彦造の策
襲撃は翌日の深夜に決まった。
いかにも急な話だが、思ったより早く篠屋の内部の絵図面が手に入ったらしい。
計画は、彦造が組んだ。
彼は、もともとが海賊である。
こうした『夜襲』や『焼き討ち』はお手の物であった。
計画は単純に組む。緻密に組みすぎた作戦は、柔軟性に欠ける。それを経験上知っていた。
陽動部隊を正面からぶつけ、その混乱に乗じて別働隊を内部に侵入させるというのが、作戦の骨子だ。
篠屋が使っていた『裏の口入れ屋』を、箱詰めにして店先に置いた。
当然、篠屋は襲撃に備えている。
陽動部隊の生還は難しいだろう。だから、いつかこんな日が来ると踏んで、彦造は浪人を飼っていた。
生まれてから今まで、戦しか知らない男たち。
天下分け目の決戦と言われた、関ケ原の戦い以降、こうした男たちが大量に世間に出回った。
彼らのうち、幸運な少数は、新しく仕官した。
抜け目ない少数は、職業を変えた。
どうしていいか分からない大多数の愚者は、巷間にあって朽ち果てて行くのを待っている。
そして、戦にだけ打ちこんできた、大くの不器用者は、死に場所をを求めるだけの亡者になってしまった。
彦造は、どうせ死ぬならひと暴れして死にたいと願う、そんな捨て鉢な浪人を集めていたのだった。
その数二十人。
死に支度のための屋敷も用意した。
酒はたっぷり支給している。
食料は好きなだけ好きなものを用意した。
極端な女日照りの江戸では貴重な、商売女もあてがった。
そうやって、彼らの忠誠心を買い、彦造のために死ねと洗脳してきたのである。
浪人は、もともと武士。
武士は忠誠と死を対価に禄を食む習性だ。洗脳は、容易だった。
篠屋内部の絵図面が簡単に手に入ったのは、『箱詰めの死体』という無言の伝言を受けて、篠屋が護衛の浪人を増強したから。
主だった『口入れ屋』全てに、食い詰め浪人に偽装した密偵を、彦造は登録させていたのである。
そのうちの一人が、まんまと篠屋に入り込むことに成功したのだ。
篠屋はただの商家ではない。
豊臣の息がかかった、諜報組織『曽呂利衆』の出先機関だ。
本来は、採用に当たっての身元調査は厳しい。
だが、『箱詰めの死体』というあからさまな恫喝に慌てたのだ。
彦造の過度な残虐さは、こうした効果を狙っての事だったのだが、想像以上に上手くいった。
篠屋からの救援要請を受けて、『曽呂利衆』の増援が江戸に向かっているだろう。
しかし、彼らの本拠地は上方だ。増援到着まで多少の時間はある。
彦造としては、数々の闘争を生き残った古参の諜報機関からの増援が来る前に、ケリをつけたいところだったのだ。
急襲は、時間との勝負という側面があった。
彦造が抱えている浪人衆が、真っ向から襲撃をかける。
捨て鉢で獰猛な者たちだ。闘争の中で死にたいと願い、その闘争の場を与えられた。最期の一兵まで暴れまわるだろう。
そのために、今日まで飼ってきたのだ。
浪人衆の陽動を受けて、裏口から彦造と直属の部下が侵入する。
彼らは彦造の郎党『淡輪水軍』の残党だ。
月之介は、この組に同行する。
彼らは、篠屋の従業員すべてを殺害し、焼き払う役目。
おそらく、従業員は『曽呂利衆』の工作員だろう。皆殺しにする。
大きな騒ぎになる。
通常だと、江戸の留守居役が鎮圧のための兵を出す。
しかし、今回に限ってはその心配はない。
それどころか、篠屋に通じる主要な道路は、留守居役の戦闘部隊である『先手組』が、逃亡するかもしれない『曽呂利衆』を捉えるべく、展開する手はずになっているのだ。
駿河屋は、徳川の政商。
つまり、非公式な諜報機関だ。
『豊臣の諜報組織の出先機関を討つ』
『江戸の不穏分子である浪人同士を戦わせて、その数を減らす』
『駿河屋の私兵を使うので、徳川の懐は痛まない』
こうした利点があるので、駿河屋の行動を黙認するという密約が出来ているのだった。
猫足の三郎の住んでいる長屋は、建具の職人が集まる長屋の中にあった。
襖や障子や畳などの需要が多く、全国から職人が集まってきているのである。
猫足の三郎は畳職人に偽装していた。
今は、肝心な腕を負傷しているということで、一時休業ということにしている。
い草の香りがする長屋の井戸端で、塩を指に塗って歯を磨き、口を漱いで朝早くから職場に向かってゆく。
猫足の三郎は、包帯で腕を吊って、片手で器用に根菜を刻んでいるところだった。
飯は焚いてある。
あとは味噌汁をつくるだけだった。
「三郎さん、いるかい?」
長屋の外から声がかかる。
三郎は吊った腕の中に、畳針を握りこみ、細目に引き戸を開けた。
外には、朝日を浴びて 月之介 が立っていた。




