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きみの黄泉路に花はない  作者: 味醂味林檎
第六幕 マインダイバー・モノルカ

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第三十一話

 一日中キャンディとモノルカに連れまわされたアウルは、間違いなく疲弊していた。アーロンがどこか疲れたような顔をしていた理由は、彼女らのパワフルさについていけないというやつだろうか。モノルカをあまり好いていないらしいナイトオウルはアウルの代理を買って出たので、アーロンと共にユーウェル館に行っていたが、一緒にいてもらったほうがよかったかもしれない。


 勿論キャンディたちもずっと動き回っているわけではないし、適度に休憩も挟んでいた。案内させられたとはいえ無理強いされたわけではないのだ。が、そのときアウルが見たのは頭が理解を拒否するようなキャンディの金銭感覚であった。


 例えば道端の屋台でパイやドーナツを買うくらいのことはいいとして、キャンディは行く先々で気に入ったものがあればその場で迷いもせずに買った。持ち切れなくても配送を頼んで買い漁るというか、いっそ業者の仕入れではないかというほど買っていたし、実際彼女自身そういうつもりがあったようだ。


 ビジネスのために必要なものは勿論個人的な趣味に走ることも多々あり、目も眩むような精巧な彫刻や、骨董品の絵画などはアウルが一生かかっても払いきれないような金額であった。それが至極簡単にやりとりされるのは、本当に別の世界にでも迷いこんだような気分がする。以前乗ったエストレの飛空船は船の中というある意味特別な空間だったけれど、ここは地上で、パーティでも何でもないはずだというのに。


 アウルは今日の駄賃として持たされたドーナツを土産に、フェアファクス探偵事務所へ戻った。ここ最近はずっと足繁くユーウェル館に通っていたからか、今日は行かなかったというそれだけでも何やら違和感があった。妙な疲労はそのせいもあるだろうか。もうへとへとだ。


 キャンディはまだしばらくレイファンに滞在するという話で、アウルはまた案内を頼まれている。アウルは一度アーロンに相談してからと言ったが、キャンディはたぶん事務所を訪れてくるだろう。


 アウルが戻って今日のことを報告すると、アーロンは「それは都合がいい」と言った。


「マーガレット嬢からの依頼だ。エストレから手の離れたマインダイバー・モノルカをそれとなく護衛してほしいとのことだ」

「メグの依頼?」

「ナルシスイセンがちょっかいをかけてくるんじゃないかと心配しているんだよ。私としては関わりたくないのが本音だが、誠意を見せられては仕方がない」

「言い訳のように聞こえるんですけど」

「言い訳だ」


 つまり金に目が眩んだ部分が少しはあるということだった。探偵業も仕事だから別段そこで言い訳をしなくともと思うが、アウルに聞かせるだけでなく、自分自身を納得させようとしているようにも見えた。彼にとってキャンディと関わるというそれだけで何らかの理由付けがいることらしい。


「……先生、どうしてそんなにあの人が苦手なんです?」


 アウルは確かに今日一日疲れはしたけれど、特にキャンディに対して悪い印象はなかった。態度は大きいが、大金持ちだからといって庶民のアウルを蔑むことはしないし、思いきりのよいところは好感が持てる。


 アーロンは「それだから苦手だ」と答えた。本当に根底的に気が合わないということか。


「……あの女は、私の生き別れの家族を探している」

「先生の家族を?」


 アウルが出会ったときには既に、その存在はいなかった。兄弟たちと生き別れたのだと本人の口から聞いている。アウルのことを、その兄弟と重ねているとも聞いているし、それをアウルは受け入れている。けれど、未だに探すことを諦めきってはいないのだということは、今初めて知った。


「昔、そういう契約をしたんだ。私は未だに過去に縋っている。望みは薄いとわかっていても、一目会えたらと」

「見つかるといいですね、ご兄弟」


 アーロンには世話になっている。そのアーロンが望むことなら、いつか叶うといいとアウルは思う。探偵の助手としてのアウルの首が切られるのでない限り、アーロンが何を思ってどう行動しようが、アウルには何の問題もないことだ。


