閑話 公爵家の魔法の鍋 前編
ある夜、テレゼア夫妻が不在の公爵家の屋敷で、悲鳴とともにガンガラガッシャンっと大きな物音、そしてなんとも不気味な音がしつこく鳴り響いた。
発端は今から一週間前に遡る。
五大貴族であるテレゼア公爵家。
建国時に貢献し、それからは王家を支える重要なポストに就き、ランカスター王国の繁栄に尽力を注いでいる。
何百年と続く古くからある一族なので、家には代々伝わる家宝もあれば、曰く付きの話も多々あった。当然、魔道具も多く所持している。
執事長の話を聞いた私は、わくわくと心を弾ませた。
「初代テレゼア公爵とその友人たちは非常に魔力が多く質もよく、今では考えられないほど様々な魔法を使っておられました」
「魔法はその頃と比べて衰えているというの?」
ファンタジーの世界でも魔法の使い方はそれぞれで、この世界にもルールがある。
「一部では」
「一部?」
「そうです。もともと魔力は貴族に多いものですので、平民のレベルは変わりません」
「そっか」
貴族の魔法の質が変わってきたということか。
「全体的に見ると少しばかり魔力は減ったのではと言われております。その分、生活のための知恵が発達していますので、日常を生活する上では断然便利になりました。特に魔力が少ない者たちにとっては喜ばしい環境だと思います」
「魔道具は使う人を選ぶっていうもんね」
老執事であるじぃの話に、私はふむふむと頷く。
便利な魔道具ほど使用するのはもちろんのこと、作るのにも時間と高い魔力を必要とする。
そのため必然的に出回っているのは、少しの魔力、もしくは魔力なしでも動かせるものになる。
通信器具みたいな高度なものは当然多くの魔力が必要で、利用するのはほぼ貴族だ。
あとは、まだお目にかかったことがない移転魔法もあるらしいけれど、使える者は数えるほどで緊急時用。
自分の実力を見誤ると魔力枯渇で倒れることもあり、ハイリスクハイリターンで簡単に使われることはない。
しかも目的地にたどり着かない場合もあるらしく、そんな危険な移動方法よりは地道に馬車で移動するほうが健全だ。
乗り物があるだけでもありがたい。
「エリザベスお嬢様は賢いですね。じぃは誇らしいです」
「たくさんじぃにもお勉強教えてもらっているもの」
「日頃のお嬢様の努力の賜物です」
涙を滲ませて、ハンカチを取り出し大袈裟にじぃが涙を拭う。
これくらいマリアも同じ年齢の時にはわかっていたと思うけれど、末っ子はいつまでも公爵家の中では小さなお姫様扱いだ。
愛情を持って仕えてくれているのでその気持ちを無下に出来ず、私はえへへっと控えめに笑った。
ここで認めないと、延々とどれだけ素晴らしいかと本人を目の前にして語られることになるのだ。
家族に感化されているのか、老執事に限らずここの使用人たちもエリザベスに非常に甘かった。
「それよりもこの屋敷にある不思議な魔道具って?」
「はい。一見、普通の鍋に見えますが、魔力を流しながら使うと短い時間で思い通りのものができるそうです」
「思い通り?」
おお、ここにきて何やら楽しそうな気配。
「はい。こんなものを作りたいと願うだけで、そこに入れた材料の範囲で一番近いものが作れるとか」
「そこは材料がなくてもというわけにはいかないのね」
さすが図々しい願いのようだ。
「ないものを作ることはできません」
「そうよね。でも、それだけでも価値があるわ。使い手によって都合よく働いてくれる鍋なんて!」
是非とも見つけ出して、それで薬品を作りたい。
こっちが四苦八苦している工程を、鍋がぱぱっと仕上げてくれたらありがたすぎる。有能な助手のようなものだ。
「ですが、先ほども言いましたが、調理場にあるどの鍋かはわからなくなっています」
「印とかは?」
「その鍋は初代公爵様の友人にプレゼントされたというもので、そのご友人はなんともひねくれた方でして、よく出回っていた鍋に似せて作られたようで印も何も残されなかったと。それが、代々引き継がれていくうちにどれかわからなくなって今に至るようです」
ひねくれ者からのプレゼントということは、鍋にも癖があるのかもしれない。
魔力を持っている者からしたら、魔道具は魔道具とわかるようになっているのに、それを敢えて気づかれないような魔法を組み込んでいるとかその事実だけで面倒な鍋だ。
「へぇー。じぃにもわからないってこと?」
「さようでございます」
