七死党 誕生
関ヶ原が最後の好機だった。
そんな事を、僧形の男が考えながら歩いていた。
名前を『無念』という。もちろん彼は得度したわけではない。ようするに、僧侶の成りすましで、『無念』という名前も勝手に名乗っているだけだ。
西軍の落ち武者狩りが今でも行われている現在、武士の格好をしているより、僧形の方が何かと便利なのだった。
無念は、西軍にも東軍にも属していなかった。
伊達、葦名、上杉といった強国に囲まれていながら、奇跡的に何処にも併呑されなかった小国が、彼の主家だった。
交通の要衝でもなく、何か産業があるわけでもない小さな国は、攻略の優先順位が下位であっただけで、外交が上手だったわけではない。
いずれ、どこかが食指を向けて来るのは確実で、無念ら家臣団は、徳川や豊臣といった巨大勢力に存在を認めてもらうことによって、その矛先を躱そうと考えていたのだった。
いずれかの陣営にとって役に立つか立たないかは必要ない。旗幟を明らかにして、大きな勢力に従うことが重要だったのだ。
関ヶ原の戦いは、勢力が拮抗していた。
「東北の聞いたこともない小国すら、当方に味方するのだ」という宣伝に使ってもらえば、上出来。こんな機会でもなければ、大国は歯牙にもかけてくれない。
「上杉と組み、西軍に与すべし」
まだ『無念』でなかった頃の男は、主君にそう進言した。
徳川陣営である伊達は信用できない。権謀詐術の者であると男は思っていた。また、名家である葦名は、こんな寒村みたいな国は洟もひっかけないだろう。
残るは、上杉だ。四方を敵に囲まれつつも、徳川が売ってきた喧嘩を買った度胸が気に入っていたのだ。そして、戦力的に不利な陣営は、数少ない味方を大切にする。
だが、この好機にあって、主君は優柔不断だった。
使者を送るだけでいいのだが、ずるずる時間ばかりを引き伸ばし、言い訳ばかりを繰り返していた。
結局、関ヶ原の戦いは決し、時期を逃してしまった。
西軍は負け、上杉は撤退した。
主君は
「わしの先見の明のおかげぞ」
と、得意満面だったが、何の考えもなく亀のように縮こまっていただけだ。
上杉が引っ込めば、力の均衡は崩れる。
空白地帯だった、小さな国にも勢力拡大の波は来る。
「かくなる上は、伊達に忍従すべし」
無念はそう進言したが、これも無視されしまった。
それどころか、遠ざけられてしまったのである。
浪々の身の上だった父を召し抱えてもらった恩があった主家だが、これで、愛想が尽きた。そして、父の病死を機に名前をすてて剃髪し『無念』となって、逐電したのだった。
何となく無念は、江戸に向った。
治安は悪化しているのを実感しつつの旅だった。
田畑をそっちのけにした農民が、錆刀や竹槍で武装して、勝手に検問を行ったりしていたのである。
名目は、自警団。その実態は、落ち武者狩りだ。
西軍の武将の首には賞金がかけられている。作物を搾取されるより、よっぽど金になるのだから、やめるわけがない。
それを、見越しての僧形だったが、正解だった。
腕には自信がある。有名ではないが訃伝流という剣術を父から習っていた。目端は利くほうだった。それに、まだ若い。浪々の身の上だが、なんとかなるような気がしていた。
現在、同志として行動している 高橋 主水 と、木暮 左兵衛と出合ったのは、この頃だ。
彼等もまた、主家を失い浪々の身の上の者たちだった。
妙に初心なところがあって、農民兵の自警団が待ち伏せしているところに、のこのこと入っていくところだったのを、思わず助けたのが 無念 だ。
「この先、不逞の農兵どもが、待ち伏せしているぞ。カルガモが、あの一帯には近づいておらん」
旅姿の二人を、そう言って 無念 は呼び止めた。
「ご助言、かたじけなし。だが、困った。われら、江戸に行かねばならぬのに」
角ばった顔、角ばった体つきの 高橋 主水 が、つぶやきながら腕組みをする。
「かまわん。このまま、踏み破ろう。わざわざ遠回りなどしたら、武士の面目が丸潰れじゃ」
鼻面が長く、唇が薄く、黒々と日焼けし、まるで黒い山犬を思わせる凶相の男、木暮 左兵衛 が柄袋(刀を汚さないため、柄と鍔を覆う様に被せた袋)を外しながら言う。
「無策で行っては、死ぬだけ。ここは、拙僧に任せてくれ」
無念 が育ったのは、小国だった。戦の世とはいえ、せいぜい小競り合いしかしたことがない。逆に言うと、ヤクザの出入りのような喧嘩や小細工は得意なのだった。
「どうするというのだ? 御坊?」
高橋が興味を示した。木暮も、無念の話を聞く気になったらしい。
「喧嘩の『気』を、はぐらかしてやるのだ。やる気満々のところに出て行っても、面倒なだけ。気を抜いたところで、一気に襲えばよい。どうだ? 乗るか?」
田んぼのあぜ道を、僧が歩いていた。
主家を逐電し、僧に成りすました 無念 である.
