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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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焔竜巻の術

 「どうも、キナ臭い感じですね」

 深夜の密偵行から帰ってきた、『瓦走りの権太』が翌朝、甚吾のところに報告に来ていた。

 今日は、味噌に唐辛子を擦りこみ、たっぷりの根菜と猪の肉を入れた、朝食にしては少々重い感じの汁ものが用意されていた。

 権太が凍えて帰ってくるのを見越してのものだろう。

「からい、でも、おいしい」

 と、剥いた卵のようなつるんとした顔を紅潮させて、今日も露木が相伴に預かっていた。

「なんで、お前さんがいるんだよ」

 忌々しげにつぶやいて、権太が汁をすする。

 ガンと頭を殴られたような辛味をまず感じ、大根や蕪や人参などの根菜の甘みがそれを緩和してくれる。

 獣肉の臭みは、薬味で添えられた茗荷と青葱の風味で消されていた。

「あ、旨い。温かさが染みる」

 思わず、そんな言葉が権太の口から漏れた。

 沢庵を齧りながら、甚吾が笑った。

「でしょ?」

 自慢気に小鼻を膨らませたのは、露木だった。

「お前さんが、作ったわけじゃあるまいし」

「お大根の皮を剥いたのは、あたし」

 そんな会話を、小さなちゃぶ台を囲んだ男たちがしている。

 これが、剣鬼と、七死党の生き残りと、人の死に異常に昂ぶる変人の集まりとは、誰も気が付かないだろう穏やかさだった。


「で、どうキナ臭いんだい」

 食後の松葉茶を喫しながら、甚吾が言う。

「仕事は、密輸と踏んでいましたが、どうやら違いますぜ」

 権太が、昨夜冷たい川の水に浸かりながら、探り出した事を甚吾に報告する。

 依頼主が渡河地点に拘ったので、てっきり密輸関係の仕事だと権太は推理していたのだが、江戸から運び出すのではなく、何かを待ち受けるための調査の色合いがあったのだ。

「何か……または、誰かが来る道筋を特定し、伏撃するための下調べ、そういうことなのだね?」

 武器弾薬を考慮すると、『何か』ではない『誰か』が正解だろう。

 武装した何者かが、江戸に侵入しようとしている。

 隠されていた物資の規模からすると、十人、二十人という規模ではない。もっと大きい。これは、ちょっとしたいくさみたいなものだ。

「荷駄の護衛ってことだったけど、おかしなことになってきたねぇ」

 ふふふ……と、甚吾が笑った。相変わらず、顔面の筋肉を笑みの形に動かしただけの様な、少しも楽しくなさそうな笑顔だった。

 偽装が巧みなので、権太ほど深く観察していないと、分からないだろうが、素の表情で笑う事はめったにない。

「この仕事、断りますか?」

 そんな、心にもない事を、権太が言う。

 仕事が危険であればあるほど、権太は楽しいのだ。更に、人がいっぱい死ねば申し分ない。

「いやいや、今更断ったら、晴明も権太も殺されてしまうよ」

 かき 杢兵衛もくべえ の事を、権太は思い出していた。

 酷薄な印象の男だった。

 多分、忍だ。もしくは、盗賊は盗賊でも、強盗火付を行う類の凶賊。少なくとも堅気ではない。

「そうですね、きっちり巻き込まれちまいましたね」

 悲痛な顔を権太は浮かべたが、心中は小躍りしていた。


 ―― いいね、実に良いい。甚吾さんがいっぱい殺すのが見られる。



 かぶら 九兵衛くうべえ は、江戸の郊外にある、流山という場所にいた。

 利根川に近い何もない田舎だが、江戸からは適度に離れていることもあり、甲州忍の警戒網の外側にある。

 ここに曽呂利衆によって不逞浪人が集められ、一種の駐屯地の様になっているのだった。

 探りだしてきたのは、江戸の甲州忍の頭目、高坂こうさか 甚内じんない 自身。

 巧みに隠蔽されていたものを、どうやって探り出したのか謎なのだが、甚内はもともとこうした探索が得意なのだ。


 『七化け甚内』


 それが、九兵衛の上司に付けられた異名。

 単に変装が上手いだけなのではない。

 強力な自己暗示によって、その人物になりきる特種な能力を持っているのだった。

 顔の顎関節を自由に外したりすることが出来、含み綿などで、完全に顔形を変えてしまう。もともと、細面なのだが、丸顔にも馬面にもなれるのだ。

 そうやって、敵方に紛れ込み、情報を狩る。

 九兵衛も潜入捜査は得意だが、格が違う。入り込める深も違う。

 その、甚内が狩ってきた情報だ。

 その裏付けを取る。

 相手は、曽呂利衆。上方の贅六ぜいろくと侮っていたが、今は認識を改めている。

