燕返し
曽呂利衆の新しい江戸の工作拠点である布田から、碁石金の報酬をもらった『五ツ』と霞の伝兵衛が音もなくどこかに消える。
報酬を貰ったからといって、使うわけではない。碁石金など、形状が特殊すぎて市井では使えないのだ。両替商で、銭や銀に替えなければならないのだが、碁石金を両替にきた人物は印象に残る可能性が高い。
江戸は、甲州忍が治安維持のために雇われていて、両替商や米問屋や廻船問屋などは監視対象になっている。なるべく接触を避ける方が危険は少ない。
従って、碁石金や小判などは、各人隠し場所があって、引退時の備蓄になる。
では、待機中の日常生活はどうするのかと言えば、敵地に有っては現地調達が曽呂利衆のやりかただった。女も金も食料も、全て。
夜魔の様に襲い、奪い、犯す。
殺しの禁忌が薄れ、襲撃の手並みが磨かれ、敵地の治安は悪化する。一石二鳥なのだ。曽呂利衆の裏を担う者どもは、そうやって戦国を生きて来た。
闇に紛れた魔物と化して、いずこかに消えた『五ツ』と霞の伝兵衛だが、『五ツ』のうちの一人 金丸 だけは、清麿 と 勢 が残る荒れ寺の近くに潜んでいた。
曽呂利衆の小頭の一人 泉 清麿 直属の下忍『五ツ』には、手裏剣使いの 風丸、爆薬使いの 火丸、毒使いの 水丸、陰形の名手 土丸 がおり、金丸 は刀術に長けていた。
富田流小太刀を使う 勢 が来るまでは、清麿の近辺を守る護衛の役割は、金丸のものだったのである。
もともと、泉家は、
「引け傷(抜刀する際に、刀身と鞘が擦れて出来る傷)をつけずに、そろりと抜刀する技術を持つ者」
……として、鞘師だった 曽呂利 新左衛門 の下請けとして働いていた一族で、あらゆる速度、あらゆる角度で抜刀することが出来る『鞘の試験官』だった。
転じて、その特殊な抜刀術をもって、諜報の血なまぐさい部分を支えて現在に至るのだが、様々な殺しの技術を持った忍を育成することもしていた。
破壊工作や暗殺の技術が重宝されるなか、金丸は刀術に傾倒してゆく。曽呂利流の抜刀術は勿論、剣術道場に入門するほどの入れ込みようだった。
古株の曽呂利衆の小頭たちは、そんな金丸に眉をひそめていたが、直属の上司である清麿は「そういう、剣術使いの忍がいても面白かろうよ」といって、金丸を自由にさせたのだった。
その結果、忍の様で違う、剣士の様で違う、奇妙な『金丸』という男が出来上がったのである。
そして、その卓抜した刀術で清麿を支え、親衛隊である『五ツ』に名を連ねるまでになったのだった。
金丸が潜む藪の間から、灯影に照らされた破れ障子が見えた。
長い髪の影法師は、おそらく 勢 のものだろう。
端座しているような影法師は、清麿のもの。江戸の絵地図を見ているはずだ。
その清麿の影にじゃれ付くように、勢の影が重なる。
金丸の拳が、白くなるほど握られていた。
「お勢……」
呟きが、金丸の口からもれた。
行き倒れ同然の 勢 を助けたのは、富田流道場に寄宿していた当時の金丸だったのである。しかし、勢 は金丸の事を全く覚えていない。
当時、金丸は富田流の高弟の一人である 鐘捲 自斎の食客であり、修練の際に仕太刀を務めていた。
「富田流のキモは入り身。仕太刀は、もっと長くせよ。もっと早く太刀を振れ」
それが自斎の要求で、手足が長く、巧みに三尺の大太刀を振るうことが出来る金丸が重宝されたのだ。
父親も母親も知らない金丸は、自斎に懐いた。父と慕っていた。
非情の忍でありながらも、そんな人間臭いところを残しているのが金丸という男であり、清麿はそういうところを気に入っていたのである。
自斎の要求に応えるべく、ひたすら金丸は三尺を越える大太刀を振るい続けた。
いつしか、それは必殺の一撃を生む程になった。
叩き下ろした一刀を、神速で切り返す技を身につけるに至る。
「もはや、一流を打ちたてても良いくらいだなぁ。まぁ、これだけ太刀が長いと、富田流とは言えんが」
そういって、自斎はカラカラと笑う。
編み出した術が認められるのが、これほど嬉しいとは、新鮮な驚きだった。
「だが、お前は、いつかここを離れどこかに行くのだろう? そういう『相』をしているよ。だから、手向けに、その技に名前を付けてやろう」
しばしの沈黙のあと、自斎はこういった。
『燕返し』
自斎の予言の通り、曽呂利衆からの帰還命令が届く。
金丸は、自分が助けた 勢 がどうなったかを知ることなく、越前にある道場を離れる。
再会したのは、数年後だった。
『行き倒れていたところを、曽呂利衆に助けられた』
という曖昧な情報だけを頼りに、上方に出て来たのである。
そして、清麿と出合い、今に至るのだが、金丸は自分が助けたとは言わなかった。
清麿は美男子だった。自分は、上下に間延びした馬面だ。気おくれがしていた。
