第十六話
昨日アウルたちが帰った後、ドラクリヤは不思議な音を聞いたという。どこか寂しげな旋律を奏でながらやってきたのは、宝石を狙う怪盗として名高いエコール・ナルシスイセンだった。
「あいつ、おれを、半端と言った。半端もの、完璧なものの、糧になれと」
◆◆◆
森の暗闇の中で響く不穏な音色を聞いた竜が警戒して吼える。だが、その咆哮は少しだけ震えていて、傷以上に何か耐えるような様子であった。何か負担が大きいのだということはすぐにわかった。ただでさえ傷だらけの体に響くようなことをさせたくはないと、ドラクリヤは竜をなだめながら辺りを見回す。音はどんどん近づいてきて、それに足音が混ざっている。
木の影から姿を現し月光に照らされたのは、蓄音機のホーンが首に巻きついた人形であった。それには見覚えがあった。新聞の記事で取り上げられていた宝石泥棒は、確か、このような姿ではなかったか――。
「やあ、こんばんは」
軽やかな声はなんてことのない挨拶のように聞こえたけれど、それはおかしな話だった。此処は王都の外である。危険な害獣もいる。魔物たちは適切な距離を取っていれば危なくはないけれど、一歩間違えば危険な存在にもなりうる。安全など何も保障されていないこの場所で、そのような気安さはむしろ異常であった。
「世の中ってのは上手くできてるものだよねえ、きみのような人形ですら必要とする人がいるんだから。美しくもなければ、能力だって使い勝手が悪い。出来の悪い中途半端なジャンク品のくせに、随分恵まれた話だよねえ」
それは笑っていた。にこにこと愛想の良い顔というのではなく、にいやりと、どこか不気味で底意地の悪い、そんな表情をしている。ドラクリヤよりずっと美しい造詣で、表情豊かに作られている人形には違いなかった。だというのに、それはあまりにも、気味の悪さが勝っていた。
何が言いたいのだ。ドラクリヤが途切れる言葉を使って言えば、それは腕についた鋭い水仙の葉のような刃を向けて答えた。
「ジャンクはジャンクらしく、他の人形を完璧にするために再利用されるのが一番だとは思わないかい?」
◆◆◆
ドラクリヤの話はこうだった。ナルシスイセンは竜の世話を焼くドラクリヤを襲ってきた。ドラクリヤを中途半端だと罵って、彼に使われている魔宝石を奪おうとしたのだ――しかし、結局はドラクリヤは足を壊されるだけに終わった。
「こいつが、おれ、守ってくれた」
ドラクリヤは竜を指す。竜はふるりと翼を震わせた。
ナルシスイセンによって破壊されそうになったドラクリヤを、竜が守り抜いたという。癒えていない体で、壊されそうになっているドラクリヤを守るために戦ったのだ。
ナルシスイセンは色々と計算をするタイプの人形だから、竜がドラクリヤのために必死になるのを見て、魔宝石を奪い取るには不利と判断して諦めた――そんなところだろう。ナルシスイセンは魔宝石を奪うためならどんなことも平気でやるが、自分に不利益があることは避ける。
それで、ナルシスイセンが逃げたため、歩ける足を失ったドラクリヤが此処に取り残されることとなったわけだ。動けないドラクリヤを案じた竜が、傍に寄り添って。
「ナルシスイセンはあなたのことを知っているようだが、何か接点でもあるのか?」
ナイトオウルが問う。ナルシスイセンの行動は、最初からドラクリヤのことをわかったうえでのものだ。ドラクリヤが竜の男の持ち物で、まるで息子のように思われていること、ドラクリヤが試作品で中途半端な能力しか持っていないこと。知っていなければドラフのもとへ予告状を出すことなどできない。
ドラフのほうには、思い当たることはないようだった。ドラフが人形を拾ったことは軍の者なら知っているものも多いが、人のプライベートのことなど気安く外部の誰かに話すようなものでもない。
ではドラクリヤはどうか。彼は「もしかしたら、廃棄、仲間」と言った。思い当たることがあるようだった。
「あまり覚えてない、だが、おれいたところ、似たやついた」
「ええっと、どういうことかな……」
「私がドラクリヤを拾ったのは、廃棄処理施設だった。ナルシスイセンとやらも、そこにいた時期があったのかもしれない。その縁でドラクリヤのことを知った、という可能性は否定できないな」
「ナルシスイセンが、捨てられた人形――?」
