篠屋炎上
月之介は、淡輪水軍の残党の海賊衆と小屋を出た。
小屋には火がかけられ、この闘争が終わる頃には跡形もないだろう。
しばらく江戸には帰ってこない。
拠点は再び江戸にもどってきた時に、改めて構築すればいい。
月之介の身支度というほどの事はない。
汗止めの鉢巻をする。
襷掛けして袖をまくる。
袴を『伊賀袴』に着替える。
雪駄を、革を編みこんだ草履に履き替える。
これだけだ。
防具はつけない。月之介が練り上げた疋田陰流は甲冑を着用しての戦闘を想定していない。立ち会いに特化した剣術なのだ。
草深 甚四郎 を斬る。そのために研いだ牙。今は、甚吾を斬るため。
鬨の声が上がる。
篠屋がある方角で、ぼうと空が明るくなった。
火矢が射かけられたか、篠屋から火の手が上がっていた。
海賊衆は無言で走る。
彼らは、奇襲部隊だ。
襲撃の直前まで気配を殺すのは、鉄則。
篠屋の裏手に回る。
壁に大柄な海賊衆が背を付け、両手で鐙を作る。
月之介は、走ってその鐙に足をかける。
そのまま、投げ上げられた。
一間半はある(およそ三メートル弱)壁を易々と飛越する。
月之介は、着地と同時に抜刀した。
闇の中で、玲瓏とした月光に刀身が光る。
風が鳴った。
闇の中で矢が走る。
月之介に続いて地面に着地した海賊衆に、ドンと突き立つ。
押し殺した苦鳴。
血の匂い。
月之介は走った。
前へ。身を低く。獣のように。
弦が弾ける音。
薙ぎ払う。
矢は折れて、虚空に消えた。
飛び込む。二本目の矢で、狙撃者の位置は分かっていた。
飛び込みながら刺した。
ずぶりと肉に切先が潜り込む感触。
悲鳴は上がらなかった。こいつは、訓練された戦闘員だ。
おそらく『曽呂利衆』。
刀身を抉りながら抜く。ビクン、ビクンと二度痙攣して、そいつは死体になった。
そして、その死体を突き飛ばす。
右斜め前に。
そこには、脇差ほどの短い刀を持った男がいた。
そいつは、ぶつかってきた死体を避けて右に跳んだ。
先読みした月之介が、上段から片手斬りで叩き降ろす。
男は咄嗟に刀の鍔元で、その一撃を受けた。
月之介は、刀の峰に左手を添えて、刀身をおっ被せる。
ぞぶりと、男の喉に月之介の刀の切先が潜り込んだ。
鍔競り合いからの変化技『小詰め』という技だった。
そのまま突きこむ。切先が『盆の窪』にまで抜けた。
刀で串刺しにしたまま、月之介はくるりと横を向いた。
タンタンと二本、喉を貫かれた男の背に、矢が突き立つ。
糸の様に細い殺気が流れてきて、絡みつくような感覚があった。
その方向に、男を盾にして向けたのである。
続々と、海賊衆は壁を飛越してくる。
犠牲は、最初の一人だけ。
月之介が突進したおかげで、曽呂利衆は迎撃の機を失ってしまっていた。
十字槍の穂先をそろえて、海賊衆が突っ込む。
曽呂利衆の一人が、槍襖に突き上げられて、ボロ屑のように跳ね飛ばされた。
闇の中の闘争。敵味方ともに無言だった。
だが、月之介には見えた。
肌に殺気が触れてくる。
跳ぶ。前へ、更に前へ。
突出する。特に打ち合わせはしていないが、月之介の役目はかき回す事。
前に出て、食い破る。
叩き斬る。
薙ぎ払う。
敵の陣形に、穴を穿つ。
敵の精神に、穴を穿つ。
海賊衆は、そこになだれ込み、砕く。
自然とそういう戦の流れになっていた。
突出すれば、囲まれる。
普通、囲まれれば討たれるのだが、月之介はそうならない。
何人に囲まれても、空間には限界がある。
一斉に跳びかかることが出来るのは、せいぜい三人から四人。