加えて、勢 は清麿に依存している。清麿は、それを利用しているような気がする。
二人の様子を見ていると、心がざわつくのだ。
これが、嫉妬の感情であることに気が付いたのは、ごく最近。
未練たらしく、二人を窃視していることに、忸怩たる思いがある。
清麿は好きだ。いい上司だと、金丸は思っている。だが、これは別の問題だ。どうすればいいのかもわからない。
いっそ、剣のように、生きるか、死ぬかのような単純さならいいのに。
金丸の呟きは、夜空に消えてゆく。
「おじゃましますよ」
裏店通りの『宿星屋』に訪いがあった。
神社っぽい造りの店内には白檀の香が炊き込められ、神主っぽい装いで晴明が書見をしているところだった。
おずおずと『宿星屋』に入ってきたのは、妙に肩幅の広い男だった。
晴明は、素早く人相着衣を盗み見る。
顔は、どちらかというと野卑な顔。子供が出鱈目に一文字を書いたような眉。ぎょろりとした大きな目が、落ち着かなく店内を見回している。
着ているものは、なかなか上等で、いかにも商家の番頭という装いだった。
ただし、家紋や屋号を示すものは身に着けていない。
晴明は、心の中で舌舐めずりをしていた。
こういう奴は、『宿星屋』ではなく『粛清屋』の案件であることが多い。裏の稼業の方が、実入りはいいのだ。
彦造からの依頼を棚上げしたおかげで、大損したばかりである。儲け話は、大歓迎だ。
「星に運命は宿っております。占って進ぜましょう」
すっとぼけて、晴明が言う。
肩幅の広い番頭は、左右を落ち着きなく見て、空唾を飲んでいた。
「戸隠屋さんから、紹介を受けまして……」
番頭が、声を顰めて話し始める。
戸隠屋は、信州からの木材を扱う材木問屋で、工事中の江戸の町では、大きく儲けている商家の一つだった。
利権が大きいのと、火事や打ち壊しなどの荒事の復旧に関わる関係上、世の暗部に踏み込む事が多い商いでもあった。
従って、晴明などの胡散臭い連中の動静には詳しい。
「ほうほう、戸隠屋さんの」
ほころびそうになる顔を、必死で無表情に保ちつつ、晴明が言う。
「私ども、性質の悪い連中に強請を受けておりまして……」
決定的だった。これで『粛清屋』案件と決まった。
「当方は、厄除けも承っております。悪霊を退けるとなると、多少お値段が……」
上得意だった、駿河屋が消滅してしまった。
駿河屋の番頭だった彦造が江戸からふっつりと居なくなってしまい、今度は店自体が消えてしまったのだ。
だから、新規の顧客を掴む好機は逃したくない。
駿河屋ほどに、気前がいいと良いのだが。
番頭は、ペコペコと頭を下げつつ、『宿星屋』を出た。
人目を避けるように、暗がりを歩く。
歩きながら、猫背はピンと伸び、脅えた顔は不遜な顔に変ってゆく。
「ふっかけやがって」
毒づきながら、植え込みに手を突っ込む。
その中に隠してあったのは、刀だった。適当にポンポンと土を払って、それを肩に担ぐ。
重い刀を下げるのは苦手なのだ。
そう、商家の番頭は偽装。甲州忍の 蕪 九兵衛なのだった。
「ハズレだったら、叩き潰してやろうか」
晴明に、不逞浪人討伐を依頼した。料金は二十両だ。自分の金ではないが、それでも大金を払うのは、なんだかムカつく。
彼は、いくつかの目ぼしい『裏の口入屋』に商人を装って浪人討伐を依頼していた。
江戸の治安を守るという観点からすると、『裏の口入屋』も取り締まり対象なのだが、喫緊の問題は流入する浪人対策と、盗賊と化した風魔衆対策、そして意外と手強い事が分かった曽呂利衆対策なので、お目こぼしの状態だ。
曽呂利衆対策は、山田 月之介 を斬った何者かを当てる予定だ。
その謎の人物は、必ずどこかの口入屋に仕事を回してもらっているはずだと、九兵衛は踏んでいた。
だから、わざと商人を装って仕事を依頼し、手口を見るつもりなのだった。
江戸の治安は急激に悪化しつつある。
辻斬りや強盗の事案が増加しているのだが、甲州忍の監視網に下手人がひっかからないのだ。なぜか、浪人の流入も増えた。
何人か捕えて、責め問いしてみたところ、
『江戸に行けば、なんとかなる』
という風評がばらまかれているらしいことが分かった。
しかし、身ぎれいな浪人ならともかく、食い詰めた浪人に肉体労働以外に職は無い。
鋤鍬を持つ事を潔しとしない「切り取り強盗は武士の習」と嘯く連中が、騒擾を起すのだ。斬っても、斬ってもキリがない状態だった。
甲州忍にも人数に限りがある。
江戸唯一の駐留武装勢力である先手組は、江戸城を警備するのが役目。
『高い銭払っているのだから、お前らで何とかしろ』
という立場だった。
たまに、協力体制を敷くことはあるが、アテには出来ない。
そこで、口入屋の利用である。
経費はかかるが、浪人を討つことが出来、凄腕の剣士を捜索することも出来る、一石二鳥の策なのである。




