風丸の陽炎
「……で、どうすんだよ。マトモに買うのか、襲って奪うか、どっちよ?」
地丸が言う。
本来の彼の役目は、適当な浪人を見繕って、江戸に送り込むこと。
最初の頃は上手くいっていたのだが、甲州忍が浪人を雇って互いに戦わせる手段を採りはじめてからは、芳しくない。
最高傑作だった『七死党』も、潰されてしまった。
なので、地丸は、もう一度『七死党』に匹敵する凶賊を作る仕事に戻りたいのだ。
「襲う。皆殺しに決まっておろうが。間もなく金丸が来る。合流したら、着手するぞ」
遠眼鏡で、牧の様子を監視しながら、風丸が言う。
「三人でか?」
「三人でだ。まぁ三人でも多いくらいだ。ここの甲州忍はボンクラばかりだからな」
ふふふ……と、不意に風丸が笑った。
「どうした?」
退屈を持て余している地丸が食いつく。
「いやなに、こっちに気が付いた奴がおる。一人だから、物見だな。足取りからすると、確信は無さそうだ」
そう言って、風丸は遠眼鏡を地丸に渡した。
「妙な歩き方だな。義足か」
地丸が呟く。風丸は、その間に皮袋を懐から出して、帯に結び付ける。
「まてまてまて、退屈でかなわん。俺にやらせろ」
遠眼鏡を突っ返しながら、地丸が言う。
「退屈なのは、俺も同じだ。ここは、俺の現場だからな、俺が殺る」
風丸がそう宣言した。曽呂利衆の掟では、現場責任者に指揮権がある。ここの指揮官は風丸だった。
「ええい、仕方ない。いっそ、返り討ちにあってしまえ」
いまいましげに、地丸が毒づく。
ふふふ……と、風丸が笑った。
マシラの久三の直感は、確信に変わった。
確かに、誰か居る。今や、その『誰か』は気配を隠す努力すらしていない。
気配は二つ。酒毒に犯されているとはいえ、まだ殺気を感じ取るぐらいは出来た。
腕の皮膚の下に棲む幻の虫が消えていた。むず痒さも感じなくなった。
不思議なもので、飲酒への渇望すらなくなっていた。
手の制御出来ない細かな震えも、ピタリと止まる。
「一人、風上から来るか。ワシと同じ飛び道具使いだな。もう一人は動かんか。おのれ、ナメくさって……」
ふつふつと闘志が湧く。一本の棒杭に替わってしまった左足さえ、力が漲るかの様だった。
山道を上がってゆく。
なるほど、ここは眼下の牧を観察するのにいい地点だった。
逆に言うと、なぜこの地点を巡回する場所に組み入れないのか、疑問が残る。
やはり、牧の連中は無能なのだ。
「自分も、その一員だった」
自虐の呟きが、久三から漏れた。自分が左足を失う前だったら、多分ここには気が付いていたはずだ。
久三が採るべき選択肢は二つ。
逃げて、この事を知らせるか、戦うか。
すぐに、「知らせる」という選択肢はないと諦める。
勘が鈍り、何度も虚報を流してしまった。
たびたび諌められたのに、酒を止めなかった。
その結果、自分が軽蔑される存在になってしまっていることに気が付く。
「自業自得……か」
靭から矢を三本取る。
一本は口に横咥えに。二本は右手に挟み持つ。
「よし」
手は震えない。虫が皮膚の下を這っている様なムズ痒さもない。
敵を殺す。殺して、誇りを取り戻すのだ。
「まだワシは戦える」
それを証明しなければ、誇りは取り戻せない。それが、久三の決心だった。
身を隠す努力すらせずに、男は山道の途中に立っていた。
ナメられている。
久三はそう感じた。だが、侮られるだけのことを、していた。
その負債は、自ら購わなければならない。
短弓に矢をつがえる。
まだ弦は引かない。
ニヤニヤ笑いをしている、正面の男の顔面に矢を叩きこんでやる。
静かな殺気が、久三を包んでいた。
「少しは、遣えるかと思ったが、駄目だこいつぁ」
男が、姿を見せないもう一人の男に話しかける。
「酒の匂いがするな。おまけに、義足かよ。めんどくせぇ、とっとと片づけろ」
どこからか、返事がある。
しかし、潜んでいる場所を久三は探知出来なかった。
隠形の地丸。気配を消し、風景に同化する能力に長けた曽呂利衆の忍だ。
久三と対峙しているのは、手妻使い(手品師のこと)の風丸。
