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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第七幕 エコール・ナルシスイセン

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第三十八話

 ナルシスイセンの結界を破るにあたって、アーロンが提示した案は「宝石をそのまま奪わせる」というものであった。


 結界の中には、招かれたものならば入ることができる。ナルシスイセンは少なくとも、その辺りの調整が可能であるというのは、モノルカの一件で想像がつくところである。


 では招かれざるものが中へ入るには、既に中にあるものに結界を壊してもらうしかないのだ。ならばどうすればよいか。


 ――ナルシスイセンが持ち帰る宝石に、結界を壊させるのだ。


「結界の起点となる紅い月の魔術式を破壊する。私ならメグ嬢の宝石の魔力を壊さないように細工をして薬を仕込むくらいのことは可能だ。紅い月が薬を吸収すれば、紅い月の魔術式は崩壊し、結界を破壊することができる」


 アーロンはそう説明をした。


「ただし結界を破壊するときには、そこに溜まった魔力の影響も考慮しなければならない。空間を歪めるほどの魔力がそこにあるわけだから、何らかの奇妙な現象が起きる可能性を否定できない。だからその影響を少なくするためには、魔力を操作して外へ流す必要がある……」


 メグはアーロンの出したその第一案を気に入って、全て彼の言うように進めると決めた。ナルシスイセンのことをよく知るセイジュローにも協力をとりつける。当然のことだった。彼もまた、ナルシスイセンと決着をつけねばならぬ人間だ。


「まあ、俺に何かできることがあるかといったら、微妙なところですけどねえ。俺が思うにナルシスイセンは既に俺が作ったときのあいつとは変わってしまっている。だが、基本の構造くらいはわかっている。ナイトオウルくんに搭載されている魔術機能が有効らしいから、それを活かさない手はない」


 セイジュローは助手のコバルトブルームに「俺の代わりにお前が頑張ってもらうしかないかなあ」と言った。


「私に戦闘技能はありませんから、単純な力仕事くらいしかできませんが」

「いや、それこそ必要だ。人手は少ないより多いほうが何かと都合がいい」


 コバルトブルームなら何の問題もない、と呟くアーロンに、アウルは一体どういうことかと聞いた。すると師は他に聞こえないような声で耳打ちをしてきた。


「コバルトブルームはナルシスイセンの兄弟機というだけでなく、ハーピストルに惚れているそうだからな。彼女もナルシスイセンとは対立している。彼女に良いところを見せたいと思う気持ちが少しでもあるならしっかり働いてくれるだろう」

「先生そんなこと考えてたんですか」

「ハーピストルに声をかければ間違いなく手伝ってくれるだろうが、魔力の少ない彼女に無理をさせるわけにもいかん。他にちょうどいいやつといったらコバルトブルームだろう。やる気があるやつは使いやすい」


 それは確かに、とアウルは納得してしまった。コバルトブルームは道具として人に使われることに誇りを感じているタイプの人形なので、勝手な行動を取って規律を乱すようなこともしないだろう。使いやすさにかけては全く否定しようもなく、人を使う立場にあるアーロンがそうした気質を良いと評価するのは当然といえば当然であった。


「では、私はナルシスイセンを上手く騙さなくちゃいけないわけだけど……演技力が試されるわね」

「流石にメグお嬢さんを一人にはできませんから、せめて俺は一緒にいましょうかね。いてどうこうできるわけでもないですけど」

「どうこうしなくていいわよ、腕っ節には期待していないから。それよりこの主演女優の演技を台無しにしないようにだけ気を付けてよね」

「宝石を使っちまうことには抵抗ないんですねえ」

「ただのアクセサリーってだけなら替えがきくからね。惜しむものじゃなくてよ」


 ――果たして、メグの迫真の演技はナルシスイセンを見事に騙しきることになる。彼女らは軍や警察に通報して準備ができ次第、紅い月の回収のためにやってくる。


 そして今。


「コバルトブルーム、悪いがもうしばらくそのがらくたを支えておいてくれ。軍や警察の連中が来るまでの間にここを正常な状態に戻す」

「はい、フェアファクス殿は魔術に集中なさってください。私はそのためにマスターに派遣されてきたんだ」


 空間の歪みから、異様な力が働いて道を閉じようとする捩じ曲がった鉄パイプを押さえながら、コバルトブルームが返事をした。コバルトブルームの磁力を操る力があれば、鉄でできたものなら容易く動かせる。その間にも、アーロンが魔力の暴走を抑えこむべく魔力操作に集中する。


「まったく、連中ときたら動きだすのに時間がかかりすぎるんだからな……とはいえ状況が大きく変わればやつらとて椅子に座っているだけとはいかなくなるさ。石頭どもが来るまでの時間稼ぎだ。頼むぞ、アウル、ナイトオウル」