「やっぱり先生に似てるのかなあ。それとも全然違うのかなあ」

「もし見つかったら、真っ先に紹介しなければいけないな」


 そう言って、アーロンは低く笑った。いつもの、アウルには優しい父親のようなアーロンだ。


 案外アーロンは交友関係が広いけれど、感情のぶつけ方が下手なのか、アウルのようなあからさまに年下の相手にしか穏やかでいられないようなところがある。彼の兄弟が見つかれば、もっと彼が安らげる場所が増えるだろうに、とアウルはぼんやりと思った。


「そういえばナイトオウルは……」

「ああ、彼なら一足先にきみの部屋にいったぞ。魔力の浪費は抑えたいのでもう休むと」




◆◆◆




 翌朝。キャンディが訪れてくるのは予想のとおりであったけれど、彼女の表情には昨日までの明るさがなかった。一体どうしたことだろう。


「モノルカをなくした」

「……なくした?」


 キャンディの口から不穏な言葉が飛び出て、思わずアウルは聞き返した。


 目の前にいる黒衣の彼女は「うむ」と尊大に頷いた。相変わらずの態度だが、僅かに焦りを滲ませている。


「置手紙があってさ……なくしたっていうか、家出? いや自宅じゃねーけど、ホテルだけど」

「手紙をよこせ」

「ハシバミが横暴だ、口が悪い」


 文句を言いつつも、キャンディはその置手紙という名の紙切れをアーロンに手渡す。アウルはそれを横から覗き込んだ。


 内容としては本当に簡単なメモで、あの明るいモノルカらしく「もっと面白いものを見にいきます」と、乱雑で子供っぽく見える字で書かれている。家出と言われてしまえばそれまでだが、一機でふらふらとしている優秀な人形がナルシスイセンに目をつけられたらどんなことになるか。


 アウルはアーロンを見上げる。彼は力強く頷いた。


「大変なことだ、すぐ探さなくては」

「ありがてえ……でもハシバミ、お前仕事あれんろ? 今日はいいの?」

「雇い主から特別に暫くの暇をもらっていますので」

「クビかな?」

「休暇です」


 そんなことよりもモノルカが行きそうな場所を考えなければならない。棚から王都の地図を引っ張り出してきてテーブルに広げる。


「もっと面白い、というならまだ見ていないものを見たがるだろう。昨日はどこを観光していたんだ」


 キャンディは「土地勘いまいちないから自信ないな」と考え込むように腕を組む。


「これは行った……十字時計の教会は雰囲気あるし見て回るのわりと楽しかった。あ、ここの道も通った気がする」

「通りましたよ。沢山屋台が出てた」

「ああ、あれこの辺なんだ。バス乗って移動すると距離感覚わかんなくなるや」

「ふむ」


 アウルも思い出しながら、昨日行った場所をリストアップしていく。王都も広いが、主だった観光地となれば限られてくる。一日中大騒ぎしながらあちこち回ったから、距離だけならかなり広範囲を移動している。


 とはいえ、それでも行っていない場所も多い。とてもではないが、モノルカの行動を予測できるほどではなかった。


「ひとまずはホテルの近くへ行ってみるべきか。近くにいないとは限らないし、モノルカが出ていくのを見ている誰かがいるかも」

「聞き込みからってやつですね」

「あとはエストレ家にモノルカの情報が残っているはずだから、どういう思考をしそうなものか相談してみるのもありかもしれない」


 ナルシスイセンが関わるなら、ナイトオウルにも手伝いを頼まなければ。人ならざる者との戦いにおいては、やはり人ならざる力を持つ者の手を借りたい。そうなる前に防ぐことができればさらに良い。


 捜索の計画を立てている傍で、キャンディはしみじみと「なんかちゃんと探偵っぽいな」と感想を漏らした。アーロンはそれを聞いて大きなため息をひとつ。


「それっぽいんじゃなく、探偵なんですよ」




◆◆◆




 少し時を遡り、太陽が昇る前の、日付が変わって間もない深夜である。キャンディのもとから脱走してきたマインダイバー・モノルカは、ただ一機で港の傍を歩いていた。昨日の観光ではここは訪れていない。朝になれば賑わうのであろう港は、夜闇の中では蒸気船も眠るだけで、人気ひとけもなく静かであった。


