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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
勢源の章
29/97

蠢動

 深夜の江戸の町。

 寝静まったこの新興の町の夜は暗い。

 遊興の不夜城である吉原が出来るのは、まだまだ先の話。

 今は、各地から労働者が集まり、工事が各所で行われているような、荒くれた場所であった。

 その深夜の町を、一つの影が走っている。

 身長に対して妙に肩幅が広い男だ。

 甲州忍の かぶら 九兵衛くうべえである。

 武田家の残党である甲州忍は、現在は徳川に雇われ、江戸で騒擾を起そうとする敵対組織を排除するために傭兵まがいの事をしていた。

 関ヶ原の戦いのあと、巷には浪人があふれている。

 生まれてから今まで、殺すことしかしてこなかった男たち。天下分け目の戦いに負け、食い扶持を失って捨て鉢になった男たちでもある。

 まとまれば、北条家の残党である風魔衆などと同様、徳川に対する反抗勢力になりうる。

 寿命が尽きる前に、幕府を作り徳川の体制を整えたいと、現在の徳川の首領である家康はそう考えていた。

 戦乱を生き抜いた家康は、徳川が危うく傾く天秤の上で、微妙な均衡を保っているにすぎない事を理解していたのだ。

 今は、豊臣を潰すことで精いっぱい。

 浪人や風魔衆の残党に関わる余裕がないのだ。

 だから、風魔衆と同じく盗賊になり果てていた甲州忍を高額で雇ったのである。

 毒をもって毒を制するという考えだ。

 甲州忍は、反抗勢力の核になりそうな腕の立つ浪人を探しては殺している。

 時には、浪人を扇動し浪人同士で殺し合わせたりする。

 そういった工作が得意なのが、蕪 九兵衛 であった。

 その、甲州忍の警戒網に、豊臣の諜報機関『曽呂利衆』がひっかかった。上方が活動拠点の諜報機関で、ともすれば血なまぐさい風魔衆や甲州忍や伊賀衆や甲賀衆など違い、専ら情報収集に長けた組織だと聞いていた。

 もともと、甲州には上方を惰弱と考える傾向がある。

 九兵衛も例外ではなく、『曽呂利衆』をナメていた。

 だが、違った。九兵衛が想像していた『曽呂利衆』像と異なり、彼らは風魔衆にひけをとらないほど、果断で荒っぽい事もこなす奴らだった。

 こっちの太刀筋を変える奇妙な剣術。まるで稲妻のように深く素早い踏込の小太刀。運が味方しなければ、九兵衛が斬られていたところだったのだ。

「こいつは、策を練らないといけないなぁ。『曽呂利衆』か。なかなかだった」

 構想はあった。歯が立たない時は、他の奴をぶつければいい。自ら編み出した我流の剣を九兵衛は使うが、剣士ではない。彼我の技術を比べ研鑽するという思考はないのだ。

 あの、山田 月之介 という稀有の剣士を一刀で斬った者が、この江戸のどこかにいる。

 探し出して、『曽呂利衆』と噛み合わせればいい。

 腕の立つ浪人が死んでも、敵対組織の諜報員が死んでも、徳川にとっては益がある。

 山田 月之介と正体不明の町人が死んでいた場所を検分したのは、九兵衛だ。

 その時は、沸き上がった好奇心を無理やりねじ伏せたが、どうやら関わる運命だったようだ。

 九兵衛はそんなことを考えながら、夜魔の様に江戸の町を駆ける。

 無意識に気配を探る。どうやら尾行者はいないようだ。

 つまり『曽呂利衆』は事前の情報通り少人数ということ。

 誰かを逃がし、それを尾行して敵の本拠地を探るのは、忍の基本中の基本。

 それすら出来ない……又はする気がない……なら、少人数という情報の確度は高いということになる。

 出来れば、増強される前にカタをつけたいところだ。



「よくやった」

 布田にある荒寺で『曽呂利衆』の小頭、泉 清麿 が口を開く。

 選りすぐった精鋭『五ツ』と江戸の『曽呂利衆』唯一の生き残りである 霞の伝兵衛 に向っての労いの言葉だ。

 ほんの短時間で、留守居の護衛ごと駿河屋をすりつぶすことが出来た。江戸の『曽呂利衆』の本拠地である篠屋を焼き討ちした連中とは思えないほど、腑抜けた連中だったが、反撃したことに意味がある。

