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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
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嵐の前

 懐手で、歩いているのは、『宿星屋』の主人、土御門 晴明 だった。

 考え事があると、晴明は歩く。その方が、考えがまとまるのだ。

「さて、困った」

 いかにも神職っぽい名前は、勿論偽名。

 彼の店である物事の吉凶を占う『宿星屋』は、神社っぽい装いだが、これは演劇の舞台のようなもの。

 店にいる時は神職っぽい格好をしているが、当然ながら神官などではない。

 元々彼は、旅芸人一座の二枚目俳優なのだった。

 甚吾の剣技を見て金になると判断し、暗殺や荒事を裏で引き受ける稼業を始めたのだ。

 顧客を管理し、甚吾の剣技を金に換える。甚吾とは、互いに利用しあう関係で、立場上は対等だった。


 直近で引き受けたのは、あの『七死党』の暗殺だった。

 名前は伏せられていたが、大店の大番頭らしい人物から依頼を受け、先日、見事果たした。妙に肩幅の広い、粗野な顔つきの番頭だった。

 実はその番頭、甲州忍の かぶら 九兵衛くうべぇ が化けたものなのだが、 晴明はその正体を知らない。

 前金は二十両、後金が三十両、仕事っぷりが気に入ったのか、十両の上乗せ金が支払われた。

 だいぶ、金払いがいい。

 まるで海賊みたいな、赤銅色に日焼けした番頭である彦造がいた『駿河屋』は上得意だったのだが、忽然と江戸から消えてしまった。

 その代わりに、いいカモを捕まえたと思ったが、次の要求が難題だったのだ。


「いい、仕事でした。見事、凶賊に天罰が下りましたね。で、次の依頼ですが、晴明さんのとこで抱えている密偵と剣士をお借りしたい」


 そんなことを言い出したのだ。

 権太は言いくるめることが出来ようが、甚吾にどう切り出すか、晴明は頭を悩ませているのだった。

 肩幅の広い番頭の話では、取引がある商家が物資を輸送するのだが、その道中で山賊が出るらしい。その襲撃地点の割り出しと、輸送隊の護衛をお願いしたいという内容だった。

 今まで、こういう類の依頼はこなしたことが無い。

 どうも、甚吾は反応が読めないところがあり、

「嫌だよ、面倒臭い」

 などと言いそうで、困っていたのだ。

 金百両の仕事だった。二つ返事で受けてしまった。撤回すると、信用が落ちる。

「さて、困った」

 何度目かの呟きが、冬の江戸の町に消えた。


「いただきます」

 そう言って、手を合わせたのは、露木 玉三郎 だった。

 ここは、甚吾の家。

 ちゃぶ台を挟んで、甚吾と露木が向かい合って座っていた。

「わぁ、おいしそう」

 などと言いながら、露木が蕪の味噌汁に手を伸ばす。

 一椀の飯。焼いたメザシ。シイタケの煮シメ。それが朝食だった。

 『渥美屋』に襲撃をかける直前、おせっかいな手代から教えてもらった乾物商『大和屋』で良い鰹節と干しシイタケを買って、シイタケの戻し汁と鰹節で出汁をとった味噌汁だった。

 やはり、『大和屋』で買った白胡麻を購っており、それを擂ったうえで味噌に混ぜ込んである。これが、香ばしい。


「このお味噌汁、おいしいです」


 ズズッと啜って、露木が満足のため息をついた。

「ついでだから用意したけど、なんで君は私の家で、毎日朝食を食べているのかな?」

 甚吾が、メザシをポリポリと齧りながら言う。

「いやほら、師匠と言えば親も同然、弟子と言えば子も同然って、言うじゃないですか」

 それを聞いて、ふふっと薄く笑って「いや、聞いたことがないな」と、甚吾が呟く。


「大家と店子じゃなかったっけね?」


 長屋のお調子者、もっこ担ぎの表六が、そう言いながら、開け放たれた甚吾の家の玄関から自然に入ってきて、持参した椀へ勝手に味噌汁をよそっている。

 真面目な労働者は、とっくに仕事に向かっている時間だ。表六は、今日も自主休業らしい。


「どいつも、こいつも、図々しいなぁ。まぁいいけどね」


 