 北条の風魔衆、上杉の軒猿のぎざる衆、白山忍、戸隠忍、伊達の黒巾木くろはばき組なみに危険な連中だと発覚したのだ。

 九兵衛の任務は、彼らが動き出す機を掴む事。

 日常との違和感を探り出す事。

 そうやって、破壊工作決行の日を特定するのが任務だった。

 キッキと小猿が鳴く。

 頭目の甚内の代行をしている 喰代ほおじろ 左兵衛さへえ の忍猿、太郎丸と次郎丸が、九兵衛の懐で温まっている。

 何か動きがあったら、この小猿に忍文字で書いた通信文を運ばせる。

 それを受けて、江戸先手組と甲州忍の共同作戦が開始されるのである。

 進軍経路の特定と、迎撃地点の策定は、同朋の杢兵衛がやっているはずだ。曽呂利衆に悟られることがないまま、罠は確実に閉じつつあった。

 かなりの数の浪人も処分できるだろう。

 この作戦が上手く行ったら、暫くの間、江戸は平穏になるだろう。

 そうすれば、今は鳴りを顰めている風魔衆討伐に傾注出来る。

 風魔衆の先代の頭目 小太郎こたろう が病没し、過激派と穏健派に分かれ、内部分裂をしていたらしいが、過激派が勝利を収める情勢らしい。

 また、奴らは江戸で暴れまわることになるのだろう。

 江戸市内の親派を炙り出し、拷問にかけ、次々と手繰ってゆく作業は実に楽しい。

 思わぬ役得もある。

 ぐふふ…… 下司な思い出し笑いを、九兵衛が漏らす。

 早く、こんな戦もどきを終わらせて、風魔探索に戻りたかった。

 下品な笑い声に、何事かと、懐から小猿が覗きこんでいた。


 火丸が、空き家になっている商家に、燃焼促進剤を仕込む作業を終えた。

 空き家になっている……は、正しくない。『空き家にした』のだ。

 徳川の政商人の一軒。ここの住民は、皆殺しにした。床下に適当に放り込んである。

 ここが、火丸に選ばれたのは規模の大小ではない。立地条件ゆえだった。

 この家が燃えれば、この日本橋通りに仕掛けた他の三ヵ所の発火地点と連動して炎の竜巻が巻き起こる。

 火災旋風という現象だ。

 火丸の父が開発した術なのだが、彼の父は比叡山でこれを見たのだ。

 織田 信長 による比叡山焼き討ちの時である。

 僧兵に加担するため雇われた忍だったのだが、堂宇が次々と炎上する中、火焔の竜巻が、僧兵や僧侶を巻き上げ、荒れ狂っている姿を見たのが、この術に取り組む契機になった。

 火丸は、模型を作って、父と共にこの仕組みを研究した。そして、ついに『焔竜巻ほむらたつまきの術』を完成させたのだった。

 火災は、可燃物と空気が必要。

 可燃物が尽きると、火災は終息する。

 だから、『逆火さかび』といって、大炎上している火災地域に向けて、火をは放ち、大火災の進行方向を焼野原にすることによって鎮火を図る技術がある。

 『焔竜巻の術』で効果的に町全体を焼き尽くすためには、次々と可燃物を飲みこむ仕掛けが必要なのだ。

 つまり、術の要諦は、正確な測量。町の構造の理解。

 一つとして同じ方法がないのが、『焔竜巻の術』の難しいところで、面白いところでもある。

 火丸は、江戸の町の構造の理解に時間を使った。

 燃えやすい町だという印象だった。

 広い空地で、火災の延焼を食い止める ――可燃物が無いと火災は広がらない―― という概念が欠如している町。

 無論、常識として、空き地は町割りの際に作ったのだろうが、そこに勝手に小屋掛けされているのだ。

 これで、炎の橋渡しが出来る。

 江戸城に消防の職能集団『ガエン』を集中させているのも、いかにも悪手だ。

 本来は、域内各地に散在させて、同時に何か所も対応できる体制を作っておくべきなのだが、江戸にはそれがない。

 火丸には、絵図面を見るだけで、生き物のように火災が広がってゆく様が想像出来た。

 人が焼かれて死ぬ。

 その時、人はまるで胎児の様に丸まる。

 火は滅び。

 そして、再生という意味もある。

胎児の姿勢は生まれ変わりを暗示しているのだろうか?

 火丸は火が大好きだった。

父と一緒に火の探求を続けてきた。

 その知識で、江戸に大火を起す。

 密偵として徳川によって捕えられ、火あぶりにされた父の怨念が、江戸を火の海にする手助けをしてくれるだろう。


 ―― 父よ。火の師よ。ご照覧あれ! 江戸を焼き尽くしますぞ!


 絵図面をたき火に投げ込む。

 地形は全て頭に入っていた。もう、地図は不要だ。

 あとは実行に移すだけ。それが待ち遠しくて仕方がない。

 絵図面は、まるで江戸の未来を予知するかのように、メラメラと燃えていた。


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