その三人から四人にしても、まったく同時に動けるというわけではない。
僅かな時間の差異がある。
それに、優先順位をつける。
だらりと刀を下げた『無形の位』から、切先が届く順番に、迎撃するのだ。
これぞ、疋田陰流の『八重垣』。
別名、『多敵の位』と呼ばれるものだった。
気が付けば、倒れているのは曽呂利衆ばかり。
それを、淡輪海賊衆が、十字槍で止めを刺して回っている状況だった。
絵図面に従って、奥に進んでゆく。槍から刀に持ち替えた水夫頭と三人の海賊衆が続いていた。屋内戦で槍は取扱いにくい。だから、刀なのだった。
残りは、金蔵に向かっていた。全財産を頂く。どうせ、豊臣から出た軍資金だ。全部奪ってしまえばいい。それが彦造の指示だった。
襖をあける。
そこは、篠屋の主人、篠原 三太夫 の部屋だった。
白粉を塗りたくりすぎて、まるで蛾の様に鱗粉が舞う、下品な女が、こいつの女房だ。
こいつが、単なる傀儡であることは知っている。
勘当された、商家三男坊が、この三太夫である。
不恰好に鼻がでかく、地黒の薄汚い肌、軽薄そうな薄い唇。奥目になった細くて小さい目は、小狡い猿を思わせる。見ていると理由もなくぶん殴りたくなる顔だ。
篠屋が城ならば、お飾りとはいえコイツは城主。
落城したなら、死ななければならない。
「わ、わたしは、香取神道流の免許皆伝だぞ。怪我をしたくなければ去ね」
業物らしい一刀を抜く。
その切っ先を、月之介に向けていたが、無様にもその切先は細かく震えていた。
月之介は無形の位のまま、殺気を放つ。
篠屋の主人、篠原 三太夫 は、魂消るような奇声を上げて、月之介に斬りかかってきた。殺気に押されたのだ。
どたどたと足を踏み鳴らす、無様な踏込。
香取神道流は嘘だろう。剣術の「け」の字もない動きだった。
月之介は刀を突きだした。
篠原 三太夫 は、勝手にそこに体を押し付けてきた。
全く、目の前の物が見えていないのだ。
切先が、篠原の腹にもぐり込んでゆく。
同時に、篠原が振り上げた刀の柄をつかんだ。
「貴様には、もったいない刀だ。もらってゆくぞ」
篠原から刀をもぎ取る。
今、使っているのは、無銘の相州ものの刀だった。
無骨で丈夫で、斬れ味も良かったが、今回の戦闘で腰も伸び、大きな刃こぼれもした。交換の時が来ていたのだった。
篠原が持っていたのは、どうも濃州、関ものらしい。
重ねが厚く、反りが浅いのが、月之介の好みに合った。長さもちょうどいい。
「ふむ」
軽く振る。
手にしっくりきた。
「では、試し斬り」
ズンと腰を落して、叩き下ろす。
「え?」
白粉で蛾のような、篠原の女房の頭蓋を一刀両断する。
固い頭蓋骨をものともしない切れ味だった。
「これはいい。もらっていいか?」
篠原に留めの一突きを入れている、水夫頭に聞く。
証拠を残したくない彼は渋い顔をしたが、折れた。彦造は月之介を気にっている。もしも、彼がここにいたら、持って行っていいと言うだろうなと思ったのだ。
篠原の墓標のように突き立っているボロボロの刀に、月之介が片手拝みをする。
「長い間、ご苦労さんだったね」
闘争の音は、次第に小さくなっていた。
正面で激突した浪人衆は、ほぼ相討ちで勝敗を決した。
白々しく、今になって到着した先手組が残りの浪人を斬って回っている。
海賊衆は、千両箱を荷車に積み終え、撤収の準備を終えた。
退け時だった。
「総員、撤収」
水夫頭が号令をかけた。
それが合図になって、死屍累々の篠屋に火がかけられた。




