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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
45/97

凶賊の最後

 「何か危険な獣が脇を通り過ぎた」


 そんなことを、全裸で地面に大の字に横たわりながら、露木つゆき 玉三郎たまさぶろうは考えていた。

 肌が粟立っていた。

 これは、寒さばかりの仕業ではあるまい。

 露木は、薄目をあけて甚吾が通り過ぎるのを見ていたが、甚吾はちらっと一瞥しただけだった。

 それだけで、この寒さの中、どっと汗が流れた。

 安堵の汗だ。

 甚吾のような性質の男が居ることを、露木は知っていた。

 殺気を向けてくると女子供でも平気で斬るが、殺気が無い者は斬らない。

 こういった連中は、自分の中に明確な線引きがあって、それを踏み越えて来るか、留まるかで物事を判断するのだ。だから迷わない。だから、瞬時に決断できる。

 生き残るにはこれしかないと、露木は賭けた。

 そして、賭けに勝ったのだ。

 屋内に甚吾が消えてゆく。小男が、ちらちらと露木の方を振り返りなら、その後に続いてゆく。

 少し間をおいて、露木は身を起して、ぶん投げた刀と着流しを回収する。

 寒さでカチカチと歯が鳴った。

 いや、恐怖の残滓だったのかも知れない。

 寒風を避けて、蔵の前に移動した。そこで、着流しを着る。

 渥美屋半兵衛の後添え、お幸 の連れ子である お福 が監禁されている場所だが、戸は開け放たれていた。

 中を覗くと、梁からぶら下がったお福が、風に揺れているのが見えた。

 帯で首を括ったらしい。思いつめたのか。

「なにも、死ぬことはないのにね」

 露木が片手念仏を送る。木暮は斬られて果てた。お福は死を選んだ。まるでままごとの様な『夫婦の真似事』の結末がこれとは、なんとも救われない。

 高橋にしても、木暮にしても、賊に身を落としても、どこか生真面目さが残っていた。

「あたしの様に、逃げればよかったのにさ」

 そうつぶやいて、露木が刀を差す。

 もう、ここには用はない。

 無念 といい仲になれなかったのは心残りだが、縁がなかったと思うことにした。

「なんとか生き残れるといいね。まぁ、死んじゃうだろうけど」

 これが、しばらくの間同朋だった無念への惜別の言葉だった。

 自分を一瞥して通り過ぎた甚吾の冷たい顔を思い出す。

 ついさっき見たはずなのに、もう細部があやふやだった。

 怖かった。それだけが、強烈に印象に残っていて、それ以外の記憶の映像が押しやられたかのようだった。

「でも、ちょっと好みだったかも」

 ふふ……と笑って、露木は渥美屋を後にした。



 無念は、飛び起きると、枕元の刀をひっつかんで、走り出した。

 寝間着は着ない。

 常に普段着で生活している。

 襲撃があったら、いちいち着替えてなどいられないからだ。

 退路は常に意識している。

 逃走の経路も、暗闇であろうと走れるように訓練していた。

 多分、露木が食いとめてくれるはずだ。その間に逃げる。

 高橋と木暮は、なんとか自分で頑張れとしか考えていない。露木を含め、彼奴等の替えなど幾らでもいるが、自分の代替はない。

 作戦を立案し、企画して実行に移すという作業には、素質が必要なのだ。

「自分には、その素質がある」

 走りながら、呟く。

 小さな所領を守って、小競り合いを繰り返してきた小国の武将だった。

 それを繰り返しながら、戦術や兵法を磨いたのだ。だが、それを生かす場所がなかった。

 今はそれを江戸で試している。

 権力者に楯突くのは、気持ちいい。相手が巨大であればあるほど、無念の歪んだ自己顕示欲が満たされるのだ。

「こんな、おもしろい遊び、止められるか」

 自分に『無念』という名前をつけたのは、くすぶる無念を晴らしたいがゆえだった。

 才能がありながら世に出られなかった無念。

 こんなはずじゃなかったという無念。

 そうした物が腹の中で煮えており、これこそが『無念』という男を突き動かす原動力なのだった。

「まだ、やり足りねぇ。もっと、殺して、壊してぇ」

 そのために逃げる。

 殺気は感じ取った。放たれた刺客だろう。ケタ違いの殺気だけを感じた。

 ずっと、付け狙われている感覚はあった。いつ襲撃があるかと、露木と話し合ったこともあった。

 尾行者を確認したこともあった。

 だが、逆襲するまでは出来なかったのだ。

 もう「、ここに至っては『何者か?』という好奇心などなかった。

 逃げる時は一目散に逃げる。

それが戦の鉄則だ。


「あはは……、やっぱりこっちに逃げやしたねぇ」

