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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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蘇る声

 待ち伏せされていた。

 つまり、計画が敵方に漏れていたことを示している。

 即撤退。

 そう、清麿は考えていた。

 数ヶ月かけて練った策が、あっさりと瓦解してしまうのは惜しかったが、またやり直せばいい。

 そのためには、生きてここから脱出する必要がある。


 金丸は、言われなくても清麿の思考を読んでいた。

「自分の代わりはいくらでも探せる」

 だが、清麿のような、断片を繋ぎ合わせて大きな絵図面を作り出すのには、才能が必要なのだ。そして、その才能を持つ者は、なかなか居ない。

 ゆえに、清麿を逃がせば、少なくとも負けではない。何度でも戦える。

 我らは義によって立つ者。最後には必ず勝つ。

 社から出てきたのは、二人の浪人だった。

 一人は、妙につるんとした顔の痩せた男。

 もう一人は、何も特徴が無い中肉中背の平凡な男。

 だが、忍でありながら、剣士としての修練を積んできた金丸には、わかった。

 この二人は、危険な獣だ。

 流山に集めた浪人の中から、これはと思う三人を選抜したのは、金丸だった。

 『鳶沢とびさわ』『百舌谷もずたに』『鶚山みさごやま』などと名乗っているが、どうせ偽名だ。

 おそらく、西軍に与した武士なのだろう。

 腕が立つ者には、危険分子と判断されて賞金がかけられることがあった。

 名前を秘すということは、その手配書に載っているということ。

 徳川に敵対する諜報組織に入ることによって、保身も兼ねているというわけだ。

 その証拠に戦慣れした男たちだった。

 咄嗟に、総大将である清麿を守るため、ずいっと前に出たことがそれを裏付けている。

 伏兵が居たことで、指示が無くても『護衛』という任務から『撤退支援』に任務が切り替わったことを理解している。


 銃火が煌めく。

 川岸に折り敷いた銃陣から、完全武装の浪人が集結している中洲への銃撃だ。

 戦支度の先手組が、副長の飯笹の指揮の元、火蓋を切ったのである。

 清麿は、江戸残留組を侮っていた。

 そこまでやるか……と、感心すらした。

 千葉という、先手組組長の事は調べていたが、こんな果断な人物ではない。

 つまり、千葉という暗愚な官僚はお飾りで、実質の指揮官が居たことになる。

 内偵調査の人員が足りなかったことが悔やまれた。

 いかにも、人手不足だった。

 しかし、逃げ切れば、この反省を生かせる。

 時間切れが迫っている家康と違い、清麿一党は若い。何度でもやり直せるのだ。

 やり直せば、同じ轍は踏まない。

 浪人衆を先導しているのは、隠形の地丸だ。

「上手く、逃げ切れ」

 短い祈りの言葉をつぶやいて、清麿は意識を中洲から切り離した。

 今は、刺客から逃れる事。それが、優先事項だ。


 つるんとした肌の、痩せた男が、出し抜けに走りはじめる。

 七死党の生き残り、露木 玉三郎 だった。

 左手で、腰間の一刀の鍔元を握り、親指で鯉口を切る。

 斜めに走った。

 釣られて、浪人三人が露木を追う。

「あたしの役目は、甚吾さんの道を作る事」

 浪人三人は上手く釣れた。

 だが、馬面の醜男は、どっしりと根が生えたように動かない。

 その醜男が、背中の大太刀をすっぱ抜く。

 まるで、戦場の陣太刀みたいだが、天を衝くかのように、大きく構えた姿を見るに、剣士だ。兵法使いの匂いがする。

 露木が引き付けた三人は、ズンと重心を低く、刀を肩に立てかけたような構えになった。

 古流、もしくは甲冑を着ていることが前提の介者かいじゃ剣法の構え。

「こういった古臭い剣術は、抜刀術のカモなのよね」

 ふふふと、露木が笑う。


 急ぐでもなく、警戒するでもなく、まるで散歩の様な足取りで、無造作に甚吾が金丸に近づく。

 左手は刀の鍔元を握っているが、右手は柄にもかけていない。

 不気味なのは、途方に暮れたように、斜め前方の地面あたりに視線を彷徨わせていること。

 威圧前進が身上の金丸が、気おされてじりっと下がった。

 三人相手に平然としている、痩せ浪人もかなり遣うとみたが、目の前の男は格が違う。

 ゆらゆらと、ずぶ泥の黒い炎が男から立ち上っている様に見えて、一瞬だが金丸は脅えたのだ。

 裂帛の気合いが、金丸から迸る。

 使う刀の形状は違えど、金丸に身に刻まれているのは富田流。

 相手の間合いに踏み込む勇気こそが、富田流の奥義だ。

 恐怖を跳ね飛ばす。

 金丸の剣気にビリビリと空気が震えた。

 離れたところで、対峙している三人の浪人と、露木がビクンと身を竦ませるほど。

