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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
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葦原の襲撃

「……とはいえ、警戒しすぎてしまうと、敵が食いつかないので、少数精鋭というわけでさ」

 また、猪牙船の船べりから指先を水面に浸しながら、慎重なのだか大胆なのだかわからない彦造の話を聞いていた月之介の唇が笑みの形を刻んだ。

「ずいぶんと、私を買い被ってますね。不利と見たら、逃げちまうかもしれませんよ。それより、彦造さんを斬って、ソイツを頂く方が楽でいいかも」

 彦造が噴き出す。彼が笑うのは、結構珍しい。猪牙船の船頭がぎょっとする程度には。

「あはは……。ないない。それはない。月之介さんは、義理堅いところがあるし、好んで危険に飛び込む性格をお持ちだ。今でも、わくわくしてるんじゃあねぇんですかい?」


 猪牙船を降り、葦原を抜けたあたりから不穏な空気があった。

 彦造もそれを感じ取ったのか、皮袋の紐を固く締め、しっかりと背中に縛りつける。

「今更だけど、『逃げる』っていう選択肢はないのかい?」

 落とし差にした刀の柄に肘を預けたまま、のんびりとした口調で月之介が言う。

「不利な状況で、受けて立って、それでも勝つという図式をつくりてぇんで。敵がそれで焦ればボロが出る。ボロが出れば黒幕も手繰れる」

 彦造が、海難救助用の細引きが仕込まれた木の棒、通称『飛虎ひこ』を手に取る。

 葦の葉が、明らかに風と違う動きをしているを見たのだ。

 笹や葦は、動けば必ず音が出る。襲撃者はその分不利なのである。

 彦造のことだ、予め通る道筋を漏らしていた可能性はあった。襲撃しにくい葦原を戦場にするよう誘導するため。

「来ましたぜ、月之介さん。皆殺しにしましょう。駿河屋に楯突くのがどういう事か、思い知らせないていけねぇ。この商売はナメられたら、お仕舞いなんですぜ」

 ザザザと、葦の葉が鳴る。

 誰かが駆けているのだ。

 その数、七つ。

 無言だった。手練れの証拠だ。命のやりとりに慣れていない者は、自らを鼓舞するために声を上げる。声を上げると、恐怖と緊張に委縮した手足も動くのだ。

 彦造が『飛虎』の分銅の留め金を外す。

 月之介は、鍔元を掴んで鯉口を切った。

 『飛虎』を担ぐようにして、彦造が走る。

 彦造と反対側に、月之介は走った。

 敵を分散させる。二人は打ち合わせをせずにそういう動きをした。それだけの修羅場をくぐっている。そういうことなのだろう。

 彦造は身を低くして走る。

 弦の弾ける音。

 葦の藪の奥から、二本の矢が疾ってきた。一本は、彦造の頭上を飛び越え、一本は地面に突き刺さる。

 短い矢だった。おそらく、襲撃者が使っているのは短弓。射程距離が短く、威力は小さいが、携行性はいい。

 彦造は走りながら、矢が飛来してきた方向に『飛虎』を、横殴りに振る。

 土台となる木の棒を外れた分銅は、弾丸のように藪の奥に消えた。

「ぐ」

 押し殺した悲鳴。

 彦造の手には、『飛虎』を通じて、骨が砕けた感触が伝わっていた。

 手首に、捻りを加えながら『飛虎』を引く。

 分銅につながった細引きには、折り目がつけられているのか、シュルシュルと木の棒に収まってゆく。そして、引き戻された分銅が、『飛虎』に収まった。


 三方から、襲撃者が近づくのを感じ取って、月之介が足を止め抜刀した。

 そして、まるで手にした刀が重くて仕方がないかのように、だらりと右手に下げたのだった。

 特に構えはない。

 ただ、突っ立ている。傍目にはそう見えるだろう。

 藪の中から、槍を持った男が一人、引きずるほど長い陣太刀を担いだ男が一人、刀を右手に下げた男が一人、現れても目も向けない。

 刃渡り三尺五寸(約九十五センチ)を超える陣太刀を持った男が、無言のまま腰をズンと落とし、八相に太刀を構えた。

 荒んだ顔つきの男だった。眉間から上唇にかけて、斜めに刀傷が走っており、傷に引き攣れて唇がめくれあがっているので、黄色く汚れた歯が見えた。

 闘争の場において、猛ってはいないところが不気味だった。

 殺傷圏内に入れば、陣太刀を叩き込む。男は、それしか考えていないのだ。

「その、クソ重たい太刀が振れるのなら、鋤鍬も振れるだろうに。江戸は今、仕事には困らぬよ」

 そんなことを呟きながら、無造作に月之介は陣太刀の男の方へ歩く。

 手にある刀はだらりと下げたまま。

 足取りはまるで、散歩にでも出かけるかのように、軽い。

 無言の気合を込めて、陣太刀が叩き下ろされる。

 術も技もない。筋肉が生み出す膂力で、より早く、より強く、太刀を振るうことだけを追求した一撃だった。

 これを『介者剣法かいじゃけんぽう』という。甲冑を着ていることを前提に、防備を無視した戦場での剣術。刀で受けても、刀ごと叩き斬る。そんな太刀使いだった。

 月之介は、更に一歩踏み込んで、体を半身に開く。

 すざまじい勢いの陣太刀は、月之介の背中を擦過する際どさで空を斬った。

 二人は、密着するほどの近さで動きを止めた。

 本来『介者剣法』は、ここから体当たりなどの組打ちに移行する。相手の首を掻き斬るまでが勝負なのだから。

 だが、男は塑像のように動かない。

 先に動いたのは、月之介だった。

 一歩、また一歩と後に下がる。

 それに伴い、男の腹からズルズルと月之介の刀が血に染まりながら抜けて行く。

 陣太刀の一撃を躱すと同時に、平らに寝かせた刀を肝臓を貫く角度で突き入れていたのだった。

 肝臓を裂かれると、数呼吸で死ぬ。

 男は立ったまま絶命していた。

 どさりと、男が倒れたのを見計らって、槍の男が前に出た。

 槍の柄の長さはおよそ五尺(およそ百五十センチ)ほど。

 穂は約三尺(約九十センチ)と長く、両刃の直剣が付いているかのようだった。槍というよりは、長巻に近い得物なのかもしれない。

 

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