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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
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渡りに船

 篠屋を襲う。

 わざわざ、箱詰めにした『裏の口入れ屋』の死体を送りつけ、まもなく襲うということを無言で宣言したあとにである。

 当然、相手は警戒するするだろう。

 あえて、そこを踏み破る。どちらが、力が上なのか見せつけるために。

 それが、彦造のやりかただった。

 だが、彦造は馬鹿ではない。勝てるという計算があってのことだ。

 そして、その計算には 山田 月之介 という存在が欠かせない。それほど、月之介に寄せる彦造の信頼が厚いということなのだろう。

「駿河屋の主要機関は、既に江戸から避難をはじめています。相手が『曽呂利衆』なら、今回の襲撃が成功しても、必ず報復してきます。その時は、我々はもぬけの殻という算段で」

 相変らず、水でも飲むかのように酒を流し込みながら、彦造が言う。

「それじゃあ、彦さんも江戸を離れるのかい?」

 江戸を起点とした、密貿易船が佃島で出港を待っている。

 それに乗ることになっていた。

 どうせ、しばらく帰ってこれない。

 その間に江戸の駿河屋は襲撃され消されてしまうだろうが、密貿易船が駿府に到着すれば、駿河屋は再建できる。

 再建したら、また戦いを続ければいい。

 彦造は、もとは海賊だ。

 本拠地にこだわった戦はしない。生きていて、軍資金があれば、どこでも戦える。そういった思考を持っている。

「一年、いや二年、各地を船で回ります。シナやシャムまで、足を伸ばしますよ」

 海で生きてきた。海こそが、彦造の天地だったのだ。

 しかし、娘が権力者に見初められた。

 戦の世は終わる。そう思っていた彦造は、その時海を離れてしまったのだ。

 その結果、全てを失ってしまう。

 海から離れるべきではなかった。そのことが、ずっと彦造の胸にくすぶっている。

 彦造は目の前の若者を見る。

 飄々とした男だった。

 そして、柿でも捥ぐように人を斬る。

 そんなところが、泣く子が引きつけを起こす自分の容姿とはまったく正反対ではあるが、海を自在に駆けていた頃の自分を思い出させるのだ。

 この男を江戸に残せば、おそらく、死ぬ。

 秀吉を権力の座に押し上げる原動力となった『曽呂利衆』は、甘くない。


「お耳の匂いを嗅がせていただきます」


 などと、関白にまで駆け上がった男の耳元に、直接報告を上げていた『曽呂利衆』の頭目、曽呂利新左衛門の恐ろしさは、その執念深さにある。

 庇護者である秀吉の死で、だいぶ影響力は落ちたとはいえ、まだ大きな伝手はもっているだろう。

 月之介が卓抜した剣士だ。だが、いつか殺される。

 天井から絹糸が降りてきて、毒液が口に流し込まれることだってあるのだ。

 彼らに狙われたら、おちおち夜も眠れない。

 そう、海上にでも逃げない限り。


 『惜しい』


 心からそう思う。

 死なせるには、月之介はいかにも惜しい。


「月之介さん。船に、乗りませんかね?」

 唐突な申し出に、月之介が目を丸くした。

 この男が、こんなに表情を変えるのは珍しいことだった。

「船酔いはしない性質だが、なんだい? いきなり」

 死ぬかもしれないからとは、言わなかった。

 嬉々として危険に踏み込もうとする癖が、月之介にはある。

 まるで、自分の運命を試すかのように。

「荒れる海で、藻屑と消えちまうかもしれねぇ。倭寇になりすました朝鮮人に殺されるかもしれねぇ。この国の沿岸にも、海賊はいる。安全な航海ってわけじゃあないんですが、だからこそ、月之介さんに護衛を頼みてぇ」

 ダメ元の提案だったが、月之介は、膳を脇にどけて身を乗り出してきた。

「海に? シナやシャムまでも?」

 予想外の反応に、彦造は面喰いながら頷いた。

「いいね! すごくいい! この国を離れるか! 考えてなかったなぁ」

 草深 甚四郎 に刻まれた呪縛を断つ。

 その決心をしたところだった。

 そのあと、どうするのか? そこにまで、思いは馳せていない。

 だから、彦造からの誘いは実に時機を得たものだった。

「どうしても片付けなければならない事柄があってね。それを、片付けた後に何をしようか途方に暮れていたところだったのだよ。渡りに船だね。あ、そうそう、友人が一人いるんだけど、そいつも誘っていいかい?」

 

 

 

 

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