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剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
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天命

 数日後、山田 月之介 は、再び日本橋の料亭に呼び出された。

 また、駿河屋の彦造からだった。

 極端な女日照りの江戸の町において、女を呼べる数少ない例外の店である。

 それが目的で通う者もいる。

 敷地は広く、迷路のようになっているのは、男女の秘め事のため。

 秘匿性が高い造りになっているのである。

 つまり、密談にも向いているという事になる。

 徳川の政商『駿河屋』の裏の部分を束ねる彦造には、こうした密談場所が必要なのだろう。

 山田 月之介 にとっては、一膳飯屋だろうが料亭だろうが関係ない。

 道端で話してもいいのだ。

「また、ご足労頂きまして、すいませんね、月之介さん」

 へりくだる彦造を、眼だけで笑って応え、きれいに面取りされたヤマイモを蒸かしてトロみのついた餡をかけた料理を、箸で刺して一口で食べる。

 無作法この上ないが、月之介ほどの美男がやると伊達に見えた。世の中は、不公平に満ちているものだ。

「彦さんは、大げさだなぁ。まぁ、旨いものが食べられるのだから、私としては歓迎だけどね」

 などと、嘯いている。

 彦造は、手酌で酒を飲む。

 虫けらのように、一族の者が殺されるのを見た時から、何杯飲んでも酒には酔えなくなってしまっていた。

 腹の底に、溶岩のような怒りが溜まっていて、酒はそれに触れるとあっという間に気化してしまうかのようだった。


 娘は公衆の面前で全裸にひん剥かれて、棍棒で撲殺された。


 まだ頑是ない幼子だった孫は、投げ上げられて槍で突き殺された。


 その光景が、彦造の脳裏から消えない。消えてくれない。

 多分、死ぬまで消えないのだろう。だから、怒りを抱えて生きている。

 今は、豊臣の息がかかった奴らを、丹念に潰してゆくことに暗い喜びを見出していた。

 そのためには、銭が必要だった。

 手取り早く稼ぐのは、密貿易に限る。

 その邪魔をする奴は、殺す。必ず、殺す。そう決めていた。

「うちらに、仕掛けてきやがったのは、篠屋でした」

 月之介が職人の手並みで、効率よく裏の口入れ屋を壊した。

 その口入れ屋が全て吐いたのだ。

 そこで浮かび上がってきたのが、この篠屋。

 もともと篠屋は、京都に本店がある後藤屋の息がかかった店。

 そして、後藤屋は彦造の仇である 豊臣 秀吉 の私的諮問機関ともいえる『曽呂利衆』の出先機関と噂される商家。

 駿河屋が徳川家の政商ならば、篠屋、後藤屋は豊臣家の政商。

 互いに喰らい合い、殺し合う運命だ。

「猿関白野郎の直属諜報機関だった『曽呂利衆』と繋がってる店です。おそらく、豊臣陣営が江戸を探るための足がかりになってますぜ。腕利きも集めてるはずだ。だから、月之介さんに助けてもらいてぇ」

 政治的な背景など、全く興味無さそうに聞いていた月之介だが、返事は二つ返事だった。

「いいよ、引き受けた。とにかく、私はいっぱい人を斬らないといけないのだからね」


 『斬り覚えろ』


 それが、月之介の教わった事柄だった。

 剣を自分のモノにしたければ、人を斬れ。

 そう強要されたのだった。

 出来ないと泣き言をいえば、殺される。

 月之介は道具だった、人を斬る道具にすぎなかった。

 人を殺めるたびに、げぇげぇ吐いていた月之介も、いつしか何か大事な物がすっぽり抜け落ちて、誰を斬っても気にならなくなってしまっていた。


 自分は、化け物になってしまった。

 月之介を化け物にしたのは、彼の剣の師匠。

 その人こそ、草深 甚四郎 だった。


 自分が編み出した剣は、新陰流に勝る。


 それを証明するため、月之介は疋田陰流を叩き込まれた。

 いっぱしの使い手に成長すれば、師匠と立ち会うことになる。

 草深 甚四郎 は天才だった。だが、天才でも老いと病には勝てなかったらしい。

 疋田陰流の研鑽を続けていた月之介は、生きる目的を失ってしまった。

 草深 甚四郎 と立ち会い、殺すか、殺されるかするのが、存在理由だったのだ。

 それが、いきなりなくなってしまった。

 疋田陰流ばかりではなく、他にも他流を叩き込まれた者がいる。

 彼らは、バラバラに散って行った。

 そして、巷間に紛れた。

 誰一人として、『深甚流』を名乗らない。

 それもそのはず、その身に刻んでいるのは他流なのだから。


 草深 甚吾 だけは違う。

 草深姓を名乗り、人目につくところで『深甚流』の看板を掲げた。

 まるで、誘蛾灯だ。

 事実、月之介は目を離せなくなってしまっている。

 『深甚流』を斬る。そのためだけに育てられた。それは、まるで、精神の深いところに刻印された呪縛のようなもの。

 しかし、甚四郎は死んでしまった。『深甚流』の道統は途絶えてしまった。

 だから、甚吾は、飢えた獣の前に投げ出された湯気の立つ新鮮な肉塊に等しい。

 あからさまな罠に見えても、喰らいつくしか選択肢がないのである。


「私の剣は鈍っていないか?」


 甚四郎に対する恐怖感がよみがえる。

 甚吾の実力の程度はわからない。

 手練れなのはわかる。では、甚四郎とくらべてどうか? となると未知数だ。


 手に斬る感覚をもっと味合せないと、甚吾とは立ち会えない。

 心のどこかに不安を抱えたまま、闘争の場に立ちたくないのだ。

 そこで、彦造の提案だ。

 斬る。ひたすら斬る。

 そういった場を、運よく与えられたのだ。

 これは天命。乗るしかない。


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