 ぎくりと、無念が足を止めた。行く手を、猫背の小男が遮っていたのだ。

 ぎょろりとした目。発達した前歯。鼠に似た異相の男、瓦走りの権太だった。

 屋敷の構造を調べ、内部構造を類推するのは、盗人だった権太の得手とするところ。

 そのために、隣家の蔵に潜み、この場所を観察していたのだ。

 七死党の首領、無念が慎重で用心深い人物であることは、観察からわかっていた。

 居室に使う位置を見ればわかる。

 外部から侵入された時に、最も攻め込みにくく、それでいて外部への連絡がいいところを選んでいる。

 護衛役の露木の居室は、侵入された場合に遮る位置になっており、この屋敷の無念の居室が本丸なら、高橋と木暮が居る母屋と蔵は『出丸』、鵺がいた正面玄関は『大手門』、露木の居室は『二の丸』といったところか。

 想定外だったのは、最後の護りになるはずの露木が戦わずして逃亡した事。

 それが、追いつかれる要因となってしまった。

「ちっ」

 舌打ちして、刀を抜く。

 するすると、権太が下がった。

 代わりに、ぬっと前に出てきたのは血刀をひっさげた甚吾だった。

 思わず、無念は跳び下がっていた。

 間合いも何もない。怯んだのだ。体が勝手に反応してしまった。

 どっと汗が流れる。恐怖したのだ。

「待て、待て、待て、待て」

 刀を左手に持ち替えて後ろに回し、右手を甚吾の方に向けて拝むようにしながら、無念が言う。

『くそ、露木の衆道野郎は何してやがったのだ』

……と、心の中で罵りながら。

 忙しく頭は回転していた。

 闘争の中で生きて来た。甚吾と戦えば勝てないことが分かる程度には、敏い。

「蓄えがある。それを進呈しよう。しばらくは、遊んで暮らせよう。そうだ、我々に加わらないか? 度胸と腕があれば、大金を稼げる。貴殿ほどの腕前なら、副首領の座を用意しよう」

 我ながら、ペラペラとよく舌が回ると感心しながら、じりじりと後退する。

 右手の雨戸を蹴破れば裏庭に通じる。外側からは外れないが、内側からだと簡単に外れる仕掛けがしてあるのだ。

 そこまで行きつけば、次の逃走経路が埋伏してある。

「わかった。拙者の負けだ。江戸から離れる。二度とここには来ない。蓄えは全て差し上げる。その隠し場所に案内しよう」

 あと一歩、いや二歩か……。脱出口に無念がにじり寄る。

 それにしても、不気味な男だと、無念が心の中で呟く。

 殺気は漂っているが、明確に無念に流れてくるという事ではないのだ。こっちに切先を向けるでもなく、途方に暮れたように立ったまま、視線すら向けてこない。

 ただ、怖い。肝が冷えるのだ。そう、こいつはまるで『死』そのものを纏っているかのような、底冷えするような気配をしていやがる。

 『人外の化生の類か』

 こんな奴に斬られるのは、まっぴらだ。

 なんとしても……

「生き延びる!」

 雨戸に向って跳ぶ。

相手は、だらりと刀を下げ、俯いている。

 向き直り、斬撃を送ってくるのに一拍あると、無念は読んでいた。

 だが、目の端で見ていた。

 まるで別の生き物の様に、予備動作もなく、こちらを見ることもなく、刀を握った甚吾の右腕だけが動いたのだ。まるで、素早い蛇の様に。

 首筋が裂かれたのが分かった。

 そこには、太い血管が通っており、出血多量であっという間に死ぬ。

「くっ」

 刀を右手に持ち替え、左手で首筋を圧迫する。

 それでも、指の間から鮮血が溢れ出た。

 力が抜けてゆく。それと同時に、生命まで流れ出てしまっているかのようだった。

 無念は、転がりながら掬い上げる様な斬撃を送った。

 その動きと交差する軌跡で甚吾の片手斬りが横に走る。

手首がついたままの無念の刀が、ドンと壁に突き刺さった。

 何かを言おうと、ぱくぱくと動く無念の口に、ぞぶりと甚吾の刀の切先が潜り込む。

「うるさいよ」

 その刀を、こじり、抜く。

 分かりにくいが、やはり甚吾は苛ついている。木暮とかいう若造に『何か』を言われてから、ずっと機嫌が悪いのだ。

人嫌いの権太にしては、甚吾とは付き合いが長いし、よく観察する程度には近くで接している。だから、そうした変化も感じ取れる。

 好奇心がうずく。甚吾の信奉者として、全てが知りたい。だが、話題に上げるのは不味そうだと思う程度には、空気は読める。

「終ったね。帰ろうか、権太。今回の探索も、見事だった」

 懐のボロ布で刀身を拭いながら、甚吾が言う。

 もう、普段の甚吾に戻っていた。

 いや、仮面をかぶり直した……と、言うべきか。


やっと、これで本筋に戻ります。

長い回り道でした。

呆れましたよね。

すいません、すいません。

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