 朝食が終わると、露木が後片づけをする。

「あー冷たい。手が荒れちゃう」

 などと言いながら、カチャカチャと食器を洗う弟子を尻目に、釣竿の手入れをする。

 糸を張り直し、竿に巻き付け、釣り針と錘と浮きを取り付けるといった作業だ。

「また、釣りですか?」

 手ぬぐいで、濡れた手を拭きながら露木が言う。

 甚吾に弟子入りして数日、稽古は一度もつけてもらっていない。

 飯を食い、釣りをして、適当に買い物をして、また長屋に戻る。その繰り返しだ。

 たまに、軽く素振りなどをするが、露木が感心したのは、木刀や竹刀を使わないこと。

 腰間の一刀を抜き、それで素振りをしている。

 露木もまた人斬りだ。

 木刀や竹刀は、真剣を振るうのとは感触が違うのを知っている。

 前者が空気を叩く感触なのに対して、後者は空気を裂く感触なのだ。

 木刀や竹刀の振りに慣れてしまうと、実際に真剣を振った時に、ググッと体が刀身に引かれて流れてしまう。止め処が分からず、地面に切先を当ててしまったり、粗忽者は膝を自分の刀で割ってしまったりもする。

 道場では強いが、斬り合いではからっきしという奴がいるが、木刀稽古に慣れてしまった手合いがそれだ。

 甚吾は、木刀など振るわない。

 真剣での型稽古を、まるで体の微調整のために繰り返すだけ。

 それが、早い。

 躱す動作が、そのまま斬る動作を兼ねているので、拍子がつかみにくいのだ。

 踏込みも早い。踏み込む動作が、これもまた、刃を突き込む動作を兼ねている。


 ―― 戦わなくて、正解だった


 人斬りの『階位』が違う。

 闇の深さが違う。

 甚吾が漆黒の闇なら、所詮自分は黄昏の住民に過ぎない事が分かる。甚吾が淡々と反復する型稽古を見ていて、露木が思った事だ。

 露木は甚吾に弟子入りはしたが、『深甚流』を学びたかったわけではない。

 甚吾と離れずにいれば、不意に敵として遭遇する事は無いだろうという計算があってのことだ。

 それに、死んだ 無念 のように昏い炎を纏う者に惹かれるという、奇妙な嗜好が露木には、ある。

 刃物がきれいに肉を裂く様子に、異常な昂ぶりを感じるという性質も。

 自分でも、「どこかおかしい」と自覚している性癖が、甚吾といれば両方満足できるのも、必死に甚吾の行方を追った理由でもあった。

 甚吾の腰巾着『瓦走りの権太』も、同じような理由だろう。

 露木や権太の様な、宵闇に潜む者を惹きつける何かが、甚吾にはあるのだ。

 春風駘蕩とした甚吾の仮面の裏側を知る者には、等しく。

「いくぞ」

 との声もかけず、釣竿を肩に、魚籠を腰に、甚吾がいつのも釣り場に向う。

 乞われもしないのに、刀を落とし差しにして、菅笠をかぶった露木が後に続く。

 つかず離れずの距離で歩く二人は、江戸に最初に出来た運河である小名木川を辿る。

 荒川に当たると、今度は荒川に沿って河口へ向かった。

 死体処理を行う不可侵民である『シデムシ』が隠れ住む葦原を越え、埋め立てが続く江戸湾の突堤が彼の釣り場だった。

 静かな浅瀬に糸を垂らせば、ハゼやチチブなどの小魚が、どん深の湾の方に糸を垂らせば、スズキやイシダイなどが釣れることもあった。

 大物が釣れると、一善飯屋であるお登紀の店に卸にゆく。

 小物は自分たちの食糧になる事が多い。

 今は、金に余裕があるので、小魚を狙うようだった。

 露木は釣りをしないので、浅瀬でカニなどを小枝で苛めて遊んでいた。


「おや? 草深先生じゃありませんか?」


 こう声をかけ、ブラブラと歩いてきたのは、土御門 晴明 であった。

 今日は休業なので、神主っぽい服装はしていない。

 派手な朱色の裏地がある濃紺の着流しに、浅黄色の木綿の首巻きをして、同色の羽織を着こんでいた。

 風に着流しの裾がはためくと、チタチラと鮮やかな朱色が見える、伊達な仕掛けであった。役者上がりなだけはある。


「あ……、いい男……」


 カニを苛める手を休めて、露木が呟く。

 その声が届いたか、それとも役者だった頃の習性か、晴明が露木にひらりと笑いかける。

 淡い冬の陽光に、白い歯がキラリと光ったかの様だった。

「おお、晴明さん。偶然だね」

 甚吾がにこやかに笑いながら言う。

 だが、役者だった晴明には分かった。


―― これは、笑みの形に顔の筋肉を動かしているだけ


 甚吾が素の表情を見せるのは、殺しの時。そして、飛ぶ鳥を見る時。

 それだけだ。


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