ドラクリヤにとって他の大勢の同類であったとしても、ナルシスイセンから見れば、ドラクリヤは何か特徴的だったのかもしれない。ドラフという持ち主が現れたドラクリヤは、特別記憶に残る存在だったのだろうか。
「ナルシスイセン、持ち主いない。あいつ、拾われなかった、独りだ」
ドラクリヤが言った。その言葉には、どこか哀愁が漂う。持ち主がいない孤独がナルシスイセンを歪ませているのだとすれば、それは、ドラクリヤももしかすればそうなったかもしれない姿なのだ。
「おまえも、ありがとう、おれ、助かったぞ」
ドラクリヤが赤い竜を労わるように撫でると、竜は安心したように頭を彼の手に擦りつけた。竜はすっかりドラクリヤに懐いている。
ドラフは、一つ溜息をついた。鱗に覆われた顔でも、表情というものは出る。安心したような、しかし言いたいことは色々あるというような、複雑な感情が綯い交ぜになった顔だ。
「ドラクリヤ」
「は、はい」
「何かあれば報告しろと言っただろう」
その声色は、怒っているのか呆れているのか、判別がつかなかった。ドラクリヤは困ったようにドラフの表情を窺おうと、足が使えないせいで思うように動かせない体を揺らした。アウルとナイトオウルが固唾を飲んで見守っていると、ドラフは膝を折ってドラクリヤと目線を合わせて、その肩に手を置いた。
「お前が独りで壊れてしまったら、私もその竜も、独りになってしまうではないか」
良かった。ドラクリヤの肩を抱いて、ドラフはそう小さく呟いた。ドラクリヤが「帰ったら、おれの足、直してほしい」と頼むと、ドラフは当たり前だと相好を崩した。
◆◆◆
王国軍の関係者のものが狙われた、ということもあり、軍によるナルシスイセンの捜索にはいっそう熱が入っている。以前ハーピストルが狙われていたこともあるため、警戒を強くしているのだが、結果は芳しくない。ナルシスイセンが狡猾であるというだけでなく、彼の操る音は人の意識を奪うというのもある。調査が難しいのは間違いない。クラフトもまたそういったことの仕事に駆り出されているようで、研究の助手であるはずのナイトオウルを連れて、ナルシスイセンの足取りを追って奔走しているようだ。
ドラクリヤは修理され、新しい足を得た。相変わらず発声機能はそのままで、体も継ぎ接ぎのままだが、多少不格好なのもむしろドラクリヤらしいと言えるかもしれない。今は、あの赤い竜を連れ帰って、ドラフの屋敷で世話をしている。ここに来てようやく名前のない不便さに思い至ったらしく、竜は赤い色の鱗が似ているからとラズベリーと名付けられたそうだ。
アーロンが請け負っていた仕事が一通り落ち着いた頃、二人でドラフの屋敷を訪ねるとドラクリヤが竜のラズベリーの背に乗っているところだった。この日非番であったドラフが傍で見守っている――どうやら騎乗の練習であるらしい。
アウルたちが声をかけると、ドラフは「折角だからな」と経緯を説明してくれた。赤い竜を拾ってきたのだから、乗れるくらいにはなっておかなければならないものだとドラフは言った。
「竜を人の世界に連れ込むということは、群れの長として竜を従えるということだ。ドラクリヤにはそのために必要なことを覚えさせなければ」
それは、竜を扱う専門家としての言葉だった。アウルは竜のことは詳しくないが、専門家が言うのだから、互いに助け合って生きていこうとすればそういう知識や技術は必要になるものなのだろう。何事も正しい知識がなければ上手くいかないものだ。竜に対して知識があるアーロンは話がわかっているようで深く頷いていた。
「自動人形にも学習能力はありますからね。竜の世話をするなら、確かに必要なことだ。ドラフ殿、教えた手応えはどうです」
「ドラクリヤは覚えが速い。それに本気で取り組んでいるから、鍛えがいがあるよ。お前も似たような経験がありそうだな」
「ええ、良い弟子がいます」
アーロンがアウルの後ろに立って両の肩を軽く叩く。褒められて悪い気はしないが、気恥ずかしいのも事実で、ほんのりと熱を持つ頬を誤魔化すのに少しだけ俯いた。いつも被っているキャスケット帽の上からぽんぽんと撫でられ、いよいよ照れくさい。
ドラフは「人も人形もそう変わらないのかもしれないな」と呟くように言った。
「自動人形は人を模したものが多いが、よくできている。私には妻も子もないが、ドラクリヤは本当に私の息子のようだよ。竜の扱いが上手くなったら、いつか戦争に出さなければならないかもしれないが――それまでに、生き残る術を学ばせておきたい」
