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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
35/97

瓦走りの権太

 無念むねんたちは、渥美屋あつみやを本拠地として、江戸市内で押し込みや強盗を行うことを生業にした。

 そのことで、良心は痛まない。その段階は過ぎてしまったのだ。

 これは生存をかけたいくさ。そう、思い定めた時から、全てが正当化されてしまったのである。

 悪いのは、自分たちではない。我々を野に放つような真似をした徳川が悪い。そんなことも考えていた。屁理屈なのは、分かっている。だが、そう考えると、無辜の民を手にかける罪悪感が薄れるのだ。

 もともと、無念には酷薄なところがあり、いつ、誰を、何人ぶっ殺しても、あまり心は痛まない。

 だが、高橋と木暮には、こうした免罪のための理屈が必要だった。


 人材の確保が難しいと無念は思っていたのだが、彼等を江戸市内に導いた男が、無念たちのような境遇の者を連れてきたので、それはあっさりと問題解決となった。

 この男は豊臣側の工作員、『曽呂利衆』の『五ツ』が一人、隠形おんぎょう地丸ちまるなのだが、無念たちはその正体を知らない。

 右旋うせん左転さてんという、双子の兄弟を斡旋されてから、無念が一人で賄っていた情報収集がぐっと楽になった。

 高橋や木暮は、荒事には向いているのだが、絶望的に情報収集には向かない性格だった。

 高橋は大雑把すぎ。木暮は辛抱が足りない。

 右旋うせん左転さてんと、いかにも偽名臭い兄弟だが、武士のナリはしていても、無念には違うとわかった。

 おそらく、乱波らっぱ透波すっぱの類だろう。

 無念がまだ宮仕えだった頃、乱波らっぱ崩れを密偵で使ったことがあるから、彼ら独特の雰囲気は知っている。


 『襲撃先の絵図面を作る』

 『関係者をかどわかしてくる』

 『邪魔になる者を密かに殺す』


 そんな仕事を、淡々とこなしてくれるのがありがたい。きっちり仕事さえしてくれれば、素性など無念にとっては、問題ではなかった。


 戦力の増強を考えていた時に、加入したのが、露木つゆき 玉三郎たまさぶろうという若者だった。

 役者みたいな名前だが、役者みたいな二枚目だった。

 ツルンと剥いた卵みたいなのっぺりとした顔と、肌をしている。

 林崎流の系列の居合をつかう。巻き藁でも斬るかのように、人を斬る。

 人を斬ることに慣れてしまった、斬殺者の匂いがした。これが露木という男。

 戦力としては、申し分ないのだが、無念はこの男が苦手だった。

 この男は『自分は衆道である』と、公言しており、『無念殿は大の好みである』とも宣言しているからだ。

 『頭領である無念を守る』という名目で、四六時中張り付かれているのが、苦痛なのだった。

 最後に面子に加わったのは、女だ。

 名前をぬえといった。やはり、地丸の斡旋だ。これもまた、偽名くさいが、化けるのが上手い女で、そして淫蕩だった。

 渥美屋の主人である半兵衛は、妻子を人質にとられているので、手も足も出ない状態なのだが、無念は更に安全策をかけたのだ。

 男を骨抜きにするのは、情欲。

妻子と引き裂かれた半兵衛にぬえを近づけて、色仕掛けをしたのだった。

 もともと半兵衛は、二回り以上年が離れた女を後添えにもらうような男で、性欲が強い。

 たちまち、鵺に耽溺していったのである。


 新規加入の連中で、荒事商売が順調に回転しはじめると、襲撃の段になるまで、高橋と木暮はヒマになった。

 今まで住んでいた貧乏長屋とは比べものにならない住居。

 ここには、内風呂まであるのだ。

 食うに困ることはなくなった。渥美屋が蓄財していた銭が自由に使える。押し込み強盗で、かなりの銭は稼いだ。

 水で薄めた酒ではなく、上等な吟醸酒を飲む事も出来る。

 江戸市内で、派手に遊興すると目立ってしまうので、それを控えなければならないが、それ以外は、宮仕えしていた頃よりいい暮らしをしているのである。

 住むところが確保された。

 食べ物に困らなくなった。

 衣服は上等なものを着ることが出来る。

 あとは、江戸の町の慢性的な女日照りがなんとかなればいい。

 幸い、目の前に囚われの女がいる。

 高橋は、渥美屋の後添えである おこうという名の女を、人質にとったその日に、早くも手籠めにしたのだった。

 今までの鬱憤を晴らすかのように、高橋は体力の続く限り、お幸を嬲った。

「いいかげんにしろ」

 無念が見かねて注意したのだが、

「わしは明日、死ぬかも知れん。だから、今を悔いのないように生きることに決めたのだ」

 と嘯いた。

 始めは、抵抗していた彼女だが、昼夜を問わぬ交情に高橋に依存する態度を見せ始めるようになった。

「なんでも、監禁されていると、監禁している側と、されている側の間に信頼関係が芽生えるらしいですよ。こいつは、それでしょう」

 そんなご高説を垂れたのは、露木だった。

 そして、無念に流し目を送ってきた。無念の肌に、サーっと鳥肌が立たった。


 木暮は娘の監視を担当していた。

 娘は母に似て器量よしで、未通娘おぼこだったが、年齢が近い事もあって、木暮は異性として意識している風だった。