「うわぁー。楽しそう! もしかして普段から使われている可能性もある?」
「それはないと思います」
あまりにもはっきりと断言されて、私は首を傾げる。
「でも、普段私たちが食べている料理は、料理人がその鍋で作っているうちに美味しく仕上がっているのか、料理人の腕なのかはわからないかもしれないじゃない」
「いえ。魔道具ですので、実際使用して魔力が使われたのか使われていないのかわからない軟弱者はこの屋敷にはおりませんのでそれはないです。ですが、それほどエリザベスお嬢様が美味しいと思ってくださっていることを知れば彼らも喜ぶでしょう」
「うん。いっつも美味しいからそれもありえるかと思ったのだけど違うんだね」
言われてみればそうだと頷くと、老執事は顔をくしゃりとさせ微笑んだ。
「はい。お嬢様はご存知ないかもしれませんが、魔道具は古くなれば古くなるほど、ごく稀に個性を持つと言われております。作った者の気持ちや使われてきた過程によって、性格みたいなものができあがるそうです。その鍋はどうも最後に使った料理人が気に食わない食材を入れたとかで、ストライキを起こしたらしいのです」
「鍋がストライキ?」
「はい。鍋が嫌がると美味しいはずの食材もまずくなるはで、そのうち使われなくなってしまわれたようですが、それっきり行方がわからなくなって」
鍋の話をしているのに、どうも人間くさくい。
そんな鍋を作った初代テレゼア公爵の友人とはどれほど偏屈なのか。
「…………聞き分けのない子供みたい」
「そうですね。何百年ものの魔道具はプライドが高いことが多く、使われていく過程で自分の能力を生かしてくれる者ではないと力を貸さなくなるのだとも聞いております」
「それがこの公爵家に……」
偏屈でもなんでも夢がある話だ。
「はい。意志があると言っても魔道具なので勝手には出ては行きませんし、波長が合う人物を待っているのではとも言われています」
「へぇー。なら、それは見つけた者が使ってもいいの?」
「左様でございます。テレゼア家の血縁者、テレゼア家に忠誠を誓っている者のみ使用可能だと聞いております」
「ふぅーーーーん」
ますます気になる。
偏屈そうだけどそれだけこだわりがあるのはいいことだ。
その時の私は興味を引かれながら楽しそうな話だと思っていただけだったが、日が経つにつれて気になってくる。
魔道具にそんな設定があるとか知らなかったし、我が屋にそんなものが存在するなんてことも知らなかった。
何回も転生を繰り返しているが、毎度毎度ファンタジーな世界だと改めて感じることはあって、まさしくこれもそうだ。
「相手を選ぶっていうのなら、見つけるところから始めてもいいわよね」
もし見つけることができて私が選ばれなくても、料理人の誰かと波長が合い料理の幅が広がるのは素晴らしいし、この世界にない料理でレシピがわからないものも作ってもらえる可能性だってある。
というわけで、私は鍋探しを決行したのだった。
* * *
この日、皆が寝静まった夜中、私はそろりそろりと廊下を歩いていた。
夜間警備の者をうまく避けて目的地に到着すると、左右を確認しささっと身体を滑り込ませた。
静かにドアを閉め、ようやく部屋から持ってきたライトをつける。
くふくふと笑いが止められない。
現在両親は王都の屋敷に数日泊りがけで行っているので、もし見つかっても特大な雷を落とす者は不在。絶好の行動日和。
「えへへへへっ」
日中、あれこれと自由に行動しているが、基本良い子の私は就寝時間を守り規則正しく過ごしていたので、夜の行動は背徳感も伴ってテンションが高かった。
それでいて、誰の目にも見咎められずここまでたどり着いたことで達成感もあり妙に興奮する。
これからのことを思うと、いつもはぐっすり夢の中にいる時間なのに目がぎらぎらしてちっとも眠くない。
宝探しのようなドキドキした気持ちが次から次へと溢れ出し、頬が勝手に緩むことを止められない。
「よぉーし。どこにあるのかなぁ?」
やる気満々袖をまくり上げ、手当たり次第扉を開けていく。
ひとまず何がどこにあるか把握してからじゃないと、とてもじゃないが永遠に時間がかかりそうだ。
「ここからに決めたっ」
独り言を言ってしまうのは、ちょっぴり心細かいからだ。静まり返った暗い夜中に、ぽとっ、ぽとっ、と水音が響く。なにより、力もない自分一人っきり。
