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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
53/97

暗く冷たい川で

 盗賊あがりの『宿星屋』専属の密偵『瓦走りの権太』は、猪牙ちょき船を漕いでいた。

 荒川は、江戸城の天然の外堀。

 同じ天然の外堀に多摩川があるが、そっち方面は大坂から江戸までの道中びっしりと徳川譜代衆や古参の外様で固めているうえ、天然の要害であり箱根山系があるので、それほど警戒が厳重ではない。優先順位が低いのだ。

 だが、荒川は違う。

 猜疑心の強い徳川は、東北の梟雄・伊達 正宗 を警戒しており、上杉を封じ込めた現在、警戒の優先順位はかなり高い。

 従って、江戸の北と東の護りである荒川・利根川は、生活利便のために船橋を勝手に架けることなどさせない。

 きっちりと護衛兵を置いた軍用の渡し場があるだけ。

 川の流域は広いが、荒れる川なので『荒川』という。渡し場もそうそう多いわけではない。多くの人員を一度に渡らせることが出来る場所は限られていた。

 権太は、それを辿っているのである。

 元請の『宿星屋』主人、晴明の話は聞いた。

 大規模な商隊の護衛なのだという。

 だが、これまでの経験から、権太は晴明の説明を鵜呑みにしない。

 甚吾とも打ち合わせをし、仕事の内容を吟味した結果、

「襲撃ありきの仕事」

 という結論を導き出した。

 襲撃を回避するのではなく、わざと激突する。そう言う流れに見えたのだ。

 甚吾も概ね権太の意見に同意していた。

 晴明は何かヤバそうだと感じてはいたが、現場の経験がないので、具体性に欠ける。事態が動きはじめたら、アテには出来ない。

 なので、念入りな下見は必須だった。

 今回は『宿星屋』に依頼をしてきた者から、護衛がつくという異常事態だった。

 この猪牙船に乗っているのだが、薄気味悪い男だ。

 かき 杢兵衛もくべえ と、名乗ったが、ふざけた名前だ。明らかに偽名。


 ――『柿を捥ぐ』だと?


 一言もしゃべらず、船の中央に座ったまま、身動き一つしない。

 青白い末成りの胡瓜みたいなやせっぽちで、角鍔の小太刀を差していて、今はそれを腰から鞘ごと抜いて、肩に立てかけるようにして持っている。

 眼は半眼。眠っているのか、起きているのか、権太には判断がつかなかった。

 この柿 杢兵衛 、今回の対・曽呂利衆の作戦行動の実行部隊員の一人である蕪 九兵衛 の朋輩で幼馴染なのだが、権太はそれを知らない。

「そこのネズミ。なぜ、この中洲に拘る?」

 居眠りしているとばかり思っていた、杢兵衛が不意に口を開く。

 権太と名乗っているのに、ネズミ呼ばわりだが、これはいつもの事だ。甚吾の様に、容姿を全く気にしない方が、異常なのである。

「へい。百人からが渡るには、川幅が狭くねぇと。中継点があれば、なおいいと思いやしてね」

 大きく曲がった流れ。川はここで淵のようになっている。

 淵に浮かぶような中洲。川幅全体で言えば、ここは広い部類に入る。だが、中洲と左岸、中洲と右岸という風に渡れば、そのまま川を渡るより、距離は短い。

 それに、渡し船は、江戸の先手組の監視下にある。

 川を渡る軍船に流用されないように、登録制になっており、盗まれたりしたら、即座にわかる仕組みになっている。

 ゆえに最小限の船で、何度も往復する……という作業が必要になる。

 そのためには、中洲のような中継地点があると、都合がいいのではないか? というのが、権太の推理であった。

「ふむ。いい読みだ。おい、ネズミ。ここは素通りしろ。監視者がいるかも知れん。ここに目を付けたと悟られたくない」

 居眠りの姿勢のまま、杢兵衛が言う。

 権太が、そのまま猪牙船を漕ぐ。

 横目で中洲を監視しながら、川船で客を輸送する船頭になりきる。

 近くで見ると、大きな中洲だった。

 上空から俯瞰すると、おそらく瓢箪の様な形をしているだろう。

 その左右にあるくびれが、天然の船着き場になりそうだ。縊れたということは、そこに流れがぶつかったということ。それで掘れたのだ。ゆえに、水深がある。大勢を乗せた喫水が深い船でも入れるだろう。