 江戸詰めの曽呂利衆の立て直しの第一歩としては良い滑り出しだと清麿は思っていた。

 あとは、暴れ回るだけ。

 江戸の町を焼け野原にし、建築半ばの江戸城を焼き打つ。徳川の本拠地を貶めることで、幕府成立を遅延させる。

 そうすれば、寿命が家康の命を奪ってくれるだろう。

 豊臣が残っていれば、五奉行・五大老の仕組みが残る。その仕組みが、平和な統一天下を実現してくれるはずだ。

 無念のうちに、罪人のように討たれた石田 三成 の理念がそれだった。

 徳川は、我欲のために、終わったはずの戦乱をもう一度起そうとしている。そこに、崇高な理念はない。すでに、五大老筆頭として権力の座にあるのだから。

 徳川にあるのは、完全に自分の手中に天下を収めたいという妄執。

 義によって立つ我らに、運命は必ず微笑んでくれるはずだ。

 清麿の親衛隊ともいうべき『五ツ』と、途中参加の霞の伝兵衛には、小さな皮袋に入れた碁石金を渡した。今回の襲撃の報酬だ。

「さっそく、次の策を練る。それまで、待機とする。諸君らは、その待機の間は自由に江戸の住民を殺し、犯し、奪い、燃やせ。義は我らにあり。ためらうな」

 暗がりに沈みこむように、『五ツ』と 霞の伝兵衛 が消える。

 事を起すまで、分散するのが、『曽呂利衆』の流儀だ。

 床に広げた絵図面を、清麿は見た。江戸の町は縦横に水路が走る都市計画。

 現在は土留めを行いつつ、掘り進める工事が行われている。

 これからは、それらが崩壊する事故が多発するだろう。

 そして、乾いた寒風が冬の江戸の町には吹く。

 これからは、火災が多発するだろう。

 押し込み強盗や辻斬りも多発するはずだ。幕府の都としてふさわしいか、疑問が呈されるまで、破壊工作を続け治安を悪化させることが肝要だ。

 不逞浪人を送り込むのもいいだろう。甲州の下品な猿どもが、必死に流入を防いでいるようだが、それを上回る人数を送り込めばいい。『江戸に行けば、飢えることは無い』 そういう噂を、流してやればいいのだ。

「切り取り強盗武士の習い」

 などと嘯いている連中だ。窮した連中を江戸に導けば、自然と治安は悪化する。


 上方では、徳川への征夷大将軍宣下に向けて、熾烈な朝廷工作がなされているはず。秀吉が死んで腑抜けたとはいえ、京は『曽呂利衆』の首領である曽呂利 新左衛門 の本拠地。

江戸を揺さぶり続ければ、必ずこれを利用してくるはずなのだ。打ち合わせはしていないが、それ位の気概は新左衛門に残っていると信じたい。


「今日は、声が聞こえないよ。いっぱい殺したからね」


 絵図面を睨む清麿の背後から、お勢が猫の様に忍び寄りながら言う。

 清麿の肩に顎を乗せ、頬をすりよせてくる。


 ――― 血の臭いが消えない


 そう言って、水でふやけ、皮膚が裂けても手を洗うのをやめないお勢のために、桂皮と丁子と安息香を使って『香り袋』を作ってやった。

 彼女は、それを宝物のように肌身離さず持っている。だいぶ香りが薄らいでしまったが、今でもそれが微かに香った。

「また、『香り袋』を作ってやろう。江戸城を焼いたら、京でお香の店を、お勢と回ろうな」

 家康が欲を出さなければ、こうした安寧な日が、とっくに来ているはずだった。くそ狸め。呪われろ。



 冬用の寝具、股引、厚手の足袋、襦袢、裏地のついたあわせなどを、古着屋で購入し、古道具屋で火鉢を手に入れた。

 やっと、草深 甚吾 の冬支度が整ったことになる。

 冬の海っぺりは寒いので、綿入りの半纏も欲しかったのだが、体を動かしていればなんとかなると考えて、やめた。

 刀の手入れをする。

 甚吾の愛刀は、もとは廻国修行の剣客のものだった。

 流派は知らない。いきなり襲われたのだ。

 化生のモノを斬るために、諸国を回っていると、そいつは言っていた。

 そいつの眼から見ると、甚吾は『化生のモノ』ということらしかった。古流らしい、荒々しい太刀筋の男だった。

 あとで気が付いたのだが、念流に似ていたように思う。

 刃筋もなにもなく、叩き付ける様な剣だった。

 勢いに押されて、思わずまともに刀を受けていた。当時、使っていた刀はその時折れたのだった。

 刀は角度と力の加わり方によっては折れる。それを思い知らされた瞬間であった。

 折れた刀で相手の首を裂き、勝を拾ったが、教訓になった一戦だ。

 それ以来、この刀を使っている。

 なかごは、やすり目ばかりで銘はない。実用一点の代物だが、斬味はよく丈夫な刀だった。

 斬れればなんでもいいと、甚吾は思っているので、愛用していた。


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