あぜ道は罠だ。わざと、人が一人通れるだけの通路を作って、そこに誘導している。無念 は、それを見抜いていた。これを、どう切り抜けるか思案している所に、高橋と木暮の二名が来たのである。
三名いれば、何とかなりそうだと思っていた。問題は、この二名が 無念 を信用するかどうかだったのだが、案外あっさりと信用した。これも、僧形の効果なのかもしれない。
無念 の策は、簡単だ。高橋を捕獲した落ち武者に擬装し、待ち伏せしているだろう農兵に差し出す素振りを見せようというのだ。
荒事をわざわざ起さずとも、簡単に捕獲できるとなれば、農兵は緊張を解く。その瞬間を狙って、一気に切り抜けようというのだ。
戦場に出たことがある何人かが、農兵の指揮を執っているはずだ。多分、そいつが、交渉に出てくるだろう。これを斬る。喧嘩は、まず頭を潰す。そうなれば、相手は怯む。単純な手段だが、有効な手段でもある。
二人の若者は、無念 の策に乗った。彼等より多少年長である 無念 が、自然と指揮官に収まる形になった。
僧が刀を持っているのは不自然ということで、無念 は錫杖を仕込み刀にしていた。これで、不意打ちをするつもりだ。
縄を打たれた 高橋 を引っ立てるようにあぜ道を歩く。
縄尻を持つのは 木暮 だ。無念 は、先導するかのように前を歩いていた。
多分、待ち伏せしているだろうなと思っていた場所で、武装した農兵がゾロゾロと出てきた。その人数、十二名。
仰天したような演技をしつつ、無念 は、この小集団の頭が誰なのか、観察していた。
「御用の筋で、検問する。手向かえば、殺す」
一人が、進み出てきて口上を述べた。
「これは、無体な。当方は、徳川家直属の追討使。罪人をやっと捕らえて、帰還の途中でありますぞ。そっちこそ、邪魔立てすれば、ただではすみませんぞ」
脅えつつ、徳川家の威光を笠に着るような、絶妙な演技を 無念 がする。いかにも、小役人という感じが、現実的に見える。
口上を述べた男の眼が泳ぐ。想定した問答と異なるのだ。
彼らの大義名分は、徳川に協力しているということ。それを、先に 無念 は使ったのである。
困った男が、背後を見た。
百姓らしからぬ、不遜な面構えの男がいる。多分、こいつが、この狼藉の首謀者だと、無念 は読んだ。
舌打ちして、その不遜な顔の男が進み出る。
「この、馬鹿が。そんなのウソに決まっているだろう。ハッタリに飲まれやがって」
そう言って、刀をすっぱ抜く。
手つきでわかる。こいつは、刀を使いなれている。
「まてまてまて、貴様らも、賞金狙いだろう? どうだ? わしらと山分けでは? こいつは、西軍の 大谷刑部 の武将、湯浅 五郎 だ。百両の賞金首だぞ。 七対三でいい」
この時期、人狩りが多い。無念 が演じているような賞金稼ぎも多く存在していたのである。
「貴様ら二人を斬れば、賞金首が手に入るのに、なんでわざわざ分けねばならんのだ? さあ、そいつを置いていけば、命だけは取らん。さあ、どうする?」
無念が、がっくりと肩を落とす。
「くそっ! こいつにかけた、時間と金が無駄になったぞ。大赤字だ!」
毒づきながら、縄尻を持つ 木暮 に 無念 が顎をしゃくる。
闘争なしで賞金首が手に入ると分かって、農兵たちの安堵の気配が流れた。
「な? 言った通りだろ?」
にやりと笑って、無念 が錫杖に擬装した仕込み刀を抜く。
慌てて刀を振り上げた、不遜な顔の男に身を寄せて、喉を貫く。
バラリと縄を解いて、高橋 が 木暮 から刀を受け取った。抜きざま、手近な農兵を斬る。
腰の据わった、なかなか良い斬撃だった。
木暮 も、抜きながら走っていた。走りながら、斬る。
彼らには、集団との戦闘の心得として、「止まるな」と教えてある。
丁寧に刃筋を立てる必要はないとも言ってある。
とにかく、動く。動きながら、刀をぶん回す。刀は鋼鉄の塊。当たっただけで、骨は折れ、肉は潰れるものだ。『兵は拙速』という言葉は、剣術でも言えることなのだ。
気が付けば、あっという間に十人を斬っていた。
一人は逃げた。一人は、命乞いをしている。
荒い息を吐いて、高橋 が笑っていた。分厚い彼の胸が、大きな鞴の様に、上下している。返り血で真っ赤に染まっていたが、傷は浅手を二か所ほど負った程度だったようだ。
木暮 は、切先を生き残りの農兵に向けつつ、やはり笑っていた。
「初めて、人を斬った。無我夢中で、何も覚えていない」
無念 が、「そうか」と言って、命乞いをしている農兵の喉に切先を無造作に押し込んだ。
刃を向けてきたのだ。生かしておく必要はない。
「うぶ」
今まで笑っていた 木暮 が、急に噎せる。
よろよろと、田んぼに向って歩き、げえげえと吐きはじめた。
「最初は、そうなるわな」
高橋 が、手ぬぐいで血まみれの顔を拭きながら言う。
彼は、以前、人を斬った事があるらしい。
「久しぶりに、楽しかった。命のやり取りは、楽しいな」
そう言って、角ばった顔をほころばせる。
「ところで、御坊。わしらと一緒に江戸にいかないか?」
これが、江戸の凶賊『七死党』誕生の瞬間であった。
===補足===
「得度」という言葉について
仏教における「僧侶になるための儀式」のことらしいです。