 だが、その気の奔流も、粛々と歩いてくる男にぶつかると、ふわりと流れてしまうかのようだった。

 金丸が目にしているのは、剣鬼、草深 甚吾 なのだ。


 勢 の動きが止まっていた。

 あろうことか、瘧にかかったかのように、ガタガタと震えている。

 清麿は、こんな脅えた 勢 を見たことが無い。


「嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ、嘘よ……」


 譫言のように呟いている。


「勢! 勢! どうしたのだ!」


 清麿が、勢 を揺さぶって、正気を取り戻させようとした。


「ダメ! 戦ってはダメ! あれは、鬼! 剣の鬼よ!」


 甚吾と清麿、勢 の間に立ちふさがる金丸に、彼女が叫ぶ。

 その一言で、金丸は事態を把握した。

 目の前のこの男こそ、勢 の仇なのだと。

 闘志が、ふつふつと湧いてくるのを、金丸は感じていた。

 清麿も理解した。彼女が脅え、脅えているがゆえに殺そうとしていたのが、コイツなのだと。


「金丸! コイツだけは斬る! 手を貸せ!」

 勢を背に庇うようにして、清麿が前に出た。

「応! やらいでか!」

 金丸が即答する。

 この大男は変わり者だった。剣術などにうつつを抜かす忍など、規格外もいいところだった。それに、酷薄さが足りない。非情になりきれないところがあった。本当は、優しい男なのだ。

 清麿は、金丸のそんなところが気に入っていた。

 泉流刀術は、守りの剣。攻撃を受け流し、死地に誘導する剣。

 ひたすら攻撃のみを愚直に繰り返す金丸の刀術とは、相性が良かった。

 相手が、勢 ほどの卓抜な剣士さえ脅える相手でも、負ける気はしない。


 ―― 義によって立つ


 そんな自分が、人斬り稼業の輩に負けるはずがない。

 それに、惚れた女のために戦うのだ。負けるわけにはいかない。


「来い!」

 高く、大太刀『物干し竿』を金丸は構えた。

 もう、脅えはない。

 ずっと、忍なのではなく、富田の里で、一介の剣士として暮らしたいと思っていた。

 火丸や地丸は「馬鹿馬鹿しい」と、鼻で笑ったが、この世に生まれたのには、何か理由があるはずだと、金丸は思っていた。

 全ての事象に意味があり、運命の糸は複雑に絡まり、紡がれてゆく。

 自分が剣を学んだのは、今、この瞬間のためなのだ。

 そんな、確信があった。


「勢 が好きだ」


 例え、彼女の身も心も清麿のものだとしても、その想いは変わらない。

 だから、勢 のために剣を振るうのが嬉しい。

 叩き降ろし、薙ぎ上げる。その反復しか金丸には出来ない。勢 のためにこれしか出来ないのなら、全身全霊を込めて剣を振るおう。それが、金丸の意地だった。



 固い『気』の質が変わった。

 いつでも抜刀できる姿勢を保ちながら、甚吾はそんな事を感じ取っていた。

 さっきまでなら、一撃でこのふざけた大太刀を構えている大男を仕留める事が出来たが、今は難しい。

 かつて、甚吾は目隠しをしたまま、戦わされた。

「座頭(目の不自由な人の事)は、谷に架かった丸木橋を渡る際に、脅えない。視覚に頼っておらんからだ。剣もしかり。我が身に届く切先以外に惑わされてはいかん」

 それが、深甚流の奥義『うつろ』の初歩。そこから、殺気を探知する感覚をみがいてゆく。

 例え見えていなくても、肌で危険を察知するまで、感覚を研ぎ澄ませる。

 甚吾と同じ養い子たちが、何十人もその過程で死んだ。いや、殺された。

 生き残ったのは、甚吾だけだったのだ。

 ようやく、甚吾の足が止まる。

 金丸の方を見てもいないのに、一足一刀の間合いの寸前で足を止めたのだった。

 腰はやや低く。これを『居合腰』という。

 やっと、甚吾が右手を柄にかぶせる。

 深甚流に抜刀術はないが、これは、甚吾が独学で身に着けた一手だ。

 じりっと、金丸が前に出る。

 遠くで中洲がぼうっと赤く染まった。

 江戸市中に埋伏させていた燃焼促進剤を、中洲に仕込み直していたのである。

 火焔に照らされて、中洲の浪人衆が丸見えになる。

 もはや、彼等は射的の的のようなもの。

 江戸の破壊計画は完全に破綻してしまった。

 だが、もう金丸の頭にも清麿の頭にも、計画の事は消えてしまっていた。

 甚吾と対峙しているのだ。

 余計なことなど考える余裕などない。


「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、清麿様も、金丸もやめて」


 がりがりと爪を噛みながら、勢 が呟く。

 心臓が早鐘の様で、苦しい。

 甚四郎は老人だったはず。

 それが、若返って地獄から蘇ったかのようだった。

 怖かった。ただ、脅えていた頃に、勢 は退行してしまっていた。


『斬れ、殺せ』


 勢の耳元で、甚四郎の声が蘇ってしまっていた。


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