「ハイ!」


 元気よく返事をして、アウルたちが中の探索へ向かう。ナルシスイセンの音の魔術に対抗できるのはナイトオウルだけだ。そしてアウルは、結界の内側からアーロンの魔力操作の補助をするのだ。


 港の結界は開かれた。




◆◆◆




「ふ、ふふふ。まさか結界を破ってくるとは……悪戯もほどほどにしておかないと。本当に憎らしい」


 ナルシスイセンは腕の剣を向けてくる。音という音が少なすぎて、彼の動くときの歯車が噛み合う音さえ響いて聞こえた。ナイトオウルはさりげなくアウルの前に立った。ナイトオウルが庇ってくれている間に、アウルはやることをやらなくては。


 アウルが暗闇の中を走りだした。それを隠す――とはいかなくとも、そちらに注意が向きにくいように、ナイトオウルはわざわざ大袈裟と言っていいような動きでナルシスイセンを指さした。


「紅い月は最早ただのくず石と変わらん。じきに軍や警察がやってくる。ナルシスイセン、貴様に逃げ場はもうないぞ。大人しく降参するのが一番平和的だと思うが」

「降参? まさか、そんな必要は感じない。此処にくるもの全て紅い月の糧となってもらうだけのことだから」


 うっとりとしたような声で、ナルシスイセンは言った。それに対してナイトオウルは違和感を覚える。紅い月の魔力をまだ信じているような口ぶりだ。


 ナイトオウルの視界に映る、恐らく紅い月と思しき石は、既に真っ二つに割れてしまっていた。そこには強い魔力など感じられず、残滓として感じるものはあれど、全て外へ出ていってしまったような――そう、空っぽというのが適切か。既に魔宝石としての価値を失っているそれに対して憤るでもなく、紅い月への信仰が未だ崩れていないのが、異様であった。ナルシスイセンはそのような人形ではなかったはずだ。もっと冷静で、狡猾で、状況の判断ができなくなるタイプではない――はずだ。



 そのはずだ。



「全部食べてしまえばいいんだ。それだけのことさ」


 ナルシスイセンが何か音を奏でる。どこか物悲しい旋律は、彼の破壊の力そのものだ。ナイトオウルはそれを防ごうと魔術機能によって空気の振動を抑え込もうとした。だが、何かがおかしい。ナルシスイセンの魔力が、以前とは比べ物にならないほど――強い。


「アウル殿――外へ出ろ!」


 咄嗟に叫ぶ。音はナイトオウルの魔術を無理矢理に突き破り、地下空間に響き渡る。それは壁や床をも震わせるほどの轟音であった。


 ナイトオウルは咄嗟に魔術を使って、音の危機から逃れた。自分の身を守るだけならば容易い。けれど、アウルのいる場所までは届かない。


 がたん、と音を立てて何かが倒れた。それに「ぎゃっ」という小さな悲鳴が重なっている。ナイトオウルが振り返って目撃したのは、石だった。


「アウル殿!」

「な、んだこれ……!?」


 動揺する、アウルの声だ。アウルの足が、石になっている。否、石になっているというよりは、石がまとわりついているというのが正しい。松明の僅かな灯りでもわかる、禍々しい紅色の石だ――紅い月と同じような魔力のある石が、重い足枷のようにアウルの足に張り付いている。


「まずは一羽捕まえた」


 にこり、と笑う気配がした。ナイトオウルは自らの足元にも違和感を覚える。先程まで平らだったはずの床が、ごつごつとした岩場のように変質している。下だけではない、右も左も壁中が、そして天井さえも紅色の石に覆いつくされている。宝石がこの場を侵食しているのだ。


「まさか、ナルシスイセンは紅い月の力を既に完全にものにしているのか……!?」


 変質が異常に速い。ナルシスイセンの意思に従って、紅い月が作動しているとしか思えない。


 水仙人形の口からふふ、と笑い声が漏れる。早く終わらせなければまずいことになりそうだ。一度破ったはずの結界は、新たに作られた宝石の壁によって再生されようとしている。


 ナイトオウルは再び魔術を使おうとして、気が付いた。この空間に蔓延る紅の宝石は、ナイトオウルから魔力を奪おうとしている。


「さあ、次はきみの番。ふふふ」




◆◆◆




 両足が宝石の枷で動かせなくなってしまったアウルは、せめて飛び立つことで外の誰かに状況を知らせられないかと、両腕の翼を広げた。だが、全く飛べる気配がない。それは足の重さでバランスがとれないということもあるが、足にまとわりつく石に魔力を吸い取られているような感覚があるせいだった。恐らくそれは気のせいではない。この赤い石は、ナルシスイセンの力の源と同じ石でできている。アウルの魔力を食らおうとしているのだ――少しずつ、宝石の枷が重くなっていく。アウルの体が、蝕まれてゆく。


