義経神明流
太刀に、長い柄をつけたものを『長巻』という。
槍のように使うこともできるし、太刀として使う事もできる優れた武器だ。
薙刀と槍の中間に位置する武器だと言ってよい。
この『長巻』に限らず長柄の武器の利点は、間合いが深い事。剣術使いにとって、長柄の武器が鬼門なのは、その間合いの差だ。
必ず先手を打たれてしまう。先手を打たれるということは、けっこう致命的なことだ。
しかも、長巻に似た槍をしごいて前に出てきた男は、ひょろりとした長身の男で、昆虫のナナフシを連想させるこほど、手足が長い。
こういった体格の男は、想像よりぐんと間合いが伸びる。
そして、変幻の『長巻』のような槍を持っている。
月之介のような剣術使いには、やりにくい相手だろう。
だが、月之介は気にした風もなく、散歩にでも行く様な足取りで、無造作にナナフシの様な男にむかって、歩く。
意表を衝かれたか、ナナフシ男が飛び下がって、間合いを広げた。
通常、長柄の武器と剣術の戦いは、互いの間合いを測ることから始まる。
長柄側は内懐に入られないように、『突き』や『薙ぎ払い』を使って牽制し、剣術使いは、それを躱したり受けたりしながら、飛びこむ機を図る。
月之介は、そんな駆け引きを無視して、ずぶりと踏み込んできたのだ。
「下がったら、負けだよ」
呟きつつ、月之介が更に前に出る。気負いも無く、自然に。
『長柄側が追い立て、剣術使いが下がる』という通常の図式とは反対になった。
槍の穂先を『地摺り(じずり)』に構えていたナナフシ男が、それを跳ねあげた。
月之介の腹を突く動きは苦し紛れか、それとも狙ったか。剣術使いにとって、下方からの攻撃は躱しにくいものだ。
ここで、初めて月之介は両手で刀を構えた。
まるで、素振りでもするかのように、中段から上段に構え、そのまま振り下ろしたのだ。
穂先と刀身が打ちあって火花を散らし、ガチンという金属音を立てた。
まっすぐ振り抜いたのは、月之介の一刀。
槍の穂先は、斜めに流れた。
月之介の刀は平らに寝かされ、槍を押さえつける。
ナナフシ男は、飛び下がろうとした。
まったく同じ距離を、同じ速度で月之介が追随する。
槍は押さえつけられたまま、地面をこすっていた。
テコの原理を使って、ナナフシ男が月之介の刀を跳ねあげようとした。
月之介の体勢が崩れたら、再度胴にに突きを放つ予定だった。
それを嫌がって、月之介が飛び下がれば、また仕切り直すことが出来る。ナナフシ男はそんなことを考えていた。
月之介が跳ぶ。ただし、後ではなく前へ。槍に刀身をかぶせたまま。
ぽろぽろと地面に落ちたのは、ナナフシ男の指だった。
槍の柄を掴んだ彼の指を、月之介は削いだのだ。
ナナフシ男は、力を込めたところだったので、槍を手放すのが一瞬遅れた。
槍を取り落とす。
得物を支える指が無くなったのだ。これは当然の帰着だった。
月之介は、槍の柄に沿って走らせた刀身の軌道を変える。
跳ね上げるように上に。そして振り抜く。
ナナフシ男は、仰け反って一撃を躱そうとしたが遅かった。
パクリと喉が一文字に裂かれる。
悲鳴は上がらなかった。
気管が両断されていたのである。
悲鳴の代わりに、掠れた笛の様な音がした。
気管から空気が漏れている音だ。これを『虎落笛』という。
月之介が、三歩後ろに下がる。ナナフシ男の返り血を避けるためだ。刀は、再びだらりと右手に下げるような持ち方に戻っていた。
地面に突き刺した刀の柄頭に手を預け、陣太刀の男と短槍の男の、月之介との立ち会いを見ていた男が、地面から刀を抜く。
「『無形の位』と『合撃』とはね……、柳生新陰流か……」
目の前で、仲間が二人死んでも、顔色一つ変えない。この男もまた、闘争が日常の男のなだろう。
―――『無形の位』と『合撃』―――
剣聖・上泉信綱に新陰流を学んだ柳生石舟斎を流祖とする流派の、剣理である。
『無形の位』は、構えを取らないことによって相手の攻撃を誘うこと。
『合撃』は、相手が打ってきたところを迎え撃つ、いわゆる交叉法のこと。
いずれも、柳生新陰流の奥義である。
くっくっと、月之介の喉の奥から、押しつぶした笑い声が漏れる。
「見えるか? 私が使う剣が『柳生新陰流』に」
口角がきゅと上がり、能面のように月之介の表情が変わった。
眼の奥には、ゆらゆらと鬼火が灯る。
もとが、役者の様な美形なだけに、いっそう凄蒼な表情であった。
憎悪の表情。無限の闇に塗りこめられたような、憎しみに満ちた顔だった。
誰にも好かれる優男のである、月之介の本当の顔がこれだ。
「哀れな…… 人斬りに憑かれた顔だな。楽にしてやる」
男が、半身になり、体の影に右手で持った刀身を隠す。
そのうえで、何も持っていない左手を、月之介に向けた。
「義経神明流、島田 兵衛 参る」
陣太刀の男と、槍の男は、捨て駒だった。
西軍に組した主家がつぶれて、あぶれた浪人だ。それを銭で雇ったのだ。
彼らは、生まれた時から、人を殺せと教わって生きてきた者である。
戦場で勇敢だった者ほど、こうした平時に労働者に交じって働くことを良しとしない。
戦って死ぬのが願い。そうした、戦闘種族が彼らだった。
だが、月之介や、義経神明流を名乗った島田などは、それとは違う。
同じ武士のなりをしているが、全く別の思考を持っているのだ。




