表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
剣鬼 巷間にあり  作者: 鷹樹烏介
浮月の章
13/97

浅草寺裏手の小屋

 月之介が、腰を落とす。

 左手は、落とし差にした刀の鍔元を掴んでいた。

 鯉口はまだ、切っていない。

「追い払ってみますけど、相手が馬鹿だったら、荒事になりますよ」

 何者かが、物陰からこっちを伺っているということか。

 彦造は、その気配に全く気が付かなかったのだが、月之介がそう言うのなら、誰かいるのだろう。

 懐に手を入れ、革の包みを解く。

 中には六本の太い針が並んでいた。そのうちの一本を右手で隠し持ち、提灯を持つ左手に革の包みを握りこんだ。

 提灯は、なるべく体から離して持つ。

 灯を目印に矢を射かけられることがあるのだ。


 彦造の支度と心構えが出来たのを見計らって、月之介が鯉口を切る。

 月之介を中心に、すぅっと気温が下がったかのようだった。

 恐れを知らない淡輪水軍の男、彦造の背中に悪寒が走った。何度も死線を潜った者だけが身に着ける『死の予感』というやつだ。

 月之介がゆっくりと刀を抜く。

 銀色の月に、研ぎ澄まされた刀身が冴える。

 だらりと右手に刀を下げた姿。これぞ、疋田陰流『無形の位』。

 キンキンと音を立てて空気が凍っていくようだった。

 豪胆を持って知られる彦造が、無様に歯を鳴らすほど。 

 月之介は、不意に納刀した。

 息苦しいほどの圧力は、その瞬間に霧散していた。

「馬鹿じゃあなかったようだね。逃げたよ」

 あれだけの殺気を浴びれば、逃げるだろうよ。そう思いながら、彦造は震える手で、額の汗をぬぐっていた。


 月之介と彦造が着いたのは、浅草寺の裏手にある朽ちかけた小屋だった。

 外に見張りが二人。

 小屋の中にも二人の男がいた。

 揃って陽に焼けている。

 長年陽光に晒された焼けかた。彼らは彦造と同じ淡輪水軍の残党だった。

 豊臣憎しで集まり、徳川の御用商人駿河屋に組している、いわば、駿河屋の裏側専門の部隊の中心が彼らであった。

「お頭、まだ吐きやがりません」

 盥の水で、血まみれの手を洗っていた男が、彦造に言う。

 相手は裏稼業の口入れ屋だ。多少の拷問では口を割るまい。

「丁度聞きたい事がある。私にやらせてくれまいか? なに、殺さないよ」

 拷問を担当していたらしい男は、困った顔をした。

 自分たちの首領である彦造が、月之介を気に入っているのを知っているので、無碍にも断れないのだ。

 彦造がうなづく。

 月之介にやらせてみるのも面白い。そう思ったのだった。

 男が月之介に道を譲った。

 拷問用に作られた部屋は、引き戸の向こうにある階段を降りた、地下にあった。


 濃厚な血の匂い。

 べったりと、恐怖と苦痛が張り付いたような部屋。

 柱に男が一人、縛りつけられていた。

 髷はざんばらに解けて乱れ、片目は腫れ上がって殆どつぶれていた。

 鼻は曲がっていて、血が鼻孔からダラダラと流れている。

 唇は割れ、歯が何本か抜け落ちていた。

 さんざん殴られたのだろう。

 それでも、男の眼には怒りがあり、心が折れていないのが月之介には判った。

「やあ、私は 山田 月之介 という。君は、人脈が広いんだってね。小名木川沿いの集落で、剣術道場を開いている 草深 甚吾 っいう剣術使いを知ってるかい?」

 男の割れた唇が笑みの形に歪む。

 どろりとした血と涎の混合物が、彼の顎から地面に滴る。

「何も、しゃべらないよ。何もね」

 月之介は、この部屋にあった手ぬぐいを右手に巻きつける作業をしながら、

「だろうね。しゃべったら、殺されてしまうものね」

 と、答えた。ヒラリと笑いながら。拷問されていた口入れ屋が、一瞬見惚れてしまうほど、爽やかな笑顔だった。

「だから、壊すよ。どうでもいい……そう、思うまでね」

 月之介が殴る。手ぬぐいを巻いた手で。

 まるで、子供を叱る時の様に軽く小突く程度に。

「なんだそりゃ、痛くもかゆくもないぜ」

 口入れ屋がせせら笑う。

 それに構わず、月之介は再び殴った。

 無言のまま。

 同じ間隔で。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 小突かれる度、男の頭は揺れた。

 月之介は、殴りながら男の腫れ上がった眼を覗き込んでいた。

 眼の奥にある、光を見ていたのである。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 繰り返す。

 何度も何度も何度も何度も何度も何度も。

 何も問わない。

 無表情のまま殴り続ける。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


 痣一つできないような、殴り方だ。

 だが、打たれた衝撃は蓄積してゆく。

 脳は揺すられ続けているのだ。

 男の顔から血の気が引いた。


 コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン・コツン……


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