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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
48/97

風丸の陽炎

「……で、どうすんだよ。マトモに買うのか、襲って奪うか、どっちよ?」

 地丸が言う。

 本来の彼の役目は、適当な浪人を見繕って、江戸に送り込むこと。

 最初の頃は上手くいっていたのだが、甲州忍が浪人を雇って互いに戦わせる手段を採りはじめてからは、芳しくない。

 最高傑作だった『七死党』も、潰されてしまった。

 なので、地丸は、もう一度『七死党』に匹敵する凶賊を作る仕事に戻りたいのだ。

「襲う。皆殺しに決まっておろうが。間もなく金丸が来る。合流したら、着手するぞ」

 遠眼鏡で、牧の様子を監視しながら、風丸が言う。

「三人でか?」

「三人でだ。まぁ三人でも多いくらいだ。ここの甲州忍はボンクラばかりだからな」

 ふふふ……と、不意に風丸が笑った。

「どうした?」

 退屈を持て余している地丸が食いつく。

「いやなに、こっちに気が付いた奴がおる。一人だから、物見だな。足取りからすると、確信は無さそうだ」

 そう言って、風丸は遠眼鏡を地丸に渡した。

「妙な歩き方だな。義足か」

 地丸が呟く。風丸は、その間に皮袋を懐から出して、帯に結び付ける。

「まてまてまて、退屈でかなわん。俺にやらせろ」

 遠眼鏡を突っ返しながら、地丸が言う。

「退屈なのは、俺も同じだ。ここは、俺の現場だからな、俺がる」

 風丸がそう宣言した。曽呂利衆の掟では、現場責任者に指揮権がある。ここの指揮官は風丸だった。

「ええい、仕方ない。いっそ、返り討ちにあってしまえ」

 いまいましげに、地丸が毒づく。

 ふふふ……と、風丸が笑った。


 マシラの久三の直感は、確信に変わった。

 確かに、誰か居る。今や、その『誰か』は気配を隠す努力すらしていない。

 気配は二つ。酒毒に犯されているとはいえ、まだ殺気を感じ取るぐらいは出来た。

 腕の皮膚の下に棲む幻の虫が消えていた。むず痒さも感じなくなった。

 不思議なもので、飲酒への渇望すらなくなっていた。

 手の制御出来ない細かな震えも、ピタリと止まる。

「一人、風上から来るか。ワシと同じ飛び道具使いだな。もう一人は動かんか。おのれ、ナメくさって……」

 ふつふつと闘志が湧く。一本の棒杭に替わってしまった左足さえ、力が漲るかの様だった。

 山道を上がってゆく。

 なるほど、ここは眼下の牧を観察するのにいい地点だった。

 逆に言うと、なぜこの地点を巡回する場所に組み入れないのか、疑問が残る。

 やはり、牧の連中は無能なのだ。

「自分も、その一員だった」

 自虐の呟きが、久三から漏れた。自分が左足を失う前だったら、多分ここには気が付いていたはずだ。

 久三が採るべき選択肢は二つ。

 逃げて、この事を知らせるか、戦うか。

 すぐに、「知らせる」という選択肢はないと諦める。

 勘が鈍り、何度も虚報を流してしまった。

 たびたび諌められたのに、酒を止めなかった。

 その結果、自分が軽蔑される存在になってしまっていることに気が付く。

「自業自得……か」

 うつぼから矢を三本取る。

 一本は口に横咥えに。二本は右手に挟み持つ。

「よし」

 手は震えない。虫が皮膚の下を這っている様なムズ痒さもない。

 敵を殺す。殺して、誇りを取り戻すのだ。

「まだワシは戦える」

 それを証明しなければ、誇りは取り戻せない。それが、久三の決心だった。


 身を隠す努力すらせずに、男は山道の途中に立っていた。

 ナメられている。

 久三はそう感じた。だが、侮られるだけのことを、していた。

 その負債は、自ら購わなければならない。

 短弓に矢をつがえる。

 まだ弦は引かない。

 ニヤニヤ笑いをしている、正面の男の顔面に矢を叩きこんでやる。

 静かな殺気が、久三を包んでいた。

「少しは、遣えるかと思ったが、駄目だこいつぁ」

 男が、姿を見せないもう一人の男に話しかける。

「酒の匂いがするな。おまけに、義足かよ。めんどくせぇ、とっとと片づけろ」

 どこからか、返事がある。

 しかし、潜んでいる場所を久三は探知出来なかった。

 隠形おんぎょうの地丸。気配を消し、風景に同化する能力に長けた曽呂利衆の忍だ。

 久三と対峙しているのは、手妻たずま使い(手品師のこと)の風丸。

