銭の戦
どうしても時代劇書きたい欲求がふくれて、再開いたしました。
最低でも周一更新目指してがんばります(むりだったら、ごめんなさい)。
江戸壊滅計画を画策していた、江戸・曽呂利衆が瓦解した。
新興の町、江戸の隠密を束ねる甲州忍頭目、高坂 甚内が、江戸に潜伏していた『草』(現地に根付いてスパイ活動を行う忍のこと) に化け、破壊工作を手伝う振りをしながら、彼らの計画の全貌を断片をつなぎ合わせて解き明かしてしまったのである。
危うく江戸は灰燼に帰すところだったが、甲州忍はすんでのところで、鮮やかに計画をひっくり返した。
もっと別にやり様はあったはずだが、わざと綱渡りをするようなところが、高坂 甚内 にはあった。
おかげで、高坂の留守を預かる事が多い、忍犬や忍猿や忍鳥を操る次席幹部 喰代 左兵衛 などは、しょっちゅう胃が痛いと嘆いている。
高坂は二度、仕えるべき主人を失った。武田 信玄 と 武田 勝頼 だ。
あれほど精強だった、武田軍団が滅ぶのを見ていた。
「なにもかも、空しくなっちまったのさ。あとは因縁の風魔をぶっ殺して、自由に生きるぜ」
そんなことを嘯いているが、それが本音なのか、それとも話し相手を煙にまいているのか、誰にもわからない。
高坂の異名『七化け』のとおり、つかみどころの無い人物なのだった。
だが、奇妙に惹かれる。
「何かしてやりたい」
「放っておけない」
と、権力や功名など糞くらえと考えている者や、技能のみを頼りにする職能者ほど、ぶつくさ文句をいいながらも、高坂のために嬉々として働く。実に不思議だった。
「人使いは、荒いがね」
やがて江戸を中心とした五街道の一つとしていずれ大々的に整備されることになる『中山道』を歩きながら、妙に肩幅の広い男がつぶやく。
甲州忍の 蕪 九兵衛 だった。
軍学者兼剣術者という設定で売り出し中の、武田の残党 小幡 勘兵衛 と同様、甲州流剣術を使う。
九兵衛が遣う『甲州流』は、小幡の剣術と名前は同じだがまったくの別物で、
「甲州忍の俺が遣うから、『甲州流』さ」
という適当さだった。
「蕪を食う」
をもじった名前といい、功名に興味がない九兵衛は名前なんぞどうでもいいと思っているらしい。
剣術も使うが、九兵衛の真価は『扇動』。
集団をまとめ上げ、狂奔させるのが巧みなのだ。
事実、今も二十人ほどの浪人を率いて、ゾロゾロと春の中山道を歩いている。
この浪人たち戦国の世で主家を失い、食い詰め、新興の町である江戸になんとなく流れてきた手合いで、武士たらんとする者ほど、治安を乱す不穏分子になるものだ。
刀槍を持つ手べきに、鋤鍬を握る事に抵抗を感じるらしい。
そういう者は、匂いでわかる。目を見ればわかる。
九兵衛はそれらに近付き、彼らの誇りを傷つけないよう巧妙に誘導して、江戸から遠ざけたのである。
今回、彼が演じているのは『博徒』だった。
急激に人口が増えた江戸では、銭の匂いを嗅ぎつけて博徒や女郎屋が集まりはじめていて、水面下で激しい縄張り争いをしている。
曽呂利衆を撃滅する際に大量の浪人を殺処分した甲州忍の次の主要攻撃目標は、博徒だった。
賭場を仕切る博徒も、女郎屋を仕切る忘八も、盗品や古物の洗浄を仕切るシデムシも、『必要悪』であるという考えもあるが、徳川は自分以外の権力の存在を認めない。
猜疑心が強く狭量な三河者らしい思考だ。
その思考に従い、幕府開府までに極力『既得権』を潰すのが、江戸の治安を請け負った甲州忍の役割となる。
今までは、浪人が主な相手という事で、武装警察の意味合いが強かった甲州忍だが、浪人流入問題が一段落した現在、江戸の軍事を司る『先手組』とは別の機関と組まされたという噂もある。
『先手組』は、普請奉行の澤田、先手組組頭の千葉という、無能極まりない人物が更迭及び急死したこともあり、組織改編でそれどころではないというのもある。
「どうも、大久保 長安 の息がかかった連中と、組むことになった様だぞ」
とは、九兵衛の朋輩 柿 杢兵衛 の情報だった。
大久保 長安 は出自が曖昧で、春日大社に猿楽を奉納する金春流猿楽の舞手だったという。
その後「金山開発の才あり」と、武田信玄に自らを売り込み、有力武将 土屋 昌続の与力として召し抱えられている。
武田の財を支えた黒川金山の開発などに携わり、信用もされていたのか特別に「土屋」姓を賜っている。
高坂との交流はこの頃からで、その伝手もあって、新しい作戦行動に甲州忍が抜擢されたのだろう。