ドラフが目を細めて見つめる先には、すっかり傷を癒して元気になったラズベリーに乗って、のびのびと屋敷の広い庭を散歩するドラクリヤの姿があった。アウルが手を振ると、彼もまた片手を振って答えてくれた。
アウルから見ると、厳つい顔をしたドラフ、厳つい顔をしたドラクリヤ、それに厳つい竜という組み合わせは少々恐ろしげな要素が多いように思えた。けれど、皆どこか楽しそうで、幸せそうでもある。きちんと家族をしているように見えるのだ。健全で、まっとうな絆で結ばれた家族の姿だ。
(いいな……)
ふと、そんなことを思う。ドラフとドラクリヤの関係はどこか眩しい。ドラフが拾ったことでドラクリヤは救われ、ドラクリヤが竜を拾うことをドラフが許したことで竜も救われた。それは一方的なもののように見えて、しかしながら、実はドラフのほうも孤独から救われている。
アウルは両親から切り捨てられてしまったものだ。だからなのか、そういった家族らしい姿というのは、少しだけ羨ましかった。別に本当の家族に未練はない。ただ借金を押し付けていっただけの、ろくでもない親だった。そんな親から離れて、アーロンに兄弟代わりに可愛がられている現状を思えば、アウルは救われている側なのだろう。
孤独から救われるということは、生きる光を与えられるということだ。アウルは実際そうだった。アーロンにとっても、アウルがただ拾っただけのものではなく、アーロンの助けになっていればいい――そう思ってちらりとアーロンのほうを窺うと、彼はその視線に気づいて悪戯っぽく笑ってみせた。アーロンのそうした笑い方というのは、とても優しく、温かみがある。アウルはそれでいつも心が落ち着くような気分がするのだ。
(ナルシスイセンには、そんな救いはないんだろうか)
何らかの目的を持って宝石を集めている派手な怪盗。ドラクリヤの証言によると、廃棄されかかっていた仲間かもしれない人形。ナルシスイセンもまた人から捨てられてしまった人形であるのなら、誰かが拾わなければ、ナルシスイセンはずっと孤独なままだ。孤独なまま、闇に沈んでいく。そしてどこか歪んでいくのだ。
怪盗としての行動もそんな歪みの一つであろう。孤独であるというわりには、ナルシスイセンがやることは華々しく目立つことばかりであった。ナルシスイセンは人に興味がないという顔をしていて、それは嘘ではないのだろうけれども、人の目線を集めなければ気が済まないとでもいうような行動をする。そこに、ナルシスイセンの孤独さが現れているように思えてならなかった。
アウルが思考に沈みかけていると、ドラクリヤとラズベリーがすぐ傍までやってきた。ラズベリーはアウルに頭を擦りつけるようにして、何だろうと思いながら撫でてやると、明るい感情が流れ込んできた。どうやらこの竜はアウルとも遊びたい気分であるらしい。
ドラクリヤはそれをわかっているようで、アウルに「後ろ、乗れ」と言った。竜に乗るなど初めてのことだけれど、きっと振り落とされることはない。
「ドラクリヤ、手を貸してよ」
アウルが笑ってそう頼むと、ドラクリヤは腕を差し伸べてくれた。赤い竜の背に乗ると目線が随分と高く、普段見上げるアーロンたちを見下ろすというのが視界として面白い。空を飛ぶのとはまた別の楽しみがある。
ラズベリーの背の上で、ドラクリヤは独り言のように言った。
「おれも、ラズベリーも、良いほうにいった。ドラフ様、いたおかげ。でも、ドラフ様、いなくなったら、おれもあいつのように、怪物になるのか」
あいつ、というのがアウルが先程まで考えていたナルシスイセンのことだというのはすぐにわかった。孤独なナルシスイセンは、ドラクリヤには他者を襲う怪物と見えるようだ。そしてそれと同じにはなりたくない――そんな心の声が、アウルには聞こえた。
「……きみは他の生き物を助ける優しいやつだから、たぶん、大丈夫だよ」
「そうか」
「独りにだってならないさ。ドラフ大佐は魔力が豊かみたいだから長生きするだろうし、そうでなくても、きみにはもう友達もいるじゃないか」
ラズベリーを助けた時点で、そこにも絆はできている。だから孤独になって歪むということはない。大丈夫だ、と安心させるようにアウルが言うと、ドラクリヤは「そうだといいな」と言った。
本当に、そうだといい。信じたいのはドラクリヤ以上に、アウルのほうかもしれなかった。少なくともそう信じていられる間は、不安などないのだから。