いくら楽しみだったとしても、実際夜中に子供一人は心もとない。しかも曰くつきの物を探すのだから、ドキドキの中には不安も混じっている。
カチャッ カチャッ
なるべく音を立てずにと捜査したいが、目的のものはどうしても重なって置いてあるのでぶつかる音がする。
「大人目線でよく使うものじゃなくて、子供目線で探すってありだと思うんだよねー」
私、冴えてる~と自画自賛。
これがバレたら母の眉間が寄り怒られること必須だが、やらない後悔よりもやった後悔のほうがいい。
たとえ見つからなくても、探さないほうが後悔する。自分で探してなかったと納得しなければ諦めがつかない。
それだけ、私にとっては魅力的なものだった。
よいせっと大きな鍋や可愛らしい大きさの鍋を並べていく。大中小、特大、取っ手の位置と、用途によって使い分けるため様々な鍋がしまってあった。
十個ほど並べたところで腕を組み、じぃっと見比べていく。気分はお宝鑑定士。
「ううーん」
ふむふむと一つひとつ手にとって、鍋の底から裏側までしっかり見てみるがあまりピンとこない。
いつ寝室の不在を気づかれるかわからないため、あまり時間もかけていられない。
とにかく目に付いたものを出してしまおうと、調理台のところはもちろんのこと、乗りきらなかった物は椅子の上に置いていった。
気づけば鍋祭り。見るからにお高そうな金ぴかの鍋まで出てきて、ここまで並ぶとお店屋さんみたいだ。
「ああー、見つからない!」
想像はしていたが、今まで見つからなかったものがそんな簡単に見つかるわけがなかった。
さすがに疲れたと、鍋を置いてあった椅子の上に鍋を退けて座る。
足をぶらぶらさせて、ぐるりと部屋を見回し溜め息一つ。
「古い魔道具ってロマンだと思ったんだけどなー」
ぶらんぶらんと前後に足を動かしながら、諦めるべきかもう少し頑張るべきかと、うむむーと身体を反らせて天井を見上げた時だった。
「んっ? んんーーー????」
見上げながら、天井の左右に視線を走らせもう一度そこを確認する。
──なんとなく、丸く色が違う?
そこから下に目線を下げると、火を使う日本でいうところのコンロみたいな場所があってその下には収納棚。
ちょっとした違和感だ。そこでよく鍋を使うからそこだけ変色した可能性のほうが高いけれど、妙に引っかかった。
私はとんっと椅子から降りて、その下へと移動した。
扉を開ける穴に指をかけてぐいっと引っ張るが、ぴくりとともせずに手がつるりと外れてしまう。
さっきも一度試したところだ。まるで接着剤がついているかのように固すぎて開けるのを断念したが、こうなってくるとなおさら気になった。
「開けられない扉とか余計に怪しい。本当にここに閉まってあるとしたら、ストライキしたまま拗ねてドアも開かないようにしてるとか? 魔道具にかけられた魔法でそこまで干渉できるものなの?」
魔法は奥深く、しかもストライキするような鍋。
人と同じように気分があって、魔道具に備わっている魔力で物理的に影響を与える可能性もあるのは無視しないほうがいいだろう。
「ええっと、あとは何を言ってたっけ? あっ、波長が合う者を待っているという話だった。波長、波長、……魔力?」
じっ、と収納棚を見つめる。
「まっ、いっか。とりあえず流してみたら。どうせ私の力では普通に開けられないし」
そろそろ戻らないといけないし、無理だったらまた日を空けて対策を練って挑戦すればいいだけだ。
ということで、魔法。何がいいかなぁ。
「開けゴマはちょっとあれよね。んんー、よしっ。ソイヤッ」
毎度魔法の詠唱は難しい。
イメージが大事なのだから、まあいいやと掛け声とともに風を流す。ソイッと流れて、ヤッで勢いをつけるイメージだ。
「ソイヤッ、ソイヤッ、ソイヤ~~~」
なんか言っていると楽しくなってきた。踊りの音頭みたいかも。
「ヘイッ! ソイヤッ、ソイヤッヤッ」
偏屈鍋(多分)を煽るように、掛け声とともに風魔法をぶつける。
「ヤー、ヤー、ヤーァ、ソイ、ソイ、ヤー」と調子よく歌っていると、扉の向こう側でカンッと音がした。
びくっと私は身体を一瞬竦めて、そっと耳を澄ませる。
だけど、返ってくるのはシーンと静寂の音のみ。
「気のせい? でも……」
今度は、小さな声で「ソイヤッ」と風魔法を向ける。
すると、カンカンと中で音が響いた。
「ほわぁっ」
気のせいじゃなかった。
鍋が反応している? 音をさせるってあり? 魔道具といえども物よね?