長安は、武田に取り入ったのと同様の手口で徳川に食い込み、譜代の重臣 大久保 忠隣の与力となり、今度は大久保姓を賜っていた。
それで現在は『大久保 長安』を名乗っているというわけだ。
その 大久保 長安 と組んでの作戦は、浪人同士を噛み合わせて全滅させるとか、そういった単純な作戦ではないらしい。
「なんでも『銭を使った戦』とか、なんとか……」
高坂から説明を受けたはずの次席幹部 喰代 左兵衛 も、全体像は分かっていないらしい。
ただし、新しい玩具を見つけたかの様に、甲州忍の頭目である高坂が上機嫌なのはわかった。
浪人を集め、中山道を高崎に向かうのは、その作戦の一環。
高崎から中山道を逸れて桐生に向かうのだが、その途上「必ず襲撃されるはずなので戦え」と指示されている。
勝てと言われていないので、全滅前提の威力偵察なのだろう。
甲州忍側としては、不逞浪人になりそうな連中を処分出来て、なおかつ敵の技量も計れるという、損のない作戦だ。
報告者である九兵衛が生き残るのが前提だが、どんな戦場からも生き延びてきた実績が彼にはある。
「まったく、人使いが荒い」
何度目かの九兵衛のつぶやきが、春深い中山道の抜けるように青い空に消えてゆく。
九兵衛一行は、高崎宿で一日休息の後、中山道と別れて桐生に向かう。
桐生は、古くから絹織物が盛んな場所だ。
近年、浅間山噴火の降灰の影響で、農作物が壊滅的な打撃を受けてからは、養蚕業に切り替える農家が多く、この地の統治者である徳川もそれを推奨し、保護政策を敷いている。
これは、絹相場の値崩れを起こさせて京都の西陣に圧力をかけるためで、豊臣の息がかかっている事が多い上方の太物問屋に仕掛けた『銭を使った戦』の仕組みの一つらしい。
この銭を使った戦の矢玉の代替は、銭そのもの。
兵站を整えるのは戦の常道。
そこで、大久保 長安 が目をつけたのは『賭博利権』だった。
新興の江戸の町は、膨大な数の土木などの労働者が流れ込んできている。
人が多ければ物流も動く。
大商人も、新しい市場を求めて江戸に集まる。
こうした商人の上前を撥ねるため、徳川は三河出身の商人に特権を与えて『政商』とし、莫大な豊臣の財力に対抗しようとしている。
だが、まだ足りない。
金山、銀山の独占及び開発と同時進行で、大久保 長安 は、新しい利権の獲得を狙っていたのだ。
江戸の普請は、徳川に雇われた土木を扱う木材商が担う。
この木材商は、組合による強固な団結を誇っていて、容易に権力者に屈しないことで有名だ。
下手に圧力をかけると、一斉に土木関係者が引きあげてしまい、町も城も作れなくなってしまう。戦国の世では死活問題になる。
武士でも縄張り(建築の図面引き及び普請前の測量)はできる。
武士でも都市計画は立てられる。
ただし、実際に石を積んだり、土止めして運河を掘ったり、家を建てたりするには、技術を持った職人の手が必要。
町や城を作る職能集団が、権力者であっても不可侵というのは、それが理由だ。
賭博は、それに強く関わっている。
人集まるところに、博徒は巣食う。
その賭場を提供するのは祭礼に関わる事もあり寺社、そして、こうした土木を扱う木材商なのだった。
普請工事には人が集まる。
人が集まれば、遊興を提供するという名目で、非合法な賭場が立つ。
その売上金の何割かは一種の『テラ銭』として場所を提供してくれた木材商に還流する仕組みで、現場の職人に払った給金をいくらかでも回収する役割を担っているのだった。
大久保 長安 が目を付けたのが、この一連の流れ。
徳川の息がかかった『博徒』を作って、組織的に材木商から資金を吸い上げようという狙いだった。
木材商は博徒を使って給金を還流させて吸い上げ、徳川は木材商への依頼金を同様に還流させようという発想だった。
すなわち、自分たちが作った博徒以外は邪魔だ。
江戸の風紀紊乱を招く博徒を排除したい……と、考える甲州忍との思惑とも一致した。
江戸の普請は続く。町は巨大化してゆく。
その過程で莫大な金が動く。都市を一つ作る、前代未聞の大普請なのだ。
徳川が豊臣の財力に対抗するための『銭を使った戦』は、もう始まっている。
開幕しました『慈恩の章』
博徒に肩入れする「まがいもの剣士」通口 定正。
甲州忍を通じて、この闘争に巻き込まれてゆく 草深 甚吾 とその一党。
激突必至の両者に、また剣風が吹く!
実験的に、煽り口上入れてみました。
なんだか、テレますね。




