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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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百両の仕事

 晴明が、この場に来たのは偶然ではない。

 甚吾を探していたのだ。

 なんとか、新しい任務を引き受けてもらいたい。その一心でここに来たのである。

「釣れますかい?」

 魚籠を覗きこむ。ねっとりとした視線を、露木が晴明の腰のあたりに送っていた。

 なんだこいつは? と、晴明は思ったが、とりあえず無視した。今は、甚吾の説得に傾注しなくてはならない。

「冬だからね。殆ど釣れないよ」

 じゃあ、なぜ釣り糸えお垂らすのか疑問なのだが、甚吾が考えていることは、いまいちよく分からないところがある。

「そうなんですか」

 曖昧な言葉でお茶を濁して、甚吾の隣に座る。

「何か用があるから来たのだろう? 何事だい?」

 波間に浮かぶ浮きを見たまま、甚吾がぽつりといった。

 まるで、サトリという妖怪の様に、彼は思考を読む。

その能力を目の当たりにするたび、晴明はさぁっと産毛が逆立つ様な感じに捕らわれる。

 自分が今、危険な獣を前にしている事が意識されるからだろうか。

 怖いのだ。甚吾は怖い。まるで、異界の生物を相手にしているかのように思考が読めないのが怖い。いきなり、あのカマイタチの様な剣技でバッサリと斬られるような恐怖感がある。

 晴明が、チラリと、つるんとしたゆで卵みたいな男を盗み見る。カニを苛めていた小枝で、地面に「の」の字を書きながら、甚吾と晴明を見ていた。

 別の意味で、晴明の産毛が逆立つ。なんだか気持ちが悪い男だ。

「奴は、心配ない。居ないモノと思って良い」

 また、晴明の思考を読んで、海面の浮きに目を向けたまま、甚吾が言う。

「あ、あ、ひどい」

 耳ざとく、甚吾の言葉を聞き取って、露木が唇を尖らせた。

「あっちの方の仕事の話なんですがね……」

 と、晴明が一言断りをいれる。うんと頷いて、甚吾が先を促す。それで、こういう類の話をしても、この気持ち悪い男が居ても大丈夫なのだと、理解した。

「いつもの様に、暗殺じゃあなくて、山賊からの護衛らしいんですが」

 ここで、晴明が言葉を切って、甚吾の横顔を伺う。

 微笑が浮かぶ、いつのも甚吾の顔だった。表情を読むのは、商売柄得意なのだが、本当に読みにくい人物だと、晴明が認識を新たにする。

「いやなに、まだ正式に受けたわけじゃないんで、断ったっていいんですが、どうします?」

 探りを入れる。少しでも機嫌を損ねる素振りが見えたら、即撤退するつもりだった。

「続けて仕事は受けないのではなかったか?」

 何の感情もうかがえない、平坦な声で甚吾が言う。それだけで、腰が引けるほど怖い。

晴明は、甚吾の剣技を見ているのだ。大根でも切るように、人を斬るところを。

「ですよね、ですよね。それじゃ、断ってきますね」

 へらへらと笑っていたが、心では嘆いていた。感触からすると、これはダメだと撤退する覚悟を、晴明が固める。


 ―― くそ、くそ、百両の仕事だぞ!


 悔しくて仕方ないが、甚吾あっての『宿星屋』だ。

「早まるな晴明。断るとは言っていない。受ける事にした理由を言えと言っておるのだ」

 正直に、大金が積まれた事を話す。

 ふふ……と、それを聞いて甚吾が薄く笑った。

「及び腰なのは、大金であること……すなわち、危ないってことだな」

 甚吾の言葉に、額の冷や汗を拭いながら「その通りです」と、晴明が答える。

「君と組んでいるのは、君のその『危険を探知する嗅覚』ゆえだよ。だが、今回は受けよう。どうも、私の腕が錆びているようなのだ。調整せねばいかん」

 命を奪うことに、何の感慨もない。それが、甚吾の怖いところだ。自分の剣技のために、生贄でも捧げられていると思っているのろうか?

