破壊工作
『無念』らが江戸に来て、二ヶ月が経過していた。
高橋と木暮は、仕官を求めて無駄な努力をしていたようだが、早晩、挫折するのは見えていた。
元・西軍側で、新しく仕官した者はいる。そういう者は、名だたる勇者だったり、著名な教養人であったりした者ばかりだ。
無念たちのような無名の浪人など、仕官のクチなどありはしない。
戦場に恵まれなかった。自分たちの才覚が劣っているとは思わない。だが、活躍の場を得ることが出来なかっただけだ。
まぁ、そんなことをほざいても、負け犬の遠吠えに過ぎない。
ならば、自由に生きよう。それが無念が下した結論だ。
戦場は江戸。まずは、本拠地が必要だった。目星はつけていた。そのために江戸を徘徊していた。
仕官を求めて歩いていた高橋と木暮とは、眼のつけどころが無念は根本的に異なっていた。
「攻めやすそうなところは、どこか?」
そういった目線で、江戸の町を見ていたのである。
江戸は、新興の町だ。
徳川家の将軍の宣下は確実であると噂されており、幕府は江戸に置かれることになる。
目端の利いた商人は、こぞって江戸に拠点を設置し、大都市に成長するのを見込んで地盤造りに余念がない。
優遇されているのは、徳川の地元である三河の商人たちで、織田、豊臣政権下で勢力を拡大した堺や近江や京都で勢力を拡大した豊臣の息がかかった商人たちの力を削ぐ意味もあるのだろう。
茶屋四郎次郎などは、その典型だろう。京都の豪商角倉や、堺衆と比べると一段下に見られていた茶屋だが、初代は三河出身の人物であり、二代目は、本能寺の変の際に、家康一行を伊賀越えで逃がした功績もあり、引きたてられていた。つまり、徳川の政商として、様々な利権を握っていたのである。
堺衆や角倉などは、独立不羈の気概が強い。時の権力者など何するものぞという、気骨がある。日本の全てを掌握しないと気が済まない、猜疑心が強い徳川にとっては、扱いにくい連中だ。
ならば、言いなりになる茶屋などに利権を与えて勢力を拡大させればよいという考え方だった。
その流れで、三河商人は優遇を受けていた。優先的に江戸の土地が分譲され、都市計画で後々繁華街になることが予定されている場所が提供されていたのだった。
無念が目をつけたのは、そのうちの一つ。『渥美屋』という、海産物の干物を扱う商家だった。
大商人とまではいかないが、江戸に進出している三河系の商人の中では、中規模程度の商人であり、敷地が広い。
そして、主人の渥美屋半兵衛は吝嗇家で有名であり、物騒な江戸にあって、警備の用心棒代をケチる傾向にあった。
更に、危機管理能力が欠けているのか、単なる馬鹿か、妻子をこの江戸に呼び寄せるという警戒心の無さ加減だった。
立地条件もいい。兵力はない。ここが戦場なら、真っ先に併呑されるのが、渥美屋のような連中だ。
「渥美屋を頂く」
無念は、高橋主水と、木暮左兵衛にそう計画を打ち明けた。
「たった、三人でか?」
高橋が角ばった顎を撫でながら言う。
「そうだ。渥美屋は、用心棒代をケチって、夜間に一人不寝番がいるだけだ。で、そいつが、絵に描いたようなボンクラときている。三人でも多いくらいだよ」
渥美屋半兵衛が妻子を治安のよくない江戸に呼び寄せたのには、わけがある。
今の細君は後添えで、初老にさしかかった半兵衛に似つかわしくない若さなのだ。そして、美しい。
吝嗇家で有名な半兵衛だが、嫉妬深くもあり、若くて美しい妻と離れていると、悪い虫でも寄ってこないかと、気が気ではないからなのだった。
一人娘は、細君の連れ子で、母に似て見目麗しい娘なのだが、半兵衛はこの娘にも異様な執着を見せ、手元から離そうとしないところがあった。
用心棒を斬り、この母娘を人質にとりながら、渥美屋に居座るというのが、無念が立てた策なのだった。
「まるで、強盗ではないか?」
根が真面目な木暮が、そういって唸る。
「居場所を切り取り、奪う。これが、武士の本質だよ」
あまり渋るようなら、木暮は斬ってしまえばいい。無念がそんなことを考えていると、高橋が身じろぎした。
無念から、微かに流れ出た殺気に、反応したのだ。
高橋は、思考が単純だが、勘働きはいい。
「このままではジリ貧だ。腹を据えろ、木暮」
兄貴分である、高橋にそう言われて、木暮が頷いた。襲撃に加わることにしたらしい。
「……で、いつ着手するんだ?」
高橋が、探るような目で無念を覗きこみながら言う。まだ、木暮を斬るつもりなのか、探っているのだ。
