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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
エピローグ

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エピローグ1

 港の近くの裏路地を駆ける。空は高く太陽が昇り、影は一層色を濃くする。蒸気の通る太いパイプが建物と建物の間に伸びていて、表通りのほうからは人の賑わう様子が伝わってくる――要するに、見慣れた光景が広がっている。


「ミリィ、もういい加減にしろよ、逃げ足ばっかり早くなりやがってこいつ! 可愛い顔したって容赦しないぞ!」


 みゃあお、と灰色の猫が呑気に鳴く。アウルが腕の翼を広げながら狭い路地に追いこんでようやく捕まってくれたこの猫は、最近逃げの手口が巧妙になってきている。これでは肉体的な老いが始まっているオルタンス夫人では追いかけるのも一苦労というものだろう――アウルでさえ苦労しているくらいなのだから。しかもこの猫ときたら、この追いかけっこを楽しみにしている節がある。


「息抜きしたいのはわかるけど、外は危ないからほどほどにしろよな」


 果たして猫がそんな忠告をまともに聞いているかどうかはわからないが、再びにゃあんと返事をしたので、とりあえずよしとする。落とさないようしっかりと抱きなおすと、もう逃げることに飽きたのか、ミリィは大人しく腕の中に収まった。


「……ミリィが警戒しないのは僕だからだよな? 誰にでも警戒心ゆるゆるだったら駄目なんだぞ、わかってるか?」


 遊ぶだけ遊んだら満足してくれるのはミリィの良いところだが、いわゆる希少な長毛の種類であるこの猫に価値を見出す者が現れないとは限らない。そういったときに猫が盗まれるなどという事態にならないか不安に思うアウルであったが、ミリィはやはり呑気な鳴き声を一つくれるだけであった。気ままな猫に将来のことを考えろというのは無理な話である。


 何だかんだ言っても、猫探しの仕事はすっかり慣れたもので、飼い主であるオルタンス夫人もまたいつもと同じようにフェアファクス探偵事務所の口座に謝礼を振りこむ約束をしてくれた。ついでにアウルに焼きたてのミンスパイを土産に持たせてくれるのだった。


「いつもありがとうねえ、おかげで助かってるのよ」


 ホホホと笑ってみせる彼女はいかにも貴婦人らしい上品さというのを持っているが、それに嫌味がないのが良いところだった。どうにもオルタンス夫人はアウルを孫を可愛がるような気持ちで見ているようだ。そういうのは嫌いではないけれど、くすぐったい気分もする。アウルは過激にならない程度であれば拒む必要もないと学習しており、丁寧に礼を告げて探偵事務所へ帰る。


「ただいま戻りました」

「お帰りアウル」


 事務所に戻れば魔術師として薬を作っているアーロンと、その手伝いをしていたナイトオウルが出迎えてくれた。猫を捕まえてくるくらいのことなら、ナイトオウルは事務所に残りアウルの代わりにアーロンの助手をしているのだ。そして今日は探偵業の依頼よりも、魔術薬の依頼のほうが随分と沢山きているらしい――アウルも何か手伝えることはないかと声をかける。


 いつもどおり。全くもって何でもないことだ。ナルシスイセンがいなくなったからといって犯罪が全てなくなるわけではないけれど、それでも予告状のカードは届かない。新聞の一面を飾るような大事件が連日起こるなんてことはないのだ。


 紛れもない、望んでいたとおりの日常だ。




◆◆◆




 ナルシスイセンという稀代の宝石泥棒が滅んでから、一か月ほどが経過している。最初はナルシスイセンが破壊されたことは新聞でも取り上げられ、街中の話題に上がったものだったが、そろそろ噂話も落ち着き始めている頃だ。


 わざわざ予告状を出したり目立つ演出をしたりと、ナルシスイセンは派手なことをする人形であったので、ある種センセーショナルな存在であった。けれどいなくなってしまえば、そのように話題として取り上げられることはない。軍や警察が崩壊したアジトの後始末に奔走していることも陽の目を見ない話だ。それよりも今は、政治や蒸気機関の新技術のほうが皆気になっているようで、恐らくナルシスイセンのことはそう遠くないうちに忘れられるのだろう。少しずつ記憶から消えていき、いつか誰も覚えていない時代がやってくるのだ。


