第十五話
「戻ったら、話、する。だから、先に行け。もう、夜だ」
ドラクリヤはそう言った。逃げるような素振りもなく、その言葉に偽りもないだろう。アウルは明日ドラフを訪ねると言って、ドラクリヤは待っていると言った。そう約束を交わして、アウルはナイトオウルに抱えられて森を抜け、城壁の中へ戻った。
「ナイトオウル、害獣の血で随分汚れちゃったけど、大丈夫なの? 故障とかしない?」
「後程きちんと洗浄いたしますからお気になさらず。それより、私が触れると、アウル殿まで汚れてしまいますね」
「大した汚れじゃないよ、これくらい」
時間が経過しているため、ほとんど血は乾いていて、べったりと服に付着するということはなかった。そもそも命を守られた結果の汚れなど、気になるものではない。
ナイトオウルはフェアファクス探偵事務所までアウルを送り届けると、クラフトの元へ戻ると言ってまた夜の空を飛んでいった。
アウルが扉を開けると、アーロンが待っていた。
「先生、ただいま戻りました」
「おかえり、アウル。収穫があったような顔をしているな」
「はい、ドラクリヤと話をしてきたんです。あの、先生、まだ起きてたんですね」
「冒険者向けに害獣殺しの毒薬だとか傷薬だとかを頼まれていてな。普段からうちで薬を買っていく人たちの分もある。今日は夜通し薬を作っていないと、納期に間に合いそうになくてな。薬草魔術を扱う者としては、この忙しさは喜ばしいことかもしれないが」
「そんなに多いんですか?」
「いつも卸している道具屋が急に発注量を増やしてきてな。だからといって断るわけにもいかん」
「アーロン先生の本業って探偵なんですか。薬屋さんなんですか」
「収入で言うととんとんだが」
アーロンはそう答えながら、鍋で何やら煮詰めている。鍋の中では光る石のようなものがパチパチと音を立てながら弾けている。アーロンが指を振ると、鍋の中身の色が緑色から青く変化する。どういった薬なのかさっぱりわからないが、邪魔はしないほうがよさそうである。
食事をまだしていないため、腹の虫が盛大に鳴いた。アーロンは目線だけでキッチンのほうにある別の鍋を指した。中身はビーフシチューであった。アウルはありがたく食べる分だけをもらった。真夜中だというのに何も腹に入っていないせいか、とても食欲にかられる。
アーロンはかき混ぜている薬の鍋に別の薬草を足しながら「ドラクリヤはどんな様子だった?」と聞いてきた。アーロンにとって恩人であるドラフの人形だからか、特に気にかかっているようであった。
何でも、アーロンは軍医をしていた頃、若さで侮られていたところを、ドラフの後ろ盾を得て待遇が良くなったのだという。確かに恩義を感じる話だ。ドラフ自身と話したときもある程度伝わってきたけれど、アーロンやドラクリヤが語ることからも、ドラフの人柄というものを感じられた。
アウルはただ、真摯に仕事をしなければと思った。だから正直に、偽りも誇張表現もしないように気を付けて伝える。
「ドラクリヤは悪いことはしていませんでした。竜の世話をしていただけです」
今日の調査で知ったこと、城壁の外で話したことををかいつまんで報告すると、アーロンは安心したように息を吐いた。
「よく調べてくれた。ドラフ殿にも良い報告ができそうだな。ドラフ殿は面倒見のいい方だから、きっとドラクリヤのことを、言葉で話す以上に案じておられる」
「はい、明日もう一度お訪ねしてお伝えしてこようかと思います。ドラクリヤともそう約束したので……あの、アーロン先生、僕って喋り方おかしいですか?」
どうしても気にかかって、アウルは目の前のアーロンに問いかけた。
「何か言われたのか」
「言われた、ってほどじゃ……」