「今夜。丑三つに狙う。今夜は布団で眠る事ができよう」
無念が笑いながら答える。もう、木暮を斬る気はないと、態度で示したのだ。
「寒くなる前。我らの体力が残っているうちに、襲う。これは、戦だぞ」
渥美屋の襲撃はうまくいった。
これが、江戸の町を震撼させる『七死党』最初の犯行であった。
用心棒は、簡単に斬った。不寝番どころか、眠りこけていたのである。
刃が突き入れられるまで、この用心棒は目を覚まさなかった。腕の立つ用心棒は値が張る。渥美屋半兵衛は、ここでも銭をケチったのだろう。
従業員は丁稚が一人、手代が一人いた。現地採用の臨時職員で『通い』だった。若く美しい妻と、花の様に可愛い娘が住んでいる場所に、若い職員など置きたくなかったのだろう。おかげで、無念らの仕事が楽になった。
半兵衛は、妻と同衾しているところを、捕獲された。
成り上がりの商人らしく度胸は据わっていたが、彼の女房に刃を突きつけると骨抜きになってしまった。
娘は、木暮が捕縛した。
この二人は、この店の敷地内にある蔵に幽閉され、予定通り人質とした。
半兵衛は、今まで通り商売を続けさせる。
無念は、半兵衛の監視を兼ねてそのまま新しい用心棒を演じる事になった。
高橋と木暮は、幽閉した母娘の監視を担当する。
これで、無念らの本拠地が出来た。
この段階で、無念にこの武装集団を作るよう提案した人物が接触してきた。
渥美屋の内部資料。従業員の行動。半兵衛の性格など、今回の襲撃に必要な資料を集めてきたのもこの男だった。
男は名乗らない。無念も偽名のようなものだ。お互い様だった。
「うまくいったようだな」
渥美屋の一室。茶をすすりながら、男が言う。糸の様に細い目をした、男だった。全体的に、のっぺりとした印象の顔だ。
「小規模な『斬った、張った』は、得意なのでね」
無念が答える。
男は、それを聞いて、頷いただけだった。
「これから、人手が必要になろう。わしが斡旋してやろう。心当たりもある」
なぜ、この男が当方に肩入れするのか、無念にはわからなかった。
罠かと疑ったが、無念のような無名の浪人など、わざわざ手間をかけて罠にかける必要などない。
「恩など着る必要はないぞ。おぬしらが、この江戸で暴れることは、わしにとって充分に益のあることなのだ」
徳川に敵対する勢力の工作員かと、無念は推理していたが、果たしてその通りだった。
ならば、遠慮なく利用させてもらう。
聞けば、男は江戸周辺の浪人を、江戸の町に送り込んでいるらしい。
そして、無念に施した様に、凶賊となる知恵を授け、人材を斡旋したりしているらしい。巷に浪人があふれているからこそできる、安上がりな破壊工作というわけかと、無念は理解した。
「偵察要員を二人。腕の立つ浪人を二人。ここに来るよう、指示しておこう」
要件が済むと、さっさと席を立つ。
「とにかく、好きなように暴れろ。火付け、強盗、殺し、なんでもいい」
渥美屋を男が出る。
無念と名乗る男には、まぁまぁの才能がある。そして、腹に憎しみを抱いている。渥美屋を乗っ取る手法にも、躊躇いはなかった。
そういった、無念のような人物を、男はせっせと江戸に送り込んでいたのだった。
「首尾はどうか?」
いつの間にか、男の横には虚無僧が並んでいた。
無論、虚無僧などではない。虚無僧のふりをしているだけだ。
「うむ。あの男は使える。それより、火薬はどうした?」
「少しづつ、運び込んでいるところだ。検問が厳しいので、時間はかかるぞ」
この二人は、『曽呂利衆』の『五ツ』の忍び、地丸と火丸であった。
地丸は、目ぼしい浪人を見つけては、野盗、盗賊、凶賊に仕立て上げる工作をしている。
火丸は、江戸城を炎上爆発させるために、探りを入れているところだった。
「水丸は、水脈を探している。しばらくは、江戸市中の井戸水は飲むな。実験で毒を流し込んでいる可能性がある」
江戸は夕焼け空だった。
地丸が空を見上げる。カラスが鳴いて、塒に帰ってゆくのが見えた。江戸は荒っぽい土地だ。空気すら、とげとげしい。大阪が恋しかった。
「今回は『憑き移し』は使わんのか?」
水丸は毒薬を使うが、人為的に流行病を流すこともある。
ネズミなどの宿主を使って、病原菌をバラ撒くのだ。
宿主に憑いた病が移るから『憑き移し』という術名がつけられていた。
「ネズミの用意と、宿主の用意が面倒なので、今回はやらんそうだ。勝手のわからない土地だからな」




