとかしてやりたいと思ってしまう。
浪人衆を率いて、中山道から厩橋城をかすめて桐生に歩を進める 蕪 九兵衛 も、その手合いだった。
三度笠に合羽といういかにも博徒といった格好で、この小集団の先頭を歩く九兵衛の『忍の眼』は、偵察らしい者の姿を何度かとらえていた。
「浪人を雇って、殴り込みをかける」
という情報は、わざと流してある。
どういった反応を上州赤城の博徒どもがするのか観るためだ。
彼らは、迷うことなく迎撃の構えを見せた。
上州赤城の博徒は血の気が多いという噂だが、どうやらそれは本当らしいと、九兵衛は確信した。
あとは、その血の気に実力が伴っているかどうかだが、それはぶつかってみないとわからない。
夜桜見物をしていた 通口 定正 を迎えに来たのは、この上州赤城一帯に蟠踞する博徒の貸元、赤木山 光三郎 だった。
背はそれほど大きくはない。ただし、どこもかしこも太い。
肥満というわけではない。パンパンに筋肉が詰まっているのだ。
彼は、このあたりの出身の男で『赤木山』という醜名の元・力士。それがそのまま、この男の通称になっている。
相撲や芝居の興行には、地元の博徒といった非合法組織のケツモチ(トラブル対処、興行場所の提供などに便宜を図る代償に金銭を受け取る事)が必須で、その縁で博徒の世界に入ったのが、光三郎だった。
腕っぷしと度胸だけでこの業界で成り上がり、今では『博徒の本場』と呼ばれる上州赤城で屈指の博徒集団の貸元になった。
賭場を開くと、金が動く。
その金を貸したり、徴収したりするから、博徒は親分の事を『貸元』と呼ぶ。
博徒組織の激戦区である桐生で、過当競争を勝ち抜いた少数の組織の一つが 赤木山 光三郎 率いる『赤光一家』。
その熾烈な縄張り争いの舞台は、新興の巨大都市『江戸』に移りつつあった。
当然、『赤光一家』も、気の利いた代貸を江戸に送り込んで、江戸支部を作っている。
組織の幹部は、貸元の代理をすることから『代貸』と呼称される習わしだった。
その代貸から、江戸で勢力を盛り返しつつある博徒『無偏辺組』が桐生にカチコミをかけるらしいと情報が入っていた。
無偏辺組は、江戸が関東の小さな漁村だった頃から地元にあった博徒で、地元の催事をを取り仕切ったり、小さな揉め事を解消したり、時には小規模な賭場を開いたりする典型的な地域密着型の田舎博徒で、江戸の大都市化に順応できずに消えつつある組織だったはず。
それが急に過激組織へと変貌していた。
江戸に進出してきた大きな博徒組織は、それぞれ縄張りを決め、手打ちをし、抗争はおさまりかけたのに、無偏辺組が野良犬のように暴れまわり始めたおかげで、だいぶキナ臭くなってしまっていた。
どこかの組織が無偏辺組を陰で援助して、再び抗争を仕掛けているのではないか? と、互いに疑心暗鬼なっているのだ。
資金力がないはずの無偏辺組が、浪人者を二十人近くも雇い、遠征させるなど、背後に何かがついたとしか思えない。その正体は、どこの組織も掴んでいないが……。
「挑んできたからには、受けて立って、叩き潰さんとナメられちまいます」
光三郎は道すがら、問わず語りにそうした背景を説明する。
通口 定正 は単なる用心棒。そんな説明など不要なのだが、彼との付き合いが長い光三郎は、好奇心が湧かないとまともに仕事をしない定正の気質を知っている。
春深い夜道。
チャリチャリと光三郎の雪駄の踵部分に嵌められた金具が鳴る。
見た目よりかなり体重がある光三郎は、履物の踵がすぐに擦り減ってしまうので、踵に金属片を嵌めるのだ。
「案ずるな。仕事はしてやる」
光三郎と並んで歩きながら、定正が言った。
細かく編んだ髪をいくつも束ねて、後ろにひっつめた奇妙な髪型をした侍である。
太い眉。彫の深い顔立ち。高い鼻梁。どっしりと胡坐をかいた獅子鼻。大きな口。そんな自分の容姿が、堺で見かけた、南蛮人が従えていた肌が黒い従僕に似ていて、この髪型はその従僕の髪型を真似たものだった。
白黒の虎柄に染めた野袴。腰に掃くのは、螺鈿で「飛翔する鶴」を図案化した朱鞘の刀。それを落とし差しにして、柄に肘を預けている。