ただ、訛りがあることを自覚させられただけである。それが駄目だと言われたわけではないし、直せる自信もない。だが、気を付けていれば、もしかすれば多少ましな話し方をできるかもしれない。もしもアウルが洗練されていない話し方をするせいでアーロンに恥をかかせているのであれば、どうにかして改善しなければならない。
アウルが気にかけていることを、アーロンは「考えなくていい」と言った。
「言葉は人の過去だ。過去は隠せるかもしれないが、変えられるものではない。お高く留まった話し方が必要なら、それは仮面として覚えればいいが、無理にきみの普段の言葉を変える必要はないよ」
「そうでしょうか……」
「ああ、悩む必要はない。きみの言葉はきみの生きてきた証だ。別に無理に自分を世間に当てはめることはないさ」
アーロンは、諭すように言った。それがひどく優しい響きで、アウルはすんなり聞き入れることができた。気にかかりはするけれど、焦るほどではないのだと、ほんの少しだけ安心する。
食事を終えてもまだ、アーロンは薬の仕事があると言って、灯りを消さないままでいた。アウルは早く寝るようにと言いつけられて、今日のところは起きている理由もなく、屋根裏部屋のベッドに入る。明日はドラクリヤとの約束どおり、ドラフを訪ねて話をしなければ。
◆◆◆
次の日、ドラフの屋敷へ向かおうとするアウルを、綺麗に返り血を洗い落として白銀へ戻ったナイトオウルが迎えに来た。クラフトの言いつけであるという。
「昨日のことを直接見ているものが話をするべきである、とクラフト様に言われました。ですから、私もお供します」
「まあ、うん、確かに僕だけじゃ伝えきれないこととかあるかもしれないし。一緒に行こう」
ドラフへの報告については、確かにそのほうが都合がいい。だが、アウルは一つだけ疑問が浮かぶ。
「クラフトって軍の寮で暮らしてるよね。きみもそうだよね」
「そうですね、それが何か」
「僕をわざわざ迎えに来るなんて遠回りだなあって」
フェアファクス探偵事務所から聖火師団基地へは、バスに揺られて暫くかかる距離がある。一方で、ドラフの屋敷は基地からそう離れた場所ではないから、どう見積もっても遠回り以外の何者でもない。
「一緒に行くんだったら最初から僕から呼びに行くって決めておけば良かったな」
「お気になさらず。ここへ来るまでの間、街を見て回りながらゆっくりと歩いてきました。外を歩くたびに新しい発見がありますから、それも楽しいのです」
「それならいいけど」
遠回りにも意味があるというのなら、アウルがしつこく何か言うべきところではない。
クラフトがいないからか、ナイトオウルは色々なものに目がいくようだった。
(ナイトオウルも僕と同じ、子供みたいなもんか……)
頼りになる人形だが、生まれて間もない存在ということを忘れていた。なまじ思考が成熟しているから子供らしさがあるわけではないが、本当はまだ学ぶべきことが沢山ある時期なのだ。
折角だからと、アウルはナイトオウルが飛ぼうとするのを引き留めて、乗り合いバスに乗った。ナイトオウルはそれなりに図体が大きいが、甲冑は人の体と大差ない。今日は時間帯が中途半端だからか車内は空いていて、ナイトオウルもすんなり乗ることができた。
小さな窓から外を覗くのが面白いのか、じっと外を見つめる様はどことなく微笑ましいものがあった。目的のバス停で降りるまで、ナイトオウルは移りゆく景色を食い入るように見つめていた。
バスを降りればドラフの屋敷はすぐそこだった。大きな屋敷で、庭はよく手入れが行き届いている。全てドラクリヤが管理しているものだ。
アウルがドアベルを鳴らすと、出迎えてくれたのはドラクリヤではなく屋敷の主であるドラフだった。
「やあ、きみか。何か進展があったのかね」
「はい、あの……ドラクリヤは出かけているのでしょうか」
彼の姿が見えないのが気にかかった。今日待っていてくれると約束をしてあるのだ。