その風丸が、四角いカルタ状の手裏剣を取り出した。左右の指に三枚づつ。
異名の通り、手妻使いの様な器用な手つきだった。
「たまに、使わんと、腕が錆びるからな」
そう言って、風丸が糸の様に細い眼を更に細めて笑う。
顔に張り付いた面を思わせる、嫌な笑顔だった。
久三がキリキリと弓を引き絞る。
その射線上の風丸は、回避する素振りすらない。
「ナメるな!」
斜めに跳びつつ、久三が矢を放つ。
右手のカルタ状の手裏剣を一枚を、風丸が無造作に掲げた。
手裏剣と矢がぶつかって、甲高い金属音を立てた。
矢は、斜め上空に軌道を変えて飛び去る。
間髪入れずに、久三が二ノ矢をつがえていた。
違和感。
そして殺気。
『右手にあった、残り二枚の手裏剣はどうしたのか?』
そう考えた瞬間、久三は二ノ矢を放つことなく、地面に伏せていた。
髪を引きちぎるほどの際どさで、すぐ頭上を手裏剣が走っていた。
地面を転がる。転がりながら、久三は二ノ矢を放っていた。
風丸が、面倒くさそうに、空中の矢を掴み取る。
正確さも、勢いも、出せない。負傷前の三割程度の実力しか出せないことに、久三は愕然としていた。
「鍛錬を怠った。その結果が、これか」
それにしても、奇妙な軌道の手裏剣だった。
微妙にブレる。
ユラユラと揺らめきながら、飛翔する手裏剣。
撃ち落とすのは難しそうだった。大きく躱すしかない。
―― 秘剣 『陽炎打ち』 ――
風丸が独自に編み出した手裏剣術だった。
彼が使う『撓うほど薄いカルタ状の手裏剣』は、歪んで作られていて、これが不規則な軌道の原因となる。
元は不良品の手裏剣だったのだが、これを術にまで高めたのが風丸だった。
利点は、軽いので枚数を多く持てること。
弱点は……
「面白い武器だが、軽い。致命傷にはならんぞ」
手甲を掲げて、飛来する手裏剣を、久三が弾く。
「てめぇに言われるまでもなく、『陽炎』の弱点は知ってるよ」
風丸は、揺らめきつつ飛ぶこの手裏剣を『陽炎』と名付けていた。
『陽炎』を投擲するから、『陽炎打ち』なのだ。
陽炎とは、揺らめく幻影のこと。まやかしの意味もある。
「手妻使いの一座に弟子入りしたことがあってよ、幻術の秘奥は『陰陽』なんだってさ」
『陰』は影。隠れた事柄。
『陽』は灯。眼に見える事象。
つまり、あからさまに見えるモノで幻惑して、本質を隠す事を言っていた。
「何を言って……」
……やがる と言いかけて、久三は息を詰まらせた。
背中に激痛。
何かが、突き刺さったのだ。
「ふふふ……そいつは『去来剣』っていう特別な手裏剣だよ。『陽炎』はそいつを隠すための目くらましさ」
何かが、上空から低い姿勢の久三の背中に突き刺ささった。ありえない角度からの飛来だった。
続いて、地面すれすれに何かが飛んで来て、それは急に跳ね上がるように上に軌道を変えた。
動きが変則すぎて回避など出来なかった。
腹に突き刺さる。
更に、斜め上方から、叩き下ろすような軌道で、手裏剣が降ってきた。
それは、肩を掠めて首に食い込んだ。
腹に刺さった、手裏剣を抜く。
くの字に曲がった奇妙な手裏剣だった。これが『去来剣』か。
「そいつは大きく曲がって、何も障害物がないと、投げた本人のとこに戻ってくる手裏剣さ。去りて戻る。だから『去来剣』って呼んでる」
体が痺れていた。
「毒……か……」
ごふっと血を吐きながら、久三が言う。
「毒だよ」
大きく曲がる『去来剣』にも、ブレつつ飛ぶ『陽炎』にも、水丸が調合してくれた猛毒が塗ってあった。
かすっただけで致命傷になるのだ。
受けにくい奇妙な軌道の手裏剣と毒。
最凶の組合せであった。
久三が前のめりに倒れた。毒が回り、心臓が停止していた。
それを、風丸が無造作に谷に蹴り落とす。
つまらない相手だった。まるで歯ごたえがない。つまらん。
「おう。あの馬面は、金丸だな。来た様だぞ」
地丸が姿を現しながら言う。
「あんな、長い得物は、邪魔だろうがよ。変人め」
人を一人殺したとは思えない、のんびりした口調で風丸が言う。
峠を越えて、『物干し竿』を背負った金丸が歩いているのが見えた。