 これもまた、露木が言うところの「信頼関係が云々」の影響か、ある夜に一線を越えたようだった。

「揃いも揃ってド素人が……」

 いつか、手に手をとって逃避行……などしやがったら、叩っ斬るしかあるまい。



 研鎌の様な細い月。

 江戸の町は木枯らしが吹いていた。

 七人の凶賊が江戸の町を荒らし始めて、二ヶ月が経過している。

 いつしか『名無し』が転じて『七死』と呼ばれるようになっていた。

 狙われるのは大店ばかり。

 手口は綿密で残忍。容赦なく皆殺しにする手口に、江戸の市民は震撼した。

 どこから来て、どこに消えるのかわからない。

 死んだふりをして、かろうじて生き残った小僧から、その凶行が語られ、河原に小屋掛けした芝居小屋でその様子を描いた歌舞伎『無残七死』が評判になるという、不謹慎極まりない有様になった。

 娯楽が少ない建設途上の江戸は荒んでいるが、殺しも娯楽になる荒れ具合だったのである。

 木枯らしに吹かれ、屋根瓦の上にすっくと立ったのは、異相の男。

 前歯が発達していて、まるでネズミだった。

この男こそ、宿星屋の専属の密偵、『瓦走りの権太』であった。

 渋柿色の頬かむり。同色の刺し子に伊賀袴とくれば、いかにも盗人めいた格好だが、かつての職業からは、きっぱりと足を洗っていた。

 今は、草深くさふか 甚吾じんごのために、獲物を追うことに喜びを見出していたのだった。

 彼が受けた仕事は、『七死党』の討伐。

 その凶賊が、どこに隠れ潜んでいるのか、探り出すのが、瓦走りの権太の直近の任務だった。

 権太は正義の味方ではない。江戸の市民が困っているから、七死党を討伐するわけではないのだ。仕事だからやっているだけ。

 実働部隊となる甚吾にしてもそうだ。斬るのは、金を受け取ったから。

 だから、眼下で行われている凶行に介入するつもりは無い。

 知多屋という商家が襲われているところなのだ。

 権太は、元は一人働きの盗人で、腕が良かった。だから、襲撃側の心理を読む事が出来たのだ。

 七死党は、襲撃に一定の法則があることを、権太は読んでいたのだ。


 『襲われる商家は大きな取引を行った直後である』

 『中規模以上の商家である』

 『犯行は、必ず新月の深夜に行われる』

 『用心棒の規模が十名以下である』


 などの法則であった。

 獲物選びは慎重で、用意周到だが、犯行を重ねるにつれ、襲撃計画者の癖みたいなものが、浮かびあがってくるのだ。

 そのうえで、いくつかに絞って、権太は網を張っていたわけである。

 それが、やっと今夜、結実した。

「襲われるかもしれない」

 と、商家に警告するという選択肢は、権太の中になかった。

 その商家がどうなろうと、知った事ではないから。重要なのは、甚吾に確実な情報を与える事だけ。

 権太は人間が嫌いだった。

 自分の容姿が醜いという事で、今まで散々ひどい目にあってきた。

 嘲笑され、侮られ、権太の持つ可能性を偏見から否定され続けてきたのである。

 甚吾は違った。彼は、あまり他者に興味はなく、興味がないゆえに偏見がない。その人物が持つ能力でしか、他者を見ないところがあった。

 権太はそれが心地いいのだ。甚吾とは劣等感を感じることなく、話すことが出来たのである。

 その甚吾のために、持てる技量を使うのは気持ちがいい。

「よくやったなぁ」

 という甚吾の賞賛は、何の打算も駆け引きもないのだから。

 そして今夜、やっと手がかりをつかんだ。

 目の前で、従業員や用心棒が殺されているが、権太は全く気にしない。

 素人くさいが、大胆な剣を使う者が二人。まるで戦場の剣使いだ。一人は巨漢。一人は細身の男だった。

 権太は剣術のことは、よくわからなかったが、彼から見ても明らかに慣れた手さばきの男が一人。

 頬かむりをしているので、顔は分からなかったが、指示を出しているところを見ると、こいつが首領格らしい。

 その首領格に寄り添うようにいる男が、権太の危険信号を刺激する。

 コイツの剣使いは、以前見た甚吾の剣使いと似ている。

 スパっと抜刀して、スパッと斬る、そんな剣使いだ。

 小太刀を使う小柄な影が二つ。武士のナリをしているが、多分違う。

 おそらく、同業者の盗人か乱波らっぱ崩れの類だろう。

 これで六人。芝居か何かだと、七人いるはずだが、まぁあれは、芝居に過ぎない。語呂がいいから『七人』としたのかもしれない。


「くそ! どうも嫌な予感がする」

用心棒の一撃をひょいと躱して、掬い上げるような逆袈裟を送り込みながら、無念が言った。

 脇腹を斬り払われて、よろめく用心棒の首を、無造作な片手斬りで落としながら、露木が頷く。

「私も、誰かに見られているような気がしているのだけど、確証が持てなくて」

 一気に暴れすぎたかもしれない。

 江戸の治安を守る先手組も、先手組の下請けを行っているという噂の甲州忍びの残党も、そろそろ目を付けてくる頃合と思っていたのだった。

 一旦、江戸を離れた方が良いのかもしれない。そんなことを、無念は思案していた。

「まぁ、今は目の前の仕事に集中しよう。今後の事は、それ以降に考えればいい」


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