だが、ドラフの答えは意外なものだった。
「ドラクリヤはいない。昨日から帰ってきていないのだ」
「え……!?」
思わぬ返答にアウルは動揺した。ドラクリヤは待っていると言ったのだ。帰りたくないという様子ではなかったし、嘘をつくような人形には見えなかった。
ドラフの表情は暗い。懐から封筒らしきものを取りだして、それを広げる。
「昨日、このようなものが届いてな」
封筒の中身は白いカードであった。タイプライターで打たれたように整った美しい文字で、シンプルにメッセージが書かれている。
――今宵竜の子の心臓を戴きにあがる。
「これって、ナルシスイセンの予告状……!?」
アウルの脳裏によぎるのは、あの蓄音機で音を操る水仙のような怪盗だった。このような予告状を出すのは、ナルシスイセンの他にいない。
「ドラクリヤは今まで帰ってくるのが遅いことはあっても、朝になっても帰らないことはなかった。このカードのことも気にかかる。アウル、きみは昨日、ドラクリヤに会ったのか?」
アウルはナイトオウルと顔を見合わせて、昨日の出来事を正直に話す。ドラクリヤは城壁の外へ出て竜の世話を焼いていただけで、そのことをドラフに打ち明けると約束をしたのだ。ドラクリヤは約束を違えるような性格には見えなかった。
つまり、今、異常事態が起きている。アウルたちがドラクリヤと別れた後に、彼に何かがあったのだ。
予告状には竜の子の心臓とある。宝石を狙うナルシスイセンが狙うとすれば、それはあの怪我をした赤い竜ではなく、魔宝石で動いているドラクリヤのほうに違いなかった――ドラクリヤとは、竜の子という意味だ。
ドラフは「出る準備をする」と言った。
「昨日ドラクリヤがいた場所へ連れていってくれ。あの人形は私にとって息子のようなものなのだ。確かめなければ――!」
壁の外だという危険を承知で、それでもドラフの目は真剣だった。アウルはドラフに頷きながら、これほどまでに案じられるドラクリヤは運の良い人形なのだろうと思った。ドラフは良い持ち主だ。
◆◆◆
門番に一言告げてから城壁の外へ出る。昨日と同じ道を進んで奥へ行くと、何かが吠える声がした。
そこにいたのは、昨日の傷を負った赤い竜だ。翼を広げて後ろに何か隠すようにしながら、低く唸るようにして周りの小さな害獣たちを威嚇していた。
鎧を着たドラフは持ってきた剣を抜き、害獣たちに斬りかかった。その剣筋に迷いはなく、小型の害獣たちは反撃するより先に首を落とされ倒れていく。ナイトオウルが出る幕はないというほど、その剣捌きは鮮やかだった。
竜は変わらず警戒していた。アウルが一歩前に出て、ドラフのことを安全だと伝える。
「大丈夫だよ、怖がらなくていいからね」
ゆっくりと近づいて、乱暴にならないように気を付けながら竜を撫でると、ようやく落ち着いたようだった。何も恐れなくていいのだと言い聞かせると、竜は後ろに隠していたものを見せてくれた。
そこにいたのは、無残に足を砕かれたドラクリヤだった。
「ドラクリヤ……! 一体何があった!」
ドラフが声を上げると、ドラクリヤは身動ぎして、ゆっくりと目線をドラフのほうへやった。元々が継ぎ接ぎの鎧の体だったため悲惨に見えるけれど、壊されているのは足だけで、他は無事なようだ。とはいえ、逞しく作られていたはずの足が、右は大腿部から折れて、左はぐしゃりと潰されているというのは、あまりにひどい有様だ。
「ドラフ様……申し訳ない……おれ、こんな、がらくたで」
「馬鹿なこというな、お前はよくやっている。何があった、ナルシスイセンとかいう人形に襲われたのか」
ドラフの問いかけに対し、ドラクリヤは頷きで返した。
「おれが、半端だから、こうなった、です」
そしてドラクリヤは、昨日の晩のことを、拙い言葉で打ち明ける――アウルたちが帰っていくのを見届けた後、何があったのかを。