 人の興味というものはすぐに移り変わる――人に絶望しながらも、その人に価値を認めさせようと躍起になっていたナルシスイセンが結局誰からも価値を忘れられてゆくというのは、何やら虚しい話であった。

 ところで、竜が暴れてナルシスイセンの隠れ家が崩壊したことによって、紅い月は失われた。メグは紅い月の残骸の一部を回収したようだが、それは最早何の魔力も持たないただの屑石だ。


「あの下を発掘しようにも、迂闊なことをして周りの建物にも影響が出たら困るでしょ。だから今のところ保留なの。それに、掘り起こしたところで出てくるものは金銭的にはそう価値あるものでもないし……」


 アウルとナイトオウルが訪ねていくと、メグはそんな話をしてくれた。


「ああ、魔力がもうなくなっちゃってるから」

「勿論、魔宝石の研究のためには重要な資料だから、全く無価値というわけではないのよ。でも――コストとか、色々あるからね」

「手間暇かけて掘り起こすほどのものではない、ということですね」

「そういうこと。もしかしたら、そのまま道を直して、全部埋めっぱなしにしちゃうかも」


 私としてはあまりすっきりしないけどね、とメグは言った。今回の事の顛末について、アントニオ氏から何やら小言を貰ったようだ。過保護な父親なら、危険なことに首を突っ込む娘を気にかけるのは当然といえば当然だろう。


 それでもどことなく彼女の顔色が明るいのは、一応はナルシスイセンとの決着がついたからかもしれない。宝石商のエストレ家にとってはナルシスイセンの存在が一番やっかいだったに違いない。それがいなくなったのだから、暫くは宝石泥棒を夢に見て魘されるなどということはないはずだ。


「あ、そうだアウルくん、これ渡しておくわ。倉庫の鍵、スペアキーを作ったから」

「ありがとう、メグ」

「なくさないようにね。大事な鍵よ」


 アウルは頷いた。


 クラフトの死後残されたものは遺言に従ってアウルが受け継いだが、保管する場所がない。それをメグの厚意によって、エストレ家の所有する倉庫を一つ貸してもらっている。


「代わりにって言ったらなんだけど、私もときどきここにあるもの見せてね。研究資料とかもっと詳しく調べたいものもあるし……ネ?」


 それくらい幾らでも調べてもらって構わない。知識は広く共有されてこそ、人類の発展に役立てられるものなのだ。理解しきれないアウルが抱え込むだけでいるよりは、よほど建設的である。ナイトオウルは反対しなかったし、きっとクラフトも同じだろう。死霊術に関してはもしかしたら納得しないかもしれないが、メグが見たいのは魔宝石や人形のことが中心のはずだから、その辺りは別にいいだろう。いいということにしておく。死せるクラフトは語る言葉を持たないのだ。


 そもそも独り占めなどしても本当に無意味だ。アウルがここにあるものを全て理解できるようになるには、まず基本中の基本の部分から勉強する必要がある――勉強は好きだが、これらのものを役立てられるようになるには相当な時間がかかるのは間違いない。やはり知識を技術に落とし込むには、協力者は多い方が良い。


 エストレ家から借りた倉庫は、クラフトの遺産を置いておくには充分すぎるほどに広く、机や本棚を置いてあるといっそ書斎だとか図書館のようであった。ただし本ばかりがあるわけではないので博物館のようでもあり、何やら不思議な空間となっていた。アウルにわかることは、これほどの場所を自前で用意しようとすると、到底探偵の助手としての収入では足りないということだけである。メグには頭が上がりそうもない。


 さて、クラフトの遺産の多くは書物や研究ノートであったが、作りかけの人形も多かった。一体どういう仕組みで動かすつもりだったのか今一つ判明しないそれらは、現状ではただの飾りだが、それらも間違いなくクラフトの研究の成果であったはずだ。


