馬鹿な大将、敵より怖い
喰代 左兵衛 は、建設半ばにある江戸城の、先手組詰所となっている二ノ丸に来ていた。
先手組組頭の千葉 照正 に面談を求めていたのだ。
今、徳川の精鋭や優秀な官僚は、みな『関ヶ原の戦い』の戦後処理と諜報戦のため、殆どが上方方面に集中している。
後方を守る者は、中には優秀な人物もいるのだろうが、二線級以下の評価の人物も多い。
千葉は典型的な無能だった。
無能の烙印を押されている彼にも長所はある。頑なまでに手順を守るところだ。現状維持で良しとする場所なら千葉のような無能は適任で、そういう意味では江戸の留守居役である江戸先手組は、彼向きの場所だった。
こうした手合いは、強い者には滅法弱く、弱い者にはすこぶる強い。劣等感を、弱い者苛めをすることで晴らす傾向があった。
それを理解しているので、面談の約束の時間を半刻(約一時間)過ぎてもお茶ひとつ出さずに待たせる扱いでも、左兵衛は別に腹を立てたりしなかった。
「馬鹿な男だ」
と、軽蔑はしていたが、そこは忍、無表情を貫いている。
「いやはや、忙しい、忙しい」
などと言いながら、千葉がやっと来た。
―― 忙しいわけ、なかろう
千葉の一日の行動は、先手組内部に食い込ませた密偵によって筒抜けだった。
だが、そんな事はおくびにも出さず、左兵衛は平伏した。
「よいよい、面をあげよ」
上機嫌で千葉が言う。左兵衛はそう言われて、わざと躊躇する素振りを見せつつ、頭をやや上げる。
―― 三下の分際で、殿様気取りかよ
そんな事を肚の中で思われているのにも気づかず、千葉は自分に向けられた恭しい態度に上機嫌だ。
『馬鹿はおだてるが吉』
そういうことだ。
彼が上機嫌なのには、もう一つ理由がある。
江戸の治安を著しく低下させていた凶賊『七死党』の討伐に成功したからだ。
襲われた政商の本店経由で徳川の幕僚に苦情が届き、上層部から千葉に譴責が届いていたのだ。
小便をちびりそうなほど、千葉は脅えていたそうだが、討伐完了の知らせを送ることが出来、本日慰労の通知が届いていたのだった。
千葉は馬鹿だ。自分が馬鹿なのを何となく理解している、多少マシな馬鹿だ。その馬鹿が馬鹿なりに無い知恵を絞ったのが『手柄の横取り』である。
出来る部下に丸投げして、自分がやったことにすればいい。そう考えたのだ。
力とは人脈。人脈とは力。豊臣 秀吉 は自分に欠けているモノを人脈で補ってきた。彼の素晴らしいところは、その手柄を決して横取りしなかった事だ。だからこそ、才ある者は彼のために働こうと思うものだ。そうやって、天下人まで上り詰めた。
千葉程度の馬鹿の浅知恵では、そこまでの思考は出来ない。
今回もまた、先手組は甲州忍に丸投げだったにもかかわらす、あたかも自分の手柄のように報告していた。
給金さえ、はずんでもらえば、手柄などどうでもいい。九兵衛あたりの実働部隊は不満もあろうが、江戸の甲州忍としては、金銭だけのつながりの徳川に手柄を申し立てても、何の得もないという考え方だった。
馬鹿な千葉に依存させて、上手に転がした方が益ある行動だと、左兵衛も思っている。頭目の 高坂 甚内 も同意見だった。
千葉が上機嫌なうちに、面談をしたのには理由がある。
先手組との共同戦線を張りたいからだった。
千葉は自ら動くことを極端に嫌う。現状維持で良しとする留守居役として適任な理由なのだが、曽呂利衆の破壊工作が思いのほか大規模なので、甲州忍だけでは対処が難しいという判断が下されたのだ。頭目の甚内の指示だ。
「本日は、お願いの儀がありまして……」
左兵衛がそう言っただけで、もう千葉の顔が曇る。この馬鹿は、まず否定から入るのだ。断る理由がなくなると、渋々腰を上げる。
―― 面倒臭い野郎だな
そう思いながら、恐縮した態を装って、再び左兵衛が平伏する。
「何だ。申してみよ」
明らかに、嫌々な態度で、暫く後に千葉が口を開く。
千葉は無能だ。無能であることを、何となく自覚している。
手足として、手柄を奪う対象として、甲州忍は必要だ。馬鹿なりに、胸中でソロバンを弾いたのだろう。間を置いたのは、嫌がらせと、馬鹿ゆえに決断が遅いから。計算された動きではない。
「おそれながら……」
と、気が変わらないうちにと、膝行して、左兵衛が持参した絵図面を千葉の前に広げる。