「このまま、上流にいけ。半里(約二キロメートル)もいけばいいだろう。そこで、船を降りるぞ」

 そんな指示を、杢兵衛が出す。


 ―― 俺は、お前の部下じゃねぇぞ


 そんな事を心の中で思ったが、口には出せない。

 権太は、人が嫌いで、怖いのだ。特に、こんな風に狭い空間で二人きりにあり、相手がこの杢兵衛の様に高圧的だと委縮してしまうのだ。



 夜になった。

 荒川の河原。枯れた葦がカサカサ音を立てている。

 その中に潜んでいるのは、密偵『瓦走りの権太』と、甲州忍の 柿 杢兵衛 であった。

「誰かいるな」

 杢兵衛が呟く。この寒空の中、半ばまで水に浸かっているのだが、体に油を塗っているので、多少はしのげる。

 権太は我慢強さには自信があるのだが、この杢兵衛もなかなかだ。

 ガンドウらしい、絞った灯りが、目を付けた中洲で時々光り、何かを作業している様子だ。

 やがて、何者かの作業は終わり、小舟で江戸とは反対岸の方に去ってゆく。

「よし、ネズミ、いくぞ」

 夜の川を、静かに杢兵衛が泳ぐ。その後ろを権太が続いた。権太は水練も得意だった。

 流れから、頭だけを出して、慎重に中洲を観察して、やっと氷の様に冷たい川から、中洲に上陸する。

 月明かりがある。それに、権太は異様に夜目がきいた。杢兵衛も同様らしい。

「何してやがったのかな?」

 明かりが見えていたあたりを、探る。

「旦那、これ……」

 権太が指差したのは、不自然に剥がれた苔だった。

 ここは、川が増水すると水を被る。

 江戸の冬は、カラッと乾燥しているので、めったに川の水嵩が増すことはないが、それでもここは川のど真ん中なので、中洲の石の上に苔が生える。

 それを、誰かが踏んで滑ったのか、苔が剥がれているのだ。

 鼻を近づけて、匂いを嗅ぐ。

 まだ、青臭い匂いがした。苔が剥がれて間もないということだ。

 つまり、誰かがここを通ったということ。

「でかしたぞ、ネズミ」


 ―― この末成り野郎、いちいちネズミ呼ばわりしやがって


 いきなり匕首で脇腹を刺し、顔面を踏みにじる……などという、妄想を頭の中で、権太は妄想した。

 殺しを見るのは好きだが、やるのは出来ない。手足が竦んでしまうのだ。

「見つけたぞ、隠し倉庫だ」

 船便で使う密閉性が高い木箱に、刀剣や火縄銃や甲冑などが収められていた。

 軽装で、この中洲に集まり、重武装して対岸に上陸する。そういう算段なのだろう。

 対岸に上陸してしまえば、江戸市中までたいした障害はない。

 同時多発的に火災が発生していたら、その混乱に乗じて、江戸城まで一気に接近出来るだろう。

 兵力はおよそ百。勇猛な先手組でも、兵力を集中していないと、各個に撃破されてしまう。

 ここに上陸した痕跡を消しながら、中洲を撤退する。

 出撃準備を整える『武者溜り』の場所は特定した。それを前提にどう作戦を組み上げるかは、先手組副長 飯笹いいざさ 長蔵ちょうぞう と、江戸の甲州忍指揮官代行の 喰代ほおじろ 左兵衛さへえが行う。物見の役割はここまでだった。

「いい仕事っぷりだったぞ、ネズミ」

 油紙に包んだ乾いた衣類に着替えながら、上機嫌で杢兵衛が言う。

 権太は頷いただけで返事はしなかった。杢兵衛が、この短時間で大嫌いになっていたのだ。



 布田の荒れ寺。曽呂利衆の本拠地に定めた場所がここだった。

 指揮官である 泉 清麿 の元には、様々な情報が集められる。

 江戸市内に仕込んだ燃焼促進剤、江戸郊外の流山ということころに集められた傭兵たち。火災発生時に消火活動に従事する、『黒鍬組』の下部組織『ガエン』の状況。江戸の気象情報。そういったモノが、絵地図に書き込まれてゆく。

 江戸を焼き討ちする。

 着火は『赤馬の術』。そして、一度着火させれば、今度は『焔竜巻ほむらたつまきの術』を使う予定だ。

 四ヵ所同時に火災を起こすと、各々の炎が影響しあって、上空への空気の流れが出来る。

 それが、火焔の竜巻になって大炎上を発生させるのだ。

 竜巻の中心は、空気が無くなって人が死ぬ。

 貪欲に空気を貪る火焔の竜巻は、外側から近づく者を巻き上げ吸い込む程になる。

 それを、江戸市内に同時多発させる作戦だった。

 時を同じくして、傭兵部隊を江戸城に乱入させる。

 徳川に不満を持つ浪人は思っていたより多く、簡単に集めることが出来た。

 消火活動などに特化した職能集団『ガエン』の居場所も掌握している。

 作戦決行の前日、彼等は全員食あたりで倒れる予定だ。

 そのために、水丸は貝を集めて毒を作っている。その毒も、もうすぐ集まる。

 家康の古だぬきの本拠地が灰燼に帰してしまえば、彼の統治の信頼性を大きく損なうことが出来る。そうすれば、現在進行中の征夷大将軍宣下の朝廷工作が大きく後退するだろう。

 その間にも、家康の寿命の砂時計はさらさらと落ちてゆく。

 老いさらばえてゆく家康に対し、豊臣秀頼は若い。まだ、秀吉子飼いの武将も多く残っている。

 関ヶ原の負けは、充分に取り返す事が出来るの。それが、罪人として斬首された 石田 三成 最後の策だ。

『戦乱の無い世の中』という、三成の意思を継ぐのは自分。そういう思いが、清麿にはあった。

 そして、それは、実現可能なところまで、こぎつけていた。

 

 絵図面を睨む清麿を後ろから抱きしめ、彼の首筋に歯を立てたのは、勢 だった。

 布団代わりに纏っている掻き抱巻かいまきの下は素肌。彼女の胸のふくらみを背中に感じる。そして、暖かかった。

 清麿はずっと、この荒れ寺に 勢 と二人で籠っている。

 破壊工作を企画・立案していると、血が騒ぐ。その度に、彼女を抱いた。

 何をしても、勢 は受け入れてくれる。

 そして清麿が、激しければ激しいほど、乱れた。

 清麿にしがみつくような必死さが彼女にはあった。それが愛おしい。

 勢 を、単なる道具としか見ていなかった清麿にも、愛情らしきものが芽生えつつあった。

 戦乱の世を終わらせる。

 そのための最後の痛みを、江戸で生み出そうとしていた。


 ―― これが終わったら


 忍稼業から足を洗い、勢 と夫婦となり、どこかでひっそりと暮らすのも悪くない。

 そんなことを、清麿は思っていた。

 甘噛みしてくる 勢 の頭を撫でてやる。

 彼女の満足のため息が、聞こえた。


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