着物は、様々な生地を繋ぎあわせた襤褸。
一見すると単なるボロ着だが、布は西陣や桐生の錦で、配色も綿密に計算された代物だった。
足元固めるのは、革製の南蛮渡来の履物である『ぶうつ』。
定正が足を踏みしめる度にギュッギュッと革が鳴いた。
光三郎が、濃紺の着流しに暗灰色の半纏という地味な装いなので、定正の異形が際立つ。
「敵は、およそ二十人。食い詰めた浪人を無偏辺組の代貸『通臂の九兵衛』とやらが率いているようです。九兵衛は、生け捕り。他は皆殺しで、桑畑の肥やしにしちまいましょう」
ぼそっと、そんなことを、平坦な声で光三郎が言う。
人がよさそうな朴訥とした外見だが、光三郎は残虐だ。
短期間で組織の首領にのしあがったのは、この男が怖い男だからである。
「通臂とはね。まさか、エテ公ではあるまいな?」
ふっふと浅く笑いながら、定久が言う。『通臂猿猴』……大陸の想像上の猿に似た動物。左右の腕が体の中で一本につながっており、片方の腕をするすると伸ばすとその分、片方の腕が縮まると言われている。
九兵衛の肩幅は広い。想像以上に腕が伸びる。それゆえついた仇名なのだろう。
「まぁ『通臂猿猴』だろうが、鬼だろうが、ぶっ殺すまでですよ」
桐生の町を抜け、桑畑が広がる郊外に抜けると、出入り支度の博徒が十人ほど集まっていた。
鉢金をつけ、きりりと襷がけした姿。手甲、足甲をつけ、着流しの裾はからげて尻端折りをしている。
気の早いことに、腰に差した長ドスに柄に手をかけている者までいた。
全員が緊張し、武者震いをしている。
「ひでえ、人選だな」
こわばり、血の気を失った、顔、顔、顔を見渡して 定正 がつぶやいた。
「出入り(刃傷沙汰の抗争のこと)に出たことない野郎を集めたんでさ。これから、斬った張ったが多くなりそうなんで、底上げですね」
そんなことを光三郎は答えた。
光三郎は、粗野で乱暴な男だが、馬鹿ではない。
今後、いくつもの出入りがあると分析しているのだろう。
「童貞野郎は、死ぬぜ」
蒼白な顔の連中に、光三郎が身振りで「ついてこいと」とやると、ぞろぞろと博徒が動き出す。
「これから、厳しくなりそうなんでね。童貞野郎飼ってる余裕は、ありませんや」
「オカメみてえな顔しやがって、つめてぇ野郎だな」
この博徒の中に、異質な者が二人いた。
一人は、背中に三尺を超える陣太刀を背負った、小柄な人物。
もう一人は、長身痩躯の人物。
二人が、博徒の群れから外れて、定正の隣に並んだ。
きっちりとした身分制度がある博徒だが、この二人は貸元である光三郎の指示を無視していた。
上下の躾に厳しい光三郎も気にしていない様子だった。
それもそのはず、この二人は光三郎の子分ではないのだ。
「師匠、こっちにも声掛けやがれ」
声変わり前の少年ような甲高い声で、小柄な人物が定正に言う。
五尺(約百五十センチほど)に満たない背丈なのに、刃渡り三尺(約九十センチほど)はある武骨な陣太刀を斜めに背負っていた。
腰には幅広の短刀を差し、ごつい右手用の籠手が結び付けてあった。
この者、名前を 勇魚という。
もとは、捕鯨の村の出身だったので、そう名乗っているらしい。
勇魚とはいわゆる鯨のことを指す。
小柄な自分の体格を自分で皮肉っているのかもしれない。
もう一人の長身痩躯の男は、勇魚の口汚い言葉にうんうんと頷いている。
縦にひょろりと長い男だった。
名前を、平良 宗重という。
赤木山 光三郎 も 通口 定正 も、背丈は五尺七寸(約百七十センチほど)あって、この時代では長身の部類だが、それを優に超える。
平良は、元は薩摩の下級武士だったらしいが、なぜか帯刀はしない。
その代り、二尺(約六十センチほど)の樫の棒へ直角に取っ手をつけた『とんふぁ』という奇妙な武具と、仏具の三鈷杵を思わせる『釵』と呼ばれる鋼鉄製の鈍器を腰裏に差していた。
「通口先生のお弟子さんが、同行してくださるということで、あとは雑魚でも大丈夫だと思ったのです」
この二人は、赤光一家の用心棒 通口 定正 のツレという扱いなのだった。