「クラフトのノートは全部持ってきたけど、まだ中身は確認しきれてないんだよな……」


 遺品整理について、ナイトオウルに協力させたけれど、それでも軍に出入りできる期間に間に合わないからとそのまま持ってきてしまったものも多い。ナイトオウルはクラフトの研究全てを理解しているわけではないので、彼であっても特定のものを探そうとしても見つけられない場合がある。


「私が内容まで全て把握できていればよかったのですが」

「いやいや、充分だよ。これからゆっくり探せばいいさ」


 アウルとしては、折角望まれて作られたであろう人形たちをそのままにしておくのは忍びない。恐らくはこの膨大な研究資料のどこかに人形の設計図が残っているであろう――それさえ見つけることができれば、アウルでは無理でも、誰か人形技師に手を貸してもらえば、人形たちを完成させることができるはずだ。遺産を受け取るということは、それについて責任を持たなければならない。彼がやり残したことも、引き継ぐべきなのだ――時間ならあるのだから。


 そういったクラフトの遺産について、メグも積極的に協力してくれるが、セイジュローもまた手を貸してくれるという話である。曰くナルシスイセンとの決着をつけてくれた、と。


「結局、俺という人間は何もできない奴だったよ。全部きみやメグお嬢さんに助けられて、クラフトくんの遺したナイトオウルにも世話をかけた。情けない話だが、本当に俺は駄目だったんだ。見ているだけだった」

「……もっと話したかったですか?」

「いや。ナルシスイセンにかける言葉すら見つけられなかった。思うことは沢山あったはずなんだがね、いざとなると何も言えませんでしたよ。会話になんかなるはずもなかった。コバルトブルームは少しは役に立ったが、俺自身は全然だ」


 俺が人形技師として未熟だからだね、とセイジュローは自嘲気味に言った。それか魔族でないからか、とも言った。確かにセイジュローは人間で魔族に比べれば体は貧弱だし、魔術だって使えない。だがメグが認め、世間からも評価を受ける人形技師の言葉にしては弱気がすぎるくらいだった。


「そんなことは……ないと、僕は思いますけど」

 アウルが言った。


「だって、あなたはちゃんとあいつの最期を見届けたんだから」


 ナルシスイセンに思い入れのあったセイジュローが、あのひどい有様を見て動揺しないはずがないのだ。仕方ない部分があった。紅い月がナルシスイセンを蝕みすぎていた。それでもセイジュローはそこから逃げ出すことはせず、あの地下空間が崩壊する場を目に焼き付けた。


「そう言ってもらえると救われますなあ。でも、やはり俺は反省せねばなるまいよ。ナルシスイセンの言うとおり、今の俺は牙を抜かれた狗以下の意気地なしだ。あいつと喧嘩もできなかったんだから」

「……セイジュローさん」

「今後はせめて人形技師として……その、ナルシスイセンのようなやつを増やしてはならないからね。極力そんな苦しみを抱える人形を減らしたい。中途半端なまま世に出してはいけない。俺にできることがあるなら、手伝いたいと思う」


 罪悪感から目を逸らすための心の慰めが欲しいんですよ、とセイジュローは言った。


 思えばセイジュローはこういったことには適任だ。クラフトはセイジュローの技術に興味を持っていたし、話を熱心に聞いていた。残された人形たちに、新しく覚えた技術というのを使っていても何ら不思議ではなく、そういったものに一番造詣があるセイジュローが手を貸してくれるのならこれ以上のことはない。


 罪滅ぼしの自己満足だろうが何だろうが関係ないのだ。セイジュローの申し出はありがたい。人形の設計図が見つかり次第作業を進めるという約束を交わして、アウルとナイトオウルはエストレ邸を後にした。メグたちとの取り決めは、クラフトの墓前に花を持っていくついでにでも伝えておくべきかもしれない。彼の遺産を受け継いだ者としての、一応の義理として。

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