 明るい熱気のない港は、決してモノルカの思うような楽しいところではなく、単に薄暗く不気味なだけである。けれど後戻りするつもりはなかった。モノルカは静かに海に飛び込んだ。


 光がなくとも、モノルカは目の機能によって、周囲の状況を把握することができた。背中と足に装備したプロペラは電気のエネルギーによって動かすことができ、水中を自在に進むのに役立った。


 暗い海の中を潜り、岸壁に沿って深い場所へいくと、途中に穴の開いた場所がある。モノルカはその中に入った。


 その穴は巨大なパイプのようになっている、人工のものだ。かつては工業用水を排水するのに使われていたが、老朽化により今は新しい別のパイプがある。ここは工事の過程で取り残されてしまった、忘れ去られた場所だ。


 しばらく進んでいくと、やがて水が少なくなり、そこからはモノルカは歩いていった。ひたりひたりと水の滴る音だけが木霊する。まっすぐに奥へ行くと、ぼんやりとした赤っぽい光が見えてきた。


 その灯りに導かれるようにして最奥へ辿り着いたモノルカが目にしたのは、成人した人と同じくらいに大きな赤い宝石だった。


 それは他から何か照らされているわけでもないのに、自ら光を放ち輝いている。それも、まるで生物の鼓動が脈打つように光を強めたり弱めたりというのを繰り返していた。


「美しいだろう、その紅い月(・・・)は」


 歌うような声が、モノルカの背後から聞こえて振り返る。水仙を思わせるホーンを持つ蓄音機のような人形がいた。


「この世に存在する魔宝石の中でも一際大きい品だ。莫大な魔力を秘める石であるがゆえに、魔術式が自然形成された天然の魔力炉でね。採掘された後も成長を続けながら、魔力を辺りに振りまいている。私がこの石を手にしたときはまだ私の体の半分ほどしかなかったが、今はこのとおり……」

「ナルシスイセン! すごいよ、きみが言ってたこと、本当だったんだ」

「ああ、そうとも。素晴らしいものを見せてあげると言ったろう? 地上からの道じゃ目立ちすぎるから、海からの道を教えてあげたけれど――こんなに珍しいものは他にはないよ」


 そうだ。ナルシスイセンはキャンディとの観光の折、彼女と少しだけ離れたときに、すっと現れて白いカードを寄越したのだ。面白いものを見せてあげる、他の人には内緒だよ――その甘い囁きに抗えず、モノルカはカードに書かれた案内のとおりに此処へ来た。


「でもどうしてモノルカだけ? 他の人には内緒なの?」

「信頼の置ける者がいないのさ。皆欲のために生き、欲のために人を謀る。でもきみは生まれて間もなく、純真な心を持っている。だからきみならば信じられると思ったのさ……」


 ナルシスイセンの指先が、モノルカの頬を撫でる。優しい手つきは、心が解かされるようだ。


「この石はね、魔力を食べるのさ。強い魔力を秘めたものに接触すると、その魔力を吸収する」

「それって、危険じゃないの?」

「正しい付き合い方を覚えれば平気さ。むしろ我々自動人形にとっては、大切なものでもあるよ。これは食べる以上の魔力を生み出す能力を持つ。その魔力があれば、我々は稼働期間を長くできるのだから」


 饒舌に語るナルシスイセンの言葉は甘美だ。自動人形は使われている魔宝石の質によって稼働できる期間が定められるものだ。より豊かな魔力を外から得ることができるというなら、これまでの常識など覆る。人形は使いぬかれて捨てられる道具ではなく、永遠の存在になることができる――。


「すごいや……」

「ねえモノルカ、この石が成長を続けるためには、もっと魔力が必要なんだ。魔力を秘めた魔宝石がね……」


 ナルシスイセンが囁く。耳元でモノルカ、と名を呼ばれると、それに逆らえないような感覚がある。暗闇の中で、ぼんやりとした赤い光に照らされて、ナルシスイセンが微笑んだ。


「きみに手伝ってほしいことがある」


 いいねモノルカ、とひどく優しい声色で頼まれ、モノルカは気が付けばこくりと頷いていた。

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