 その風丸が、四角いカルタ状の手裏剣を取り出した。左右の指に三枚づつ。

 異名の通り、手妻使いの様な器用な手つきだった。

「たまに、使わんと、腕が錆びるからな」

 そう言って、風丸が糸の様に細い眼を更に細めて笑う。

 顔に張り付いた面を思わせる、嫌な笑顔だった。

 久三がキリキリと弓を引き絞る。

 その射線上の風丸は、回避する素振りすらない。

「ナメるな!」

 斜めに跳びつつ、久三が矢を放つ。

 右手のカルタ状の手裏剣を一枚を、風丸が無造作に掲げた。

 手裏剣と矢がぶつかって、甲高い金属音を立てた。

 矢は、斜め上空に軌道を変えて飛び去る。

 間髪入れずに、久三が二ノ矢をつがえていた。

 違和感。

 そして殺気。


『右手にあった、残り二枚の手裏剣はどうしたのか?』


 そう考えた瞬間、久三は二ノ矢を放つことなく、地面に伏せていた。

 髪を引きちぎるほどの際どさで、すぐ頭上を手裏剣が走っていた。

 地面を転がる。転がりながら、久三は二ノ矢を放っていた。

 風丸が、面倒くさそうに、空中の矢を掴み取る。

 正確さも、勢いも、出せない。負傷前の三割程度の実力しか出せないことに、久三は愕然としていた。


「鍛錬を怠った。その結果が、これか」


 それにしても、奇妙な軌道の手裏剣だった。

 微妙にブレる。

 ユラユラと揺らめきながら、飛翔する手裏剣。

 撃ち落とすのは難しそうだった。大きく躱すしかない。


 ―― 秘剣 『陽炎打ち』 ――


 風丸が独自に編み出した手裏剣術だった。

 彼が使う『撓うほど薄いカルタ状の手裏剣』は、歪んで作られていて、これが不規則な軌道の原因となる。

 元は不良品の手裏剣だったのだが、これを術にまで高めたのが風丸だった。

 利点は、軽いので枚数を多く持てること。

 弱点は……

「面白い武器だが、軽い。致命傷にはならんぞ」

 手甲を掲げて、飛来する手裏剣を、久三が弾く。

「てめぇに言われるまでもなく、『陽炎』の弱点は知ってるよ」

 風丸は、揺らめきつつ飛ぶこの手裏剣を『陽炎かげろう』と名付けていた。

 『陽炎』を投擲するから、『陽炎打ち』なのだ。

 陽炎とは、揺らめく幻影のこと。まやかしの意味もある。

「手妻使いの一座に弟子入りしたことがあってよ、幻術の秘奥は『陰陽』なんだってさ」

 『陰』は影。隠れた事柄。

 『陽』は灯。眼に見える事象。

 つまり、あからさまに見えるモノで幻惑して、本質を隠す事を言っていた。

「何を言って……」

 ……やがる と言いかけて、久三は息を詰まらせた。

 背中に激痛。

 何かが、突き刺さったのだ。

「ふふふ……そいつは『去来剣きょらいけん』っていう特別な手裏剣だよ。『陽炎』はそいつを隠すための目くらましさ」

 何かが、上空から低い姿勢の久三の背中に突き刺ささった。ありえない角度からの飛来だった。

 続いて、地面すれすれに何かが飛んで来て、それは急に跳ね上がるように上に軌道を変えた。

 動きが変則すぎて回避など出来なかった。

 腹に突き刺さる。

 更に、斜め上方から、叩き下ろすような軌道で、手裏剣が降ってきた。

 それは、肩を掠めて首に食い込んだ。

 腹に刺さった、手裏剣を抜く。

 くの字に曲がった奇妙な手裏剣だった。これが『去来剣』か。

「そいつは大きく曲がって、何も障害物がないと、投げた本人のとこに戻ってくる手裏剣さ。去りて戻る。だから『去来剣』って呼んでる」

 体が痺れていた。

「毒……か……」

 ごふっと血を吐きながら、久三が言う。

「毒だよ」

 大きく曲がる『去来剣』にも、ブレつつ飛ぶ『陽炎』にも、水丸が調合してくれた猛毒が塗ってあった。

 かすっただけで致命傷になるのだ。

 受けにくい奇妙な軌道の手裏剣と毒。

 最凶の組合せであった。

 久三が前のめりに倒れた。毒が回り、心臓が停止していた。

 それを、風丸が無造作に谷に蹴り落とす。

 つまらない相手だった。まるで歯ごたえがない。つまらん。


「おう。あの馬面は、金丸だな。来た様だぞ」

 地丸が姿を現しながら言う。

「あんな、長い得物は、邪魔だろうがよ。変人め」

 人を一人殺したとは思えない、のんびりした口調で風丸が言う。

 峠を越えて、『物干し竿』を背負った金丸が歩いているのが見えた。


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