江戸城を中心とした街の見取り図がそこには書かれている。
本来なら、城と城下町の地形は軍事機密に類する。
外部委託である甲州忍がこんなものを持っていたら、大問題なのだが、そこは気にならないらしい。さすが、目先の事しか見えない馬鹿だ。
『江戸の治安を守っているのだから、地図ぐらいあるだろう』
多分、この程度の認識だ。
絵地図には、この季節の風向き、市中に何か所かの×印、朱色の矢印などが描かれていた。
「なんだ? これは?」
腕組みして、千葉が言う。蕪 九兵衛は、この絵図面を見て、すぐヤバさに気が付いた。左兵衛は、この絵図面を作ったのだが、この短期間で曽呂利衆はよくぞここまで計画を練ったと感心した。
千葉はピンとこない様だった。戦略眼は、一介の忍に過ぎない九兵衛以下ということになる。
―― いちいち説明しないと、わからんか? 馬鹿め
左兵衛は、苛立ちながらも無表情にその感情を隠し、
「現在、進行中の大坂方による破壊工作の全貌であります」
と、言い、舌を出しつつ三度平伏した。
「は……破壊工作じゃと? そんなこと聞いておらぬ。聞いておらぬぞ」
無能な者が良く言う台詞が『聞いていない』だ。責任逃れを本能的にする者ほど、これを口にする。
聞いていないから存在しない。見ていないから実在しない。事態を前に耳目を塞いで現実逃避している。馬鹿は判で押したように、こういう行動を採るものだ。
「ですから、確証を得た今、申し上げております」
しれっと、左兵衛が言う。
千葉は何か言いたそうに口をパクパクしていたが、何も言葉は出てこなかった。馬鹿なので、脳の処理能力を凌駕してしまったのだ。
「よろしいですか? 報告を続けます」
そう断って、扇子で絵地図を指し示しながら説明を続ける。
「この時期に風向きは、こう。×印は現時点で発覚している燃焼促進剤の埋伏場所、これはもっと多いかと存じます。賊は、おそらくこの地点から一斉に放火し、火は風に乗ってこっちの方向に延焼すると思われます。この辺りは、勝手に小屋掛けされており、延焼を防ぐ『火除け地』がありませんから……」
左兵衛の扇子が、トンと差したのは江戸城。千葉がビクンと身を震わせた。
「……ここに、火災は到達します。同時に、荒川上流に浪人者およそ百名が集められており、武装して強盗団を作って江戸を伺っております。喰いとめるため、甲州忍では手が足りません。千葉様のご出馬を願いとう存じます」
江戸先手組組頭 千葉 照正 は、赤くなったり青くなったりしていたが、ようやく口を開いた。
「だ……だから、無許可で小屋掛けさせるなと、申しておったのだ。これは、普請奉行の澤田様の責任。私は危険を指摘していたのだ。それに、ひゃ……百人だと! これはまるで、戦ではないかっ! 貴様らは、何をしておったのだ!」
と、口泡を飛ばして喚きはじめる。
「ですので、こうして報告に上がった次第。先手組は先陣。今こそ出番でありますぞ」
言質をとられるので、謝罪はしない。淡々と報告をするのみ。元来、浪人の流入を防ぐのも先手組の役目なのだ。それを丸投げしたのが千葉である。
「ど……ど……どうすれば、いいのだ?」
普段は、いかに自分が荒武者だったかを放言しているのに、実際に戦になったら、この体たらく。精鋭の官僚や一線の武将から漏れただけはある。
「物見も、策も、我らが引き受けましょう。千葉様は総大将。どっしりと本陣に構えておられれば、我らも安心。つきましては、先手組副長の 飯笹 長蔵 様と詳細を詰める許可を頂きたい」
副長の飯笹は、お飾りの組長である馬鹿の千葉と異なり、実質の指揮官。肝が据わった一線級の武将なのだが、銃傷によって左足を失った関係で、関ケ原に参加できなかった人物だった。勇猛な人物で、『一番槍の長蔵』という異名がある。
千葉の能力に不安をもっていた官僚が、軍監としてつけたという裏の人事があったらしい。
―― 馬鹿な大将、敵より怖いってね
ふふふ……と、笑いながら、控え室を退出し、真新しい江戸城内を左兵衛が歩く。
飯笹と打ち合わせが出来るところまで漕ぎつければ、千葉にもう用事は無い。
江戸城で、『総大将』という名目で引っ込んでもらったほうが、ありがたいのだ。