そもそもそれは思っている鍋なのか。違ったら余計に怖いんだけど。
そう思うと、だんだん不安になってきた。
「鍋さんですかぁ~?」
口を囲むように両手を当てて小さく呼びかけると、明らかに呼応するように音がなった。
「うわぁ。本当に反応してる……」
ありなのか? こういうのありなの?
「開けますよ~」
一応、声かけをしながら扉を開ける穴に指をかけると、さっきまでの頑なさは嘘のように力を入れるまでもなくぱかっと開いた。
実にあっけない。
「開いちゃった~」
私はひぇぇーっと声を上げた。
開いてほしかったけど、開いたら開いたで今は怖い気持ちが増しているから不安だ。
恐る恐る覗くとそこにはいくつか鍋が入っていて、どれも同じ大きさで色合いも似ていた。
なるほど。魔道具の鍋がどれだかわからないから、同じ形状のものはまとめて置いておいたのかもしれない。
「さて、魔道具のお鍋さんはどれですか?」
自分の魔力に反応したのだとしたら、そろそろストライキにも飽き退屈していたのではないか。
「退屈していたら、私と一緒に薬を作りませんか?」
そう声をかけた時だった。
そこにある鍋の一つがぶるぶると震え、カーンカーンとほかの鍋に当たって音を鳴らし出した。
しかも、先ほどより音が大きい。
「ちょっ、うるさい」
思わず耳を抑える。
カーン、カーン
「えっ、薬がダメだった? 退屈って言ったから? それともうるさいって言ったから?」
カーン、カーン、カーン、カーン
まるで興奮したかのように震え、音を鳴らす鍋。
一向に音を止める気配もなく、なぜかほかの鍋も共鳴するように震えて見える。
「えっ、こわっ」
私は耳を押さえたまま後退った。
偏屈鍋だと聞いていても、こんなことは想像していなかった。
せいぜい無言の主張、嫌だったら力になってくれない気分屋の職人気質の頑固ジジイのイメージだったのだ。
見ているそばから、揺れすぎてバランスを崩した鍋が私のところまで崩れ落ちてくる。
明らかにこれだろうなっていう鍋が一つだけぶるぶる震え、右に左にボディを動かし、こっちに来ようとしているように見えた。
実際には左右に動くだけで位置は変わらず、相変わらず鍋同士で音を鳴らしているだけだが、一度そう感じてしまったら恐怖に支配される。
下がるとかつっと足が何かに引っかかり、なんだろうと振り返ろうとして鍋に囲まれていることに気づいた。
囲まれているといっても、自分で出した鍋だが、今はすべての鍋がなんだか曰くありに見えてくる。
「いやぁぁぁぁぁーーーーーーーーっ、こわぃぃっーーーーー!!!!」
そこで私は悲鳴を上げ、慌てて調理場から逃げ出す。
「うわぁぁぁーーーーーーっ」
ガタッ、バタッ パタパタパタパタパタッ
「なにあれ、なにあれ、なにあれ~! あんなの聞いてないよ~」
私は半泣きで廊下を爆走した。