「そうそう、嗅覚の他に、そういった『まとも』なところもいいね。なぜか、私の周囲にはおかしい奴らが集まってくるので、君を見るとホッとするよ」

 また、思考が読まれたことに、晴明がゾッとする。甚吾に感じる嫌悪など、念入りに隠しているのに。

「アレも、今回は頭数に入れておいてくれ。弾除けくらいにはなる」

 聞き耳を立てるのに飽きたのかカニ苛めに戻っている露木の方向に、甚吾が顎をしゃくる。

 こんな奴を加えるのは想定外だし、実力のほども分からないが、甚吾の気が変わらないうちに、話を切り上げた方が良さそうだと、晴明は判断した。

「承知しました。委細は、権太と詰めておきます」

 甚吾は、もう会話に興味を無くしてしまったかのように「よろしく」とだけ言い、浮きに目を戻してしまっていた。



 久しぶりに、江戸の甲州忍の頭目、高坂こうさか 甚内じんない から連絡があったらしい。

 元は武田信玄直属の忍として働いていた 高坂 甚内 だが、信玄没後は次期当主勝頼に仕え、勝頼が若くして死ぬと、武田家を離れて江戸を荒らす盗賊になった。

 今は、徳川に雇われて、江戸の留守居役である先手組の下請けで、江戸の治安維持に努めていた。

 もともと 高坂 甚内 は変装が得意で、別名『七化け甚内』という異名を持つ熟練の忍だった。今も、どこかに潜り込んでいて、江戸の指揮は副官の 喰代ほおじろ 左兵衛さへえ が代理で執っている状況だ。その左兵衛に、連絡があったのだ。

呼び出されたのは、かぶら 九兵衛くうべえ

 彼の上司、喰代 左兵衛 は、鳥や動物を忍具に飼育する術に長けた人物だった。

 彼が育てた夜鷹の警報によって、曽呂利衆の襲撃を事前に察知した経験が、九兵衛にはあった。北条の残党、風魔衆を狩るのにも、この夜鷹は実に役立ったのだ。

 喰代 左兵衛 は、九兵衛たちの様に江戸城内に住んでいるわけではない。動物を飼育するという彼の術の性質上、広い場所が必要であり、普段は鷹狩などの補助を行う『鳥見衆』に紛れて住んでいる。

 鷹などの飼育・訓練を行うにも、丁度いいのだ。

「おう、来たか」

 江戸の甲州忍の指揮官代理にしては、簡素な小屋だが、左兵衛はこれで充分なのだという。

 この小屋は隙だらけに見えて、どんな優秀な忍でも接近できないのだ。

 忍犬が、『鳥見衆』が管理するこの広大な狩場のどこかに潜んでいて、必ず侵入者を見つけ出す仕組みだ。

 そして、この小屋にも護衛がいる。

 囲炉裏端に座った、九兵衛の膝の上に、何か茶色い物が飛び込んで来る。

 九兵衛は、その粗野な顔にうんざりした表情を浮かべたが、その茶色い物を退かしはしなかった。

 別の茶色い物が、今度は彼の広い肩に飛び乗る。

 その茶色い物は、二匹の小猿だった。

「おうおう、太郎丸と次郎丸は、九兵衛が大好きじゃの」

 などと言って、左兵衛が目を細める。

 九兵衛の髪を毛づくろいしているのは、太郎丸。胡坐をかいた足の上に満足げに腰かけているのが次郎丸だった。

 愛らしい外見に騙されてはいけない。

 人間の忍よりも隠形に優れ、巧みに手裏剣を打ち、いつの間にか接近して毒針を刺す。優秀な暗殺者なのだ。

「気が気じゃねぇですよ。退く様に言ってやってくだせぇ」

 困り顔で九兵衛が言う。

 その言葉が分かるのか、キッキと、抗議の声を猿たちは上げた。

 この忍猿は、何が気に入ったのか、九兵衛が大好きなのだった。

「まぁ、いいじゃないか。それより、お頭から連絡つなぎがあったぞ」

 小さく折りたたんだ紙片を、左兵衛が九兵衛に投げて寄越す。

「お頭は、どこで何やってんすか、全くもう」

 ぶつくさ言いながら、器用にそれを掴み取り、紙片を広げる。

 忍文字がびっしりと書かれていた。

 甲州忍にのみ通用する暗号だった。

 それを読んでいた九兵衛の顔色が変わる。

「曽呂利衆……、ここまでやりますかね」

 現在進行中の破壊工作の内容の詳細が、この紙片には書かれていたのだ。

「うむ。もし、これが実施されれば、百や二百の人死にでは済まん」

 左兵衛が、顎を撫でる。こわい無精髭がジョリジョリと音を立てた。

「いや、江戸自体が消滅しちまいますぜ。風魔でもここまでやらねぇ」

 不安な九兵衛の心を読んだか、肩に座っている太郎丸が、九兵衛の頭を撫でた。

「……で、だ。曽呂利衆の破壊工作と、流入する不逞浪人問題を一気に片づける策を練らなければならない。その駒の一つに、草深 甚吾 とその一党を使う。絵図は、お頭と俺が描く。お前は、駒を揃えろ」

 先手を打たれてばかりだったが、ついにお頭直々に指揮を採って、曽呂利衆に反撃するわけだ。

「お頭も、ちったぁ、やる気出したんですね。面白くなってきた」

 蕪 九兵衛 が昏い笑みを浮かべる。

「珍しく……な」

 ふふふと、左兵衛が笑った。

 太郎丸と次郎丸がキッキと鳴いた。


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