(まるで、沢山の感情が折り重なって淀んでいるみたいな感じだ……)


 アウルは心を読む魔術を心得ている。紅い月は魔宝石だが、決して人形の核にされているようなものと違って思考はしないはずだった。けれど実際には、アウルは辺り一面の石という石から心を感じ取っている。まともに耳を傾けていたら頭が痛くなりそうな、苦痛や怨嗟が聞こえてくる――これまで赤い月に取り込まれた、多くの人形たちの成れの果て。あるいは亡霊とでもいうべきか。


 そしてそれらは、ナルシスイセンのものと思われる思考に囚われている。よりよい、暮らしやすい世界を望む、ある意味でありふれたナルシスイセンの思考が少しだけ垣間見えるのだ。ただしその在り方は、どこか歪んでいる。


 生きたいという本能的な願望。それが、狂った形で肥大している。ただひたすらに生きるための魔力を求め、繁栄のために全てのものを食らおうとしている。そこには、ナルシスイセンが本来考えていたような理想――優れたものが勝ち残るというようなビジョンなどなく、むしろ紅い月の魔力に魅入られて理性が壊れてしまっているとも言える。まるで、魔力炉の不具合で暴れる害獣のようだ。


(気持ち悪い……)


 宝石から伝わってくるのは、強い欲だ。食欲だ。アウルの足を捕まえているこれは、このままアウルも、他の全てをも食らい尽くしてしまうつもりなのだ。吐き気がするほどおぞましい。


 ――人に望まれて作られたはずが、人の都合によって廃棄される。その悲しみは、親に捨てられたアウルには何とはなしに共感できるところがあった。だから人に左右されず生きていけるようになりたい、そんな希望を抱くことだって理解できる。けれど、そのためにナルシスイセンは他者を踏み躙ってきて、これからもそうしようとする。それどころか、自分が生きるため以上に周りに破滅をもたらそうとしている。許すわけにはいかなかった。そんなものに屈するわけにはいかない。


「どうする……っ」


 元々の結界を破壊するために、アウルはクラフトのレシピにあった、紅い月対策の薬を持たされている。事前に薬を仕込んだメグの宝石を紅い月に取り込ませることによって、その力を削ぐ。そして本来これを撒いて、さらに魔力を注ぐことで紅い月の影響を受けているところを中和することで結界を解く手筈だった。崩しやすいように傷さえつけておけば、あとは外にいるアーロンが全てやってくれるはずだったのだ。


 しかし予想外にナルシスイセンの力は強く、アウルは足を囚われて身動きがろくにとれなくなってしまった。それどころか、アーロンの策によって破壊したはずの紅い月が形を変えてまだ存在している。ナルシスイセンの力の源というよりは、ナルシスイセンと完全に同化しているようにも見える。


(時間さえ稼げれば軍と警察が来る)


 そうすれば、ナルシスイセンに今度こそ逃げ場はない。メグ率いるエストレ商会が、既に根回しをしているのだ。紅い月の情報も流れているはずで、対抗手段をきちんと備えて人員がやってくれば、いかにナルシスイセンといえど太刀打ちできまい。そういう前提で、アウルたちはここに来た。


 結界を壊し、ナイトオウルがナルシスイセンが逃げ出さないよう足止めし、可能なら弱らせ、数の力によってこの場所を制圧する。それが当初の予定であったけれど、結界は既に再生を始めている。アウルが持っているのは紅い月を封じ込めるための薬だから、多少は効果があるだろうが、限られた薬を最大限に活用するためには少し知恵を練る必要がありそうだ。


 周りを見回して、何か使えそうなものがないか探す。全てが結晶化しているこの場所で期待するだけ無駄かもしれないが、それでも何かしらの行動をしていればその間に新しい考えが浮かぶことだってある。

 僅かな灯りしかないこの場所でも、多少は夜目が効くアウルは、近くに鼠がいることに気が付いた。長い尾が宝石に蝕まれて動けなくなっているのだ。注意深く見れば、宝石に完全に飲み込まれてしまった鼠や蝙蝠が何匹かいるとわかる。この一匹だけは、尾だけで済んだようだ――尤もそれでも充分動けなくはなるのだが。


 アウルは両腕を使って這うように移動し、鼠を捕まえている宝石を見た。辺り一面が紅い月に侵されているとはいえ、薬は充分すぎるほど持たされているのだ。この鼠一匹助けることくらいはできそうだ。

挿